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君が欲しいと言えたなら②


 それから、南との間に距離ができてしまった。

 廊下ですれ違っても軽く会釈をされるだけで、いつものように「先生!」と嬉しそうに近寄ってくることはない。

 一緒に弁当を食べることもなくなったし、会話すら交わさなくなった。

 もしかしてメールがきてるんじゃないかって、スマホを確認してみるけど……期待外れに終わった。

「南の馬鹿野郎……」

 ナースステーションで他の看護師と楽しそうに話す南に、ギュッと胸が締め付けられる。

 こんなに俺はイライラしているのに、何事もなかったようにヘラヘラしている南を見れば、泣きたくさえなってしまう。

(なんだよ、これ……)

 心がグチャグチャに掻き乱されて、苦しかった。

 ただわかってる。俺と南、どっちが悪いとかじゃなくて、お互い一生懸命なんだって。二人とも医療従事者として真剣に患者に向き合っている。

 ただ、その方向性が違っただけ。

『この前は言い過ぎてごめん』

 南を見かける度に、スマホを手に取る度に零れ落ちそうになる言葉。「申し訳ございません」なんて常日頃から言い慣れている。その場を丸く収めるために、幾度となく使ってきた。

 それなのに……南にはそれがどうしても言えない。「ごめん」って喉元まで出てくるのに、口にすることができないのだ。

 


 そっと手を握ってみようか?

 後ろから抱き着いてしまおうか?



