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秘密のチョコレート


 丸山健司まるやまけんじさん、42歳。病名は肝臓癌と重度の糖尿病。

 今回は高血糖状態が長い間続いたことで起こる昏睡状態のため、緊急入院となった。

 丸山さんは100kg以上ある体格に恵まれた人で、職業はパティシエだ。

「いやぁ、ついつい自分の作ったお菓子が美味しくてね!」

 と、豪快に笑う姿は清々しささえ感じる。

「丸山さん、血糖値600オーバーはさすがに笑えませんよ」

「まぁまぁ、そう言わないでくださいよ」

「これからは徹底した食事療法で、血糖コントロールしていきますからね」

「おー、南君はイケメンのくせに怖いなぁ」

 珍しく厳しい態度をとる南が、丸山さんに厳重注意をしている。

 無理もない。丸山さんは若いし、小さなお子さんだっている。まだまだ元気に働いてもらわなければならないんだから。

「覚悟してくださいね」

 南がニヤリと笑った。



 それから数日後のカンファレンスで、丸山さんの話題が出た。無理もない。なぜなら……。

「丸山さんの血糖、全然下がらないですよね」

「本当ですよ! 何か間食でもしてるのかな?」

「月居先生はどう思いますか?」

 看護師達の視線が一斉に俺に集中した。

「うーん、内服もちゃんとしてるし……もしならインスリン注射の量を増やすしかないかな……」

 ちゃんと病院食を食べて、内服もしてインスリン注射もしていて……他に打つ手があるだろうか。

 もしかしたら看護師の言うように、ガッツリ間食をしているのかもしれない。

「先生、俺丸山さんの担当だからやんわり聞いてみます」

「あ、うん。頼むね」

「はい」

 南ならきっと上手くやってくれる。俺にはそんな安心感があった。



◇◆◇◆



「あー、疲れたぁ!」

 非常階段に座り込み大きく伸びをする。今日も定時には帰れそうもない。

 この非常階段は普段立ち入り禁止となっているが、自分が管理責任者になっているのをいいことに気分転換の場所として自由に出入りしていた。

 腫瘍外科病棟は六階にあるから、非常階段へ出ると目の前には大都会が一望できる。簡素な手摺しか設置されてないから少しだけ怖いし、高層階だけあって風は強いけど……慣れてしまえば居心地は最高だ。

 医局やナースステーションで気を遣いながら休憩するより、一人でいるほうがずっと楽だ。それに俺と一緒に休憩する相手だって、神経をすり減らして余計に疲れてしまうことだろう。

 俺はみんなから敬遠されているなんて、わかりきっていることだった。

 もうすぐ夜を迎える空は夕日で真っ赤に染まり、高層ビルの窓に反射してキラキラと輝いている。頬にかかる長い髪が冷たい風にサラサラと揺れて気持ちいい。思わず目を細めた。



「先生、こんな所にもいるんですね?」

「え?」

 突然聞こえてきた声にびっくりして振り返れば、そこには南が立っていた。疲れてボーッとしていたせいか全然気が付かなかった。こんな所にいることが公になったらマズイにも程がある……俺は小さく舌打ちをする。

