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グラタンの味がわからない①


 南と約束をしてから、俺の心臓は異常な程ドキドキしていた。

 誰かが自分の家に来て、一緒に料理を作る。そして一緒に作った料理を食べる。たったこれだけのことなのに、俺からしてみたら大事件であり一大イベントだ。

「どうすればいいんだろう……」

 イメージトレーニングをしようと試みても、そもそもイメージが湧いてこない。そんな経験が今までなかったから。あまりの自分の経験値の低さが憎らしい。

 どうしよう、どうしようと悩んでいるうちに時間はどんどん過ぎていく。残業にでもなって話が流れてしまえばいい……そう思ったけど、そんな日に限って急変する患者もなく無事に業務は終了した。

「もうこのまま消えてしまいたい……」

 ポツリ呟きながら着替えて、グルグルとマフラーを巻きながら集合場所へと向かった。



 待ち合わせ場所に向かう途中も呼吸困難になるのではないか、というくらい緊張してしまう。酸素をうまく取り込めなくて、目がかすんできた。

「このままバッくれちゃおうかな……」

 そんな最低な考えさえ浮かんでくる。

 重たい足取りで何とか正面玄関にたどり着いたとき、「先生」という声が聞こえてくる。咄嗟に声のする方を振り向けば、南がこちらに向かって近づいてきた。

 その姿を見たとき、心臓が更に大きく跳ね上がる。

「先生、お疲れ様です」

 そう笑う南はいつものスクラブ姿ではなく、白のパーカーに黒いパンツというラフな出で立ちだった。こんな服装どこでも見かけるはずなのに、凄くかっこよく見える。思わず見惚れてしまった。

 立ち尽くす俺に笑いかけて、ポンポンと頭を撫でてくる。

頭ポンポン……。それって恋人にするやつでは……? もうついてけなくて、完全にキャパオーバーだ。

「グルグル巻きのマフラー、可愛いですね」

「え?」

「私服の先生も可愛いです。じゃあ行きましょうか」

「い、行くってどこに?」

「買い出しですよ。さすがにグラタンの材料はないでしょう?」

 何もわかっていない俺の腕を引いて、南は鼻歌を歌いながら歩き出した。



◇◆◇◆



 ——これは、恋人同士みたいだ。



 高級そうなスーパーに立ち寄り買い物をしているときも、俺は盛大に混乱していた。

 イケメンが買い物かごを持って隣を歩いているのだ。

「何か食べたいものがあったら入れてくださいね」

「……うん」

 俺は蚊の鳴くような声で呟いた後、俯いた。

 だって本当に恋人同士みたいだ。一緒に買い物して、一緒に帰宅して、一緒に料理を作る……それは絵に描いたような幸せだった。

「あ、この苺美味しそう。先生は苺好きですか?」

「す、好き……です」

「ならデザートに買っていきましょう」

 別に南のことが「好き」ではなくて、苺が「好き」と答えているだけなのに、異常なほどにドキドキしてしまう。

 もう早くこの恋人ごっこを終わりにしたい……。



「先生、お酒飲みますか? ビールとかワインとか」

「いい、いい! アルコールはいらない!」

 南の気遣いを、俺は突っぱねてしまう。だって、もし酔っぱらって粗相をしでかしてしまったら……想像するだけで背中を冷たいものが走り抜けていくようだ。

「じゃあジュースにしますか?」

「うん。ジュースがいいな」

「子供みたいで可愛いですね」

「子供みたいって、南君は今いくつなの?」

「俺は25です」

「君のが年下じゃないか……」

「でも先生、すごく幼く見えますよ。本当に可愛い」

「な、なっ……」

 一人で舞い上がる俺に微笑んでから、南はドリンクコーナーへと向かう。そんな南を小走りで追いかけた。

(あー、俺のが年上なのに情けない……)

 結局俺は、苺とリンゴジュースを買ってもらい、スーパーを後にしたのだった。



「すっげー! やっぱりドクターの住むマンションって広いですね。俺が住んでるアパートと全然違う! 綺麗に掃除してあるし。先生って綺麗好きなんですね」

 家に着いたとたんルームツアーを始める南。目をキラキラさせて、まるで冒険家のようだ。

 今住んでいるマンションはただ広いだけで、高価な家具が並んでいるわけでもないし、目を引くような面白いものがあるわけじゃない。綺麗に掃除がしてあるわけでもなくて、一人で生活している分には部屋が汚れることもないのだ。



「広いだけで、誰も来ないんだけどね」

「え? 家に誰かを呼んだりとかしないんですか?」

「うん、しないよ。ここに来たのは家族以外では、南君が初めて」

「恋人、とかは?」

「久しぶりにできた恋人は、半年前に別れた。そいつだって家に呼んだことはなかったよ」

「へぇ……なんかそれ、嬉しいです」

 そう照れくさそうに笑っている。

 


 そんな南を見てしまえば、こっちまで恥ずかしくなってしまう。逃げるようにリビングから離れて、買ってきた食材をキッチンのカウンターに並べた。

 キッチンは男の一人暮らしには勿体ないくらい広い。しかも対面キッチンになっているから、南が今いるリビングがよく見える。いつも料理をしながら、誰もいないリビングを見ているのだけど……。

 こうやって家に誰かがいるのも悪くないなって思えた。

部屋をキョロキョロ見渡してはしゃぐ姿が、やっぱり大型犬のように見えて。つい「可愛い」と思ってしまう。どんなに職場でしっかりしていても、年下なんだ……と感じる瞬間。

 少し冒険させてやろう。そう思ってエプロンを身に着けた。手を洗ってから料理しやすいように腕まくりをする。

「南君、先に料理してるからルームツアー続けてて」

 少し離れたところにいる南に声をかければ「はーい」なんて楽しそうな声が返ってきた。

 グラタンなんて普段作り慣れてないけど、どうにかなるだろう……と気軽に構えて、さっき南がネットで見つけたレシピを見ながら作業を開始する。いつもは分量が一人分なのに、今日は二人分。なんだかくすぐったい。照れ臭くなってしまった。



 南は手伝う気配もなく、どこからか見つけてきたのかゲーム機で遊んでいる。「やったー!」と喜んでみたり、「マジかよ!?」と悔しがってみたり。くるくる変わる表情は見ていて飽きない。

 見ているこっちまで、気持ちがほっこりしてしまった。

 結局南は一度もキッチンに来ることなく、グラタンは完成してしまう。グラタン皿に綺麗に盛り付けて、オーブンを温め始める。南はプリプリの海老が食べたいって言ってたから、自分の分も南の皿に入れてやった。

 ふんだんにチーズを乗せた頃、余熱が完了したオーブンがピーッピーッと鳴り響く。俺はワクワクしながらグラタン皿をオーブンに入れた。

「美味しくなれよ」

 小さく囁いてから静かに扉を閉めた。





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