 体が戸惑っているのがわかる。

 手を伸ばせば触れられる距離にいるのに、指先が震えてしまう。喉がカラカラに渇いて、呼吸が苦しくて。

 きっと冷静になって話し合えば、分かり合えたはずなのに。

「何をあんなに焦っていたんだろう」

 口をきかなくなって三日後。ようやく冷静さを取り戻してくる。「頭を冷やせ」そう言っていた南の言葉が身に染みた。



 佳奈さんの病室を覗けばそこには南もいて……二人で静かに話をしている。

 彼はハラハラと涙を流す佳奈さんの傍にいて、ただ頷いていた。「頑張って」とか「元気を出して」なんて言葉をかけるわけでもなく……ただ話を聞いている。

 それを見て思った。

 南は患者ときちんと向き合っている。検査データとか患者の人間関係とか……俺はそれしか見えていなかったのかもしれない。

「ごめん、南」

 目頭が熱くなってきたから、白衣で目元を押さえてその場を立ち去った。



 俺の避難場所である非常階段。

 もう空は真っ暗で、星がキラキラと瞬いている。ビルには明かりが灯って凄く綺麗なのに……そんな夜景がユラユラと滲んで見える。

 南と口をきかなくなってから、体が鉛のように重たい。頭も痛いし食欲もない。睡眠だって浅いし……自分の周りの世界がくすんで見えた。

「南、ごめん。ごめんなさい」

 階段に座って蹲る。

 やっぱりここは寒いのに、いつも隣にあった温もりはない。

「寒いし寂しい……」

 白衣に温かな涙が染み込んでいく……そんな時。



「先生、ごめんなさい」

 ギュッと背中から温かなものに抱き締められる。そしてフワリと甘い香りに包まれた。

「ごめんなさい」

「南ぃ……」

 振り返らなくてもわかる。今自分を抱き締めていてくれているのは南だ。力が強いくせに、まるで硝子細工を扱うように触れてくる。

 そんな優しい腕。

 やっぱり温かい……。そんな南の腕にギュッとしがみついた。

「先生、見て? この花」

「ん?」

「杉山さんに教えてもらって、今買ってきたんです」

 必死にしがみついた南が、私服を着ていることに気付く。

「見て?」

 そっと目を開けば……。

 マーガレットだろうか? 黄色い雄しべのまわりには真っ白な花弁がついた小さな花が数本、可愛らしくラッピングされていた。

「綺麗な花……それにいい香り……」

「でしょ? これ、カモミールです」

 そのままもう一度抱き締めてくれる。久しぶりに感じた南の体温と匂いに、心臓が甘く高鳴る。

「カモミールの花言葉は『仲直り』ですって」

「仲直り……」

「そう。ずっと先生と仲直りしたかったのに、素直になれなくて……ごめんなさい、先生」

「南……」

「寂しそうにしてる先生を見て、いつも頭を撫でてやりたいって思ったし、抱き締めてやりたいって思った。寂しかった、先生……んッ……」



 それはもう、無意識だった。

 首に腕を回してそっと抱き寄せる。南の吐息を頬に感じたからそっと目を閉じて……その唇を奪った。

 フワリと柔らかい感触を唇に感じて、トクンと心臓が跳ね上がる。

 唇が離れた瞬間に、至近距離で視線が絡み合った。

 一気に頬が熱くなったから慌てて南から体を離そうとしたら、力強い腕に捕まってしまい、もう一度チュッと唇が重ねられる。

 何度か啄まれたあと、名残惜しさを残して温もりが離れていった。



「ごめん、南ぃ……寂しかった……」

 ガバッと抱きつけば、バランスを崩した南が焦りながらも抱き締め返してくれる。

「俺のほうこそ、『看護師のくせに』なんて馬鹿にしてごめん。南は俺なんかより、ずっと患者のことを見てるし、わかってるのに……」

「そんなことありません。先生だって患者のことを助けたいって、正義感に溢れたとってもいい医師です。少しだけひねくれてるけど……」

「うるさいぃ」

「ふふっ」

 南の胸の中で鼻を鳴らす。



「杉山さんともう一度ちゃんと話し合いましょう?  何がいいかなんて俺達が決めることじゃない。杉山さんとご家族が決めることだ」

「うん」

「杉山さん、先生にとても感謝してました。凄くいい医師だって。先生に出会えて幸せだったって……」

 優しく頭を撫でてくれる。耳元では低くて優しい声……南の全てに体が震えるほど反応してしまった。

「俺、佳奈さんを助けてあげることができない。腫瘍外科の医師のくせに、癌を治してあげられないんだ」

 冷たい夜風が火照った体を冷やしていくのに、目頭がどんどん熱くなっていった。

「佳奈さんは、南の母親と同じ病気だったから……どうしても治してあげたかった。生まれてきたばかりの赤ちゃんに、母親のいない寂しさを知ってほしくなかったから」

「だから、先生あんなに必死だったんですね。俺の母親と同じ病気だったから……」

「うん。俺は癌が大嫌いだ。でも患者を救うこともできない。医師失格だ……」

「そんなことないです。俺は先生を尊敬してます」

 いつの間にか溢れ出た涙を大きな手で拭ってくれる。その感触に心がスルッと解けてしまいそうになる。

 うっかり……全てを曝け出しそうになってしまう。

「素直に涙を流せない先生も可愛いです」

「アホ。お前の前だから泣くんだよ。誰が他の奴の前で泣くか、気持ちわりぃ」

「なら、たくさん弱ってください。俺が全てを受け止めますから」

 南が俺を気遣ってか、遠慮がちに抱き締めてくれる。抱き締められて気持ちいいな……って思っていたのに、突然体を離されてしまう。

 それが合図かのように南が静かに目を閉じたから、俺も目を閉じた。

 フワリともう一度唇に柔らかいものが触れた瞬間、トクンと心臓が飛び跳ねる。

 こんな子供みたいなキスなのに、体が蕩けてしまいそうに気持ちがいい。南の洋服をギュッと握り締めた。



「なぁ、南……お前は恋人じゃない奴とキスするのか?」

「するわけないじゃないですか。それが一般常識でしょう?」

「じゃあ恋人とはキスするんだ?」

「……それ、どういう意味ですか?」

「……俺が聞きたい」

 南がいつになく真剣な顔で俺を覗き込んでくる。

「先生ってもしかして俺のこと……」

「ん?」

 あまりにもキスが気持ち良くて、南の体温が心地よくて、頭がボーッとしていて。自分が何を言っているのか、南が何を言いたいのかもわからない。

 ううん、それだけじゃない。

 心の中がグチャグチャで、南のことで頭がいっぱいで……自分が何を考えてるのかさえわからなくなっていた。

 でも苦しい。苦しくて仕方ない。

「いいえ。何でもありません。ただね、ずっと待とうと思ってます。超がつくくらい鈍感な先生が自分の気持ちに気付くまで……」

「ん?」

「なんでもありません」

 南の声が心地よくて、抱き締めてもらうと温かくて……自分の気持ちなんてわからないけど、ずっとこの腕の中にいたいと思った。



 南が欲しいって言えたらな……。

 そしたら、大きな檻を買って閉じ込めてしまおう。

 もう俺以外の奴を見ないように。南を独り占めしたいから……。

 でも、そんなことが天邪鬼な俺が言えるはずなんてない。



 甘いカモミールの香りが、俺達を優しく包み込んでくれた。



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