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グラタンの味がわからない②


 オーブンを覗き込むとチーズがトロリと蕩けていて、香ばしい香りが室内を包み込む。

「よかった、うまくできたみたいだ」

 ホッと胸を撫でおろせば「いい匂いだ~」と呑気な声が背後から聞こえてくる。それと同時に、背中にズッシリと重みを感じた。

「わぁぁ!!」

 かがみこんでオーブンを覗いていた俺は、突然のしかかってきた重みに耐えきれず、床に座り込んでしまった。

「こら、突然乗っかってきたら危ないだろう? 俺は南君と違って体が頑丈じゃないんだから!」

「んー、先生。チーズのいい匂い」

「おい、聞いてんのか? 殴るぞ?」

 いい加減、本気でキレて見せようか悩んでしまう。でも南はそんなことお構い無しだ。

「ふふっ。聞いてますよ。先生って猫みたいな雰囲気で可愛いですね。華奢だし肌の色は白いし、髪はサラサラだし……女の子みたい。でもね、先生に一番合う形容詞は綺麗です。こんな綺麗な男の人、見たことがない」

 クレームを付けても一向に離れようとしない南に、大きく溜息をつく。

「ねぇ、先生……」

「え?」

 突然ギュッと背中から抱き締められた。耳元でいつもと違う、熱を帯びた声が聞こえてくる。首筋に南の吐息を感じて、思わずギュッと目を閉じた。

 こんなにドキドキしたら南に聞こえてしまう……というくらい心臓が鳴り響く。

 ……一体こいつは何を考えているんだ? 冗談にしては質が悪すぎる。「もう離れてくれよ!」そう言おうとしたとき、南が静かに話し出した。



「少しだけ俺の話をしていいですか?」

「え? あ、うん。構わないよ」

 ゆっくりと俺の反応を窺うように言葉を発する南の顔を振り返ることもできずに、俯いたまま返事をする。文句を言ってやろうと思っていた俺は、すっかり出鼻を挫かれてしまった。

「俺の母親は数年前に乳癌で亡くなりました」

「あ、そうなんだ……」

「母が入院していたのは、今俺たちが勤めている病棟で。当時まだ医大生だった月居先生に、とてもお世話になったんです」

「……え?」

「覚えてなくても大丈夫です。先生は何百人もの患者さんを診察してしてるんです。覚えてなくて当然ですよ」

 沈黙してしまった俺を気遣うのかのように、南が力なく笑う。泣いているのだろうかと心配してしまうくらい声が震えていた。

「あの時、月居先生をはじめ、病棟の看護師さんが本当に良くしてくれました。だから俺も看護師になって、母と同じ病気で苦しむ患者さんの役に立ちたい……そう思ったのが、看護師を目指したきっかけです」

「そっか……」

 南の予想もしていなかった告白に、なんて言葉を返していいのか思い浮かばない。医者のくせに……って不甲斐なく思う。ただ静かに南の言葉を聞いていた。



「俺、月居先生と一緒に働きたいと思って今の病院に転職しました。少しでも役に立ちたくて、救急と外科を回ってきたので、少し時間がかかってしまいましたが……」

「南君……」

「先生、こっちを向いてください」

「ちょ、ちょっと、南君……」

「お願い、こっちを向いて」

 南のほうを向けと言われても、まるで凍り付いてしまったかのように身動きが取れない。怖くて、それ以上に恥ずかしくて……俺は俯いたままフルフルと首を振った。そんな俺の顔を、南が覗き込んでくる。

 うっすらと涙を浮かべる南の瞳に吸い込まれるんじゃないかって、錯覚を起こしそうになってしまう。鼓動がまた少しだけ速くなってきて、胸が締め付けられた。

 南の傍にいると、いつも心がグチャグチャに掻き乱される。

 もう嫌だ、なんなんだよ……これだからイケメンは……。



「ずっと前から先生のことが好きでした」

「……は?」

「ずっと黙っててごめんなさい。俺、あなたを自分のものにするために転職してきました」

「自分のもの……?」

「そうです。俺は貴方の恋人になりたい」



 ヤバい、緊張しすぎて心臓が爆発する。呼吸だってできない。

 どうしよう、南の顔が見られない……。



 ピーッピーッ。

「わぁぁぁ!」

「ちょ、ちょっと、先生!」

 突然オーブンの電子音が静かな室内に響き渡る。びっくりした俺は勢いよく立ち上がってしまい……結果、南を吹っ飛ばしてしまった。

 体中が熱くて涙が出そうになる。だって、こんな気持ちになるのはいつぶりだろうか?

 こんなイケメンから告白されたら、どうしたらいいかわからなくなる……。

 どうしたらいいのか……。



「あ、先生。グラタンが焼きあがったみたいですよ」

 オーブンのドアを開けた南が「美味そう!」と満面の笑みを浮かべた。フワッと漂うチーズの焦げた香り。きっとグラタンは成功したんだろうけど……それを喜ぶ余裕が、今の俺にはない。

「先生」

 呆然としていれば俺の手をそっと取って、キュッと指を絡めてくる。たったそれだけで、体がピクンと反応して、無意識に体に力がこもった。

「俺が思っていた以上に先生が純粋だったから……ごめんなさい、少し戸惑ってます」

「…………!?」

 ガッカリされた……そう感じた俺は咄嗟に顔を上げる。でもそこには、優しい笑みを浮かべ俺を見つめる南がいた。

「先生、めちゃくちゃ可愛いです。だから、大事に大事に口説きますね。途中で我慢できなくて手を出しちゃうかもしれないけど」

「だ、駄目だよ。あのさ……さっき半年前に恋人と別れたって言っただろう? 実は別れた原因が向こうの浮気で……だから、俺は恋愛が怖いんだ。もう傷付きたくないから……」

「へぇ……」

「だからあんまりグイグイ来られると、どうしたらいいかわらなくなる……」

 そんな俺を見た南が目を見開いたあと、クイッと口角を吊り上げる。それがあまりにも男らしくて心が震えた。

「なら俺で失恋を上書きしてください。忘れさせてやりますよ、そんな最低な男」

「……南……」

「大事にしますから」



 その後二人で食事をしたけど。

 一生懸命作ったグラタンの味なんて、わからなかった……。 




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