こんなにも、会いたいって思ってしまう②
「あー、疲れたぁ」
今日の手術も難航した挙句に、8時間を超える大手術となった。足はパンパンだし、喉はカラカラ……手術室用の帽子でついてしまった前髪の癖を、クシャクシャと手櫛で掻き上げる。
「今日は、南仕事かな……」
手術室から出てしまえば、一気に現実に引き戻されてしまう。あいつのことが気になって仕方ない。
なんにせよ、時刻は夜の九時を過ぎている。仕事だったとしても、もう帰ってしまっただろう。
「……会いたいな……」
真っ暗な廊下で立ち止まる。
もうすぐ季節は春だ。梅の花が咲いて桜の蕾が膨らみ出す、そんな心踊る季節。それなのに、俺の心は寒くて仕方ない。一度知ってしまった温もりはあまりにも強烈で、心と体がその温もりを欲してやまない。
でも天邪鬼の俺は素直に「会いたい」なんて言えるはずなどなかった。いつも遠くから南を見つめて、声をかけたいと思うし、スクラブの裾を掴んで振り向かせたいっていう衝動にも駆られる。
素直になりたい。
「会いたい」「傍にいて」って言えたらどんなにいいだろうか。
なのになんでだろう……。気持ちが昂っていくほどに、南がどんどん遠い存在に感じた。
グスッと子供みたいに鼻をすする。目の前がユラユラと揺れたから手の甲で涙を拭った。
「先生」
「……え……?」
「月居先生」
ふと顔を上げれば、スクラブを着た南がいた。
「先生、お疲れ様でした。随分時間がかかりましたね」
「なんで? お前、まだ帰ってなかったのか?」
事態が飲み込めない俺のことを気にする様子もなく、癖のついた俺の髪を優しく撫でながら「すごい髪型だな」って笑っている。
「まさか……待っててくれたとか?」
「別に待ってなんかいませんよ。今日先生が手術してくれた患者さん、俺の受け持ちだったんです。だから心配で」
「そ、そうかよ。そうだよな、待っててくれるわけねぇよな」
「え? もしかして待ってて欲しかったとか?」
「べ、別に待ってて欲しかったわけじゃ……」
俺の顔を覗き込んで悪戯っ子のように笑う南を見れば、顔から火が出そうになる。ドキドキと胸が高鳴って……息が苦しい。この場から逃げ出したくなった。
「嘘です。本当は待ってたんです」
「南……」
「先生が心配で、待ってました」
少しだけ頬を赤らめて笑う南は、悔しいけど凄くかっこいい。
もう、心臓がうるさい。
「お前に心配されるなんて心外だ。俺が失敗するわけねぇだろう?」
「ふふっ、そうですね。じゃあ、先生の顔を見られたことだし、帰りますね。お疲れ様でした」
ペコッと頭を下げて背を向けた南が、少しずつ遠ざかって行く……その光景に、俺の心は駆り立てられる。
——行っちゃう……。あんなに会いたかった南が、行っちゃう……。
「南!」
咄嗟に引き止めてしまったことに、自分が一番驚いてしまう。びっくりしたような顔で振り返る南に、何を言ったらいいかわからず俺は俯いた。
呼び止めてしまったことを、強く後悔する。
どうしよう、どうしよう……。
「先生……」
南が俺を見てフワリと笑う。その笑顔があまりにも綺麗で、吸い込まれそうになった。
「疲れたなら、抱っこしてあげましょうか?」
「なッ……」
「ほら、抱っこ」
そう言いながらフワリと抱き締めてくれた。その瞬間、俺の呼吸と心臓が止まりそうになる。
青白い月明かりが、普段誰も来ることのない廊下を静かに照らして……自分の心臓の音がやたら鼓膜に鳴り響いた。
「よしよし、頑張りましたね」
「俺、汗臭いから……離せよ」
「大丈夫。全然気になりませんから」
そう言いながら俺の首筋に顔を寄せて、クンクンと鼻を鳴らす。
「先生、消毒の匂いがする」
「やめろ、離せ!」
「嫌だ、離しません」
そう言いながら、更に腕に力を込めて抱き締められる。
「離せよ、嫌だ」
文句を言いながら南の腕の中で暴れて見せるけど……。「お願い、離さないで」そう強く望む自分もいる。
でも南がなかなか離そうとしないから、様子を窺いながら全身から力を抜いた。
「疲れた……眠い……」
そう言いながら、南の背中に腕を回してギュッとしがみついてみる。他人の体温ってこんなにも心地いいんだ……ボンヤリと思い出した。
「疲れたなら、今日は俺ん家に来ますか?」
「嫌だよ、自分家でゆっくり寝たい」
「えー! つまんないなぁ」
「それより、さっきみたいに頭撫でて……」
「急にどうしたんですか? 余程疲れたとか?」
「うるせぇよ。いいから撫でて」
南が溜息をついたあとフッと笑う。少しだけ呆れた顔をしながらも「はいはい」なんて言いながら優しく頭を撫でてくれた。
あぁ、やっぱりこいつの手がめちゃくちゃ好きだ。
言葉になんか出さないけど、俺はそう思いながら南にそっと体を預ける。
瀧澤と別れた時、身も心もボロボロになった。だからもう誰にも関わらずに生きていきたい……そう思っているのに、なんでこんなに甘く心が締め付けられるのだろうか。
南の手も体温も好きなのに、素直になれない自分がいて……切なく疼く感情から目を逸らした。
こんなにも南に会いたいと思ってしまう。
そして、そんな俺にお前は会いに来てくれた。