「ここ立ち入り禁止ですよね?」

「あぁ? だったらなんだよ?」

「ふふっ。そんなに睨まなくて言い付けたりなんかしませんよ」

 南がクスクス笑いながら俺の隣に座り込む。

「俺と先生の秘密です。ね?」

 その笑顔に胸が締め付けられる。非常階段は寒いくらいなのに体がポッポッと熱くなった。

なんなんだよこれ……本当に心臓に悪い。

 南の顔を直視できなくて、膝を抱えて蹲る。



「そんなに警戒しないでくださいよ。丸山さんのことで報告したいことがあったので、先生を探していたんです。そしたら非常階段に向かう先生を見つけたんです」

「報告したいことってなんだよ?」

 唇を尖らせながら少しだけ顔を上げる。

「丸山さん、やっぱり間食してました」

「え? やっぱりそうか。あんだけ治療して血糖が下がらないわけないもんなぁ」

「しかも、丸山さんのパティシエ仲間が交代ごうたいでお菓子を運んでるみたいです。これ、ちょうど見つけたので回収してきました」

「うわっ! 高そうなチョコレートだなぁ」

「はい。ネットで調べたら一箱二千円もする、超高級チョコレートでした」

「二千円かぁ……」

 まるで宝石みたいな細工を施されたチョコレートが箱に並べられていて……見るからに高級そうに見える。

 それだけに、カロリーも高そうだ。

「ちょうど面会が終わってこのチョコレートを隠そうとしているとこを現行犯で見つけて。他の看護師に黙ってるっていう代わりに、チョコレートもらっちゃいました」

「なんだよ、口止め料かよ」

「でも、もう間食は絶対にしないって約束してくれましたよ」

「そっか、それはお手柄だな」

「へへっ」

 よしよし、と頭を撫でてやれば気持ちよさそうに目を細める。

 やっぱり南は大きな犬だ。



「一つ食べてみよう。どれにしようかな?」

 少し悩んだあと、「これにしよう」と嬉しそうに口に放り込む。そんな何気ない仕草が……悔しい程かっこいい。

 無理……苦しい……。

「月居先生もチョコ食べますか? ほら、あーん?」

「え? あーんって……」

「高いだけあってめっちゃ美味いですよ!」

 箱からチョコレートを一つ取り出し、俺に差し出してくる。

「え? じゃなくて、食べてみてくださいよ。ほら、あーん、して?」

「で、でも!?」

「いいから、ほら早くしてください」

「あ、あ、うん。あ、あーん……」

 南の勢いに押され渋々口を開いた。だって、これじゃあ子供みたいだ。

 口の中に一つチョコレートが放り込まれた。

 それでも仕方なくカリカリッとチョコレートを咀嚼しコクンと飲み込む。チョコレートの中に散りばめられたナッツの香ばしい香りが口いっぱい広がった。

 なんだこれ、めちゃくちゃ美味しい。

「美味しいですか?」

「う、美味い!」

「良かった。もう一つ食います? ほら」

「え? ちょ、ちょっと……」

「ひゃやくしてくらさい(早くしてください)。ひょら(ほら)」



 何を思ったか、南がチョコレートを口に咥えて唇を尖らせた。その瞬間、俺の中の時間が止まったように感じる。

 まさか、このチョコレートを食えって言うのかよ……。



 俺の顔は熱を帯び、トマトみたいに真っ赤になってしまった。それでも南が咥えているチョコレートは凄く美味しそうで……食べてみたい衝動に駆られる。

 きっと、あのチョコレートは甘いだろうなぁ。今まで食べてきたどんなチョコレートより。



 そっと瞳を閉じて南の咥えているチョコレートに噛み付く。

 その瞬間フニッと唇と唇が触れ合う。心臓がトクンと一つ跳ねた。

「……あッ……」

 南からもらったチョコレートが、口の中で溶けて甘い味が広がっていく。

「ね?  めっちゃ美味しかったでしょ?」

「馬鹿野郎……」

「ふふっ、可愛いなぁ」

 頬を両手で包み込まれ上を向かされる。吐息を感じる距離で視線が絡み合って……。



 ——キスされる。



 そう思ったからギュッと目を閉じる。緊張のあまり体がプルプルと震えた。

「ふふっ。キスくらいでそんなに緊張しないでください。凄く悪いことしてるみたいに感じる」

「す、するなら早くしろよぉ!」

「してほしいんですか?」

「してほしくない!」

「本当にしてほしくないんですか?」

「た、多分……」

「先生って初心なんだか、経験豊富なのかが本当にわからないですよね」

 こ、こいつ……。絶対に俺で遊んでやがる。

 悔しいけど強がる言葉も思いつかないし、南を突き放すこともできない。そんな俺をギュッと抱き締めてくれる。結局俺は、抱き締められてしまえば、嬉しくて拒絶なんてできないんだ。

「こんなに可愛いんじゃキスもできないです。貴方とはゆっくり距離を縮めて、確実に落とそうって決めてるのに」

「な、なんだよそれ。ふざけんな。誰が落ちるか」



 精一杯の悪口が冷たい北風に攫われていく。

 火照った頬を両手で覆う。なんでこのチョコレートはこんなに甘いんだよ……。




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