映画のような恋も、悪くないのかもしれない②
『もうすぐ仕事終わるよ』
『了解です。先生、今日クリームコロッケでいいですか?』
『なんでもいいよ。ありがとう』
『じゃあ、今から迎えに行きますね』
つい先程南とやり取りしたメッセージを見返して赤面してしまう。
クリームコロッケは子供の頃からの大好物だ。でも、こんなに緊張している状態で果たして喉を通るだろうか……。
「南の家に二人きりか……」
『南の家』というだけで、一気にハードルが上がってしまったのを感じる。
緊張のあまり頭がボーッとしてきてしまう。呼吸困難から、その場に倒れてしまいそうになった。
「着替えなきゃ……」
今日家を出るとき、下着に気を使った方がいいのだろうか……と一瞬でも考えてしまった自分が情けない。悩んだ挙句、有名ブランドの下着にしたんだけど……。
「何を期待してんだよ」
大きく深呼吸をしてから、ロッカーの扉を勢いよく閉めた。
◇◆◇◆
南のアパートに着いた時には、本当に呼吸困難になってしまうのではないか……というくらい緊張していた。
「先生のマンションに比べたら狭いけど、ゆっくりしてってください」
そっと背中を押されて入った室内は温かくて、ふわりと南の香りがする。
リビングは綺麗に整理整頓されていて、棚にはフィギュアやお洒落な雑誌、レコードが並べられていた。殺風景な俺の部屋とは全然違う、南らしい部屋。1LDKの空間が、彼の好きで埋め尽くされているようだった。
凄く素敵な部屋だけど……なんだかモヤモヤしてしまう。可愛くない天邪鬼がひょっこり顔を出した瞬間……。
「ここにいつも女の子を招いてるの?」
「え?」
「あ、ごめん。突然変なこと言って。ごめん、本当にごめん!」
無意識に自分の口から飛び出した言葉に、自分自身がびっくりしてしまう。
でも気になって仕方ないんだ。ここに、南の恋人は来たことがあるんだろうか、って。
この部屋で、誰かと甘い時間を過ごしていたのだろうか……って考えただけで、心がズキッと痛む。
——そんなこと、俺には関係ないのに……。
ギュッと拳を握り締めて俯けば、頭上からクスクスという笑い声が聞こえた。
「それヤキモチですか?」
「え?」
「だから、先生はヤキモチを焼いてるんですか?」
顔を上げた瞬間、一気に顔が熱くなった。
「もしそうだとしたら凄く嬉しいです。でも……」
「でも?」
「俺は先生に恋をしてから、恋人はいません。だから、ここに俺の恋人を呼んだことはないです。だから、先生が一番初めにこの部屋に来た恋人……になってくれたら嬉しいです」
悪戯っぽく笑いながら、南がスルッと指を絡めてきた。
「恋人って……」
「ふふっ。じゃあ、クリームコロッケ揚げますからリビングで待っててください」
クスクス笑いながら黒いエプロンを身に着ける南は、悔しいほど様になっている。
「駄目だ、死にそう……」
リビングに案内された俺は、床に置いてあるクッションを抱き締めた。
南が作ってくれたクリームコロッケは想像以上に美味しくて、ペロリと平らげてしまった。
「美味しかったですか?」
「うん、凄く美味しかった」
「それは良かった」
満足そうに目尻を下げる。でも決してお世辞なんかじゃない。南は料理がとても上手だ。
テーブルに並べられているカボチャのスープが入ったカップを手に取れば、フンワリと甘い香りがする。フーフーッと冷ましてから口に含んだ。
「あー、あったかい……」
思わず口から零れ落ちた。
「菊池さんが言ってた映画、ジェンダーがテーマとか言ってたんですが難しいですかね?」
「でもあの人がお勧めするくらいだから、面白いんじゃん?」
「ネットで検索したら見つかったから観てみましょうか?」
「あ、うん」
南が隣に腰を下ろしながら「どうぞ」なんて、コーヒーの入ったカップを差し出てくる。テーブルにそっと置かれた砂糖とミルク。コーヒーはブラック派の南だから砂糖もミルクも必要ないはずだ。俺の好みを把握してくれてるんだ……って思うと照れくさい。
こんなちょっとしたやり取りこそが、まるで恋人同士のように感じられて……また心臓がうるさい程に騒ぎ始めた。
自分自身の恋愛経験があまりにも少なすぎて、戸惑うことが多すぎる。
このリビングに着いた瞬間から抱き抱えていたクッション。もはやそれは命綱みたいに思える。そんなクッションを更に強く抱き締めた。
◇◆◇◆
映画が始まったころから覚えていた違和感が、中盤に差し掛かり確信に変わる。
「なぁ? これってもしかしてBL映画……」
「そうみたいですね。多分ゲイカップルのお話なんだと……」
「えぇ!? だからジェンダーか……」
慌てふためく俺など関係なく、突然始まる主人公とその恋人のラブシーン……思わず目を覆いたくなったけど、好奇心のほうが勝ってしまう。
チュッチュッというリップ音と共に、重ねられる唇と唇。映像からも伝わってくる唇の柔らかさに、視線が釘付けになった。
血液が沸騰したかのように熱くて、体がどんどん火照り出す。
——コラッ、静まってくれ。俺の体。
クッションを抱き締めて目をギュッと閉じた。
そんな俺にお構いなしに、映画はどんどん進んでいく。卑猥な水音がするような熱い口付けが交わされ、二人はもつれるかのようにベッドに沈んでいった。
『愛してる』
『僕もだ』
蕩けるような視線が絡み合い、また唇が重なって……ヤバい、鼻血が出そう。
緊張してるのにそれ以上に興奮してしまって……体に根っこが生えてしまったかのように動かない。
すぐ隣には南がいるし、今俺達が寄りかかっているのはベッドだ。どちらかが仕掛ければ、きっと……。
『先生。抱いてもいいですか?』
潤んだ瞳にテラテラと光る唇。熱の篭った声で誘惑されてしまえば、拒絶なんてできるはずがない。
『先生……』
『南……』
そっと唇が重なって、二人の中で何かが弾けて……それからそれから……。
ボンッ!
顔から火が出てしまいそうなくらい赤面してしまう。この部屋は酸素が薄いのかってくらい呼吸が苦しくて、金魚みたいにパクパクと酸素を吸い込んだ。
こんなに心臓がドキドキしたら、南に聞こえてしまうのではないか……怖くなって体にギュッと力を込めた。
「先生、それ駄目です」
「え?」
「あんまり緊張しないで。こっちにまで伝染してくる。それに……」
「それに?」
不安になって南を見上げる。
「意識しちゃいます。なんかエロい気持ちになる」
「エロい……」
「先生と、エロいことしたくなるって言ってるんです。わかってよ、鈍感……」
口元を押さえながらそう話す南の顔も、林檎みたいに真っ赤だ。
そんな南を見てしまえば、心臓も脳も心も……全部が爆発しそうになる。もうどうしたらいいのかがわからない。頭の中はグチャグチャだった。
「抱き締めるくらい、してもいいですか?」
「え? あ、あの……」
「俺は先生を抱き締めたい」
「南……」
「お願い、ギュッてするだけ」
不安そうに顔を覗き込んでくる南に、胸が締め付けられた。
苦しい……。
緊張しすぎて頭がボーッとしてくる。南の肩にコツンと額を押し当てて、静かに頷く。
俺も、南に抱き締めてほしかったから。




