第8話 浴室大騒動
凄絶な死闘が繰り返された後に残った惨状……、なんてものは、俺にとっちゃ実に当たり前の世界なわけで、別段これといった感想、感慨を抱くものでもなかった。昔の俺は、それこそ戦争にもよく駆り出されたような気がするし、刺客として、要人暗殺に従事したこともある。あるいは要人護衛の任を与えられた際などは、その要人を襲撃しようとする勢力と交戦状態に陥ることが度々あった。
だから、完全にぶっ壊れた特訓場を見ても、俺は別に驚いたりすることはなかった。けれど、俺の発した『大爆発』の結果、こうなったのだと思うと、少々会長様に申し訳ないような気はした。
「いや、別にかまわんよ」
会長様はそう言って「ははは」と豪快に笑った。
「それより面白いものを見せてもらったから、その見物料としては再建料なんてのは安いものだ」
巨大財閥の総帥=大富豪だからこそ言える台詞に、俺はただ呆気にとられるだけだった。まあ、とはいえここは素直に謝罪しておくのが筋だと思ったので、
「ごめんなさい」
と、ぺこりと頭を下げておいた。
とまあ、そんな具合に会長様をやりすごした俺は会長様の部下が運転する車に乗って、寮まで戻った。高速を飛ばして、一時間といったところだろうか。
寮に戻ると、疲れた体をいやすべく、風呂に入って、湯船に浸かることにした。俺はとりあえず部屋の中に誰もいないことを確認してから、姿を元に戻した。ビリビリと、電気がほとばしるような音を立てながら、少女の輪郭がぼやけ、やがて、そこには一人の青年、即ち俺が姿を現した。
風呂までも変装で入るのは嫌だからな。それに、女の姿のまま全裸になるのは、例えそれが俺の能力なんだとしても、やっぱ恥ずかしい。何しろ、俺の理想的女性像をそのまま具現化した女版俺は、スレンダーな体格な上に、適度な胸の大きさ、白い肌、可愛らしい顔と、俺のリビドーを直撃するに十分な色気を持っていた。もし、この姿のまま風呂なんかに入ろうものなら……。さて、俺はどうなっちゃうでしょう。
だから俺は本当の姿に戻るのさ。疲れを癒すための風呂でまで、そんな面倒くさいことに頭を働かせたくない。
風呂は気持ちいい。
まさに風呂は人間が文明的生活を送るには欠かせない代物だよね。これを考え出した人間に、俺的ノーベル賞を与えてやるよ。ま、そんな奴がいたのかどうかは知らんし、いたとしても、いったいいつのことだよ、って突っ込みたくなるほど昔の話だろうし……。
なんて考えながら湯船につかっていると、
「ただいまー」
タイミングの悪いことに、鷹司亜子が戻ってきやがった!
やばい、やばい、やばすぎる!
今の俺は男だぜ。しかも肌身離さず常に持っているはずのUMTを、こう言う時に限って脱衣所に置きっぱなしにしてあった。まあ、UMTは見かけ、ただのちっぽけなペンダントなので、一緒に風呂に持ち込むわけにはいかないんだけど……。
ってか、UMTが手元になかったら、俺はただのF級能力者……、要するに無能力者一歩手前みたいな力しか出せないんだぜ。もちろん、『外見偽装』なんて使えるわけない。
「あれー。イチさん、どこー?」
鷹司の甲高い声が聞こえる。
よ、よもや風呂場に乗り込んできたりはしまいな。入られたら、即、ジ・エンド!
「あ、お風呂にいるの?」
げげげげッ!
来るな、来るな、来るなって!
焦る俺に、非情な鷹司。
彼女は浴室の扉をぽんぽんと叩く。
「イチさん、いるの?」
いるよ、いるから、入ってくるな!
「い、いるよ」
俺は、必死になって答えを返す。……って、待った! 今、俺の声色、明らかに男物だったよな。『外見偽装』を使わないと、声色も変えられないのだ。
「あ、そう。いるんだ。……でもさ、イチさん、風邪でも引いた? 声がなんか変だけど」
ほらきたーッ!
俺はますます焦る。
「湯船に長く浸かってると体に悪いわよー」
だったら早くどいてくれ! ってか、ラン。パートナーなら援軍に来い。リビングですやすや眠ってる場合じゃねぇぞ。ご主人様の大ピンチなんだ。
「あ、そうだ。イチさん、聞いてよぉ。今日さ、帰る途中にタナカ先生に会ってさぁ」
話し始める鷹司に、俺の焦り、怒りはピークに達しつつあった。
「なんかくれたんだよね。ねぇ、これなんだと思う?」
そう言って、彼女は浴室の扉を開けようとする。
まてーッ!
待て、待て、待て、待てッ!
勝手に入るな。俺は今、正真正銘、男なんだぞ。こんなところ見られたら、どうなるんだ。
誰か助けろ! マジで助けろ。
誰でもいーから、俺を助けてくれ! 百万円ぐらい払ってやるぞ。
パリィィィン。
突然、どこからともなくお皿が割れるような、甲高い破裂音が響き渡った。
「あれ、台所?」
鷹司が驚いたような顔をして、
「ちょっと見てくるね」
と、言った。
フゥゥゥ。助かったぁ。
俺は心の底から安堵のため息を吐く。とりあえず、俺が男だってばれないですんだ。後は、脱衣場に放置してあるペンダント型宝具『UMT』をとって、俺の得意技その一たる『外見偽装』を発動させないといけない。
ガラガラと開く。
そして誰もいないことを確認すると、素早く飛び出し、俺の服をしまったカゴをがさがさとあさった。ってどこだ? どこやった。
小さいペンダントだからなぁ。服の間に挟まっちまったかな。くそッ! こんなことなら、ちゃんと 畳んでおけばよかったーッ!
ま、後悔は先に立たぬもので……。
しばらくガサゴソとあさっていると、あるではないか。紫色に輝く、我が秘宝『UMT』ちゃんが。
俺はそれを首にかけて、フゥと静かにため息を吐く。後は力を込めて『外見偽装』を発動させるだけ……。
すると。
「ふぅ。イチさんのペットさんが、ちょっとおイタして、皿割っちゃったんだって」
そんな風に言いながら、鷹司が戻ってきた。
……。
ばったり出くわす二人。
ばったり目を合わせてしまった二人。
男と女。
至極単純な組み合わせ。
目を白黒させて驚く鷹司。
どうしたらいいかわからん俺。絶望のあまり「終わった」って言葉が脳内にこだましていた俺。
すると……。
ピカァァァァァ!
突然、閃光が光った。
言っとくが、やったのは俺じゃない。すると、鷹司が力なく倒れた。気絶したらしい。
「早くしろ」
そう言って俺の側に駆け寄ってきたのは、ランだった。
「全く、お前はたわけか。UMTぐらい持って湯船に浸かってろよ。全く、俺っちがいろいろ手助けしてやったのに、結局見つかりやがってよ」
じろりと睨むように俺を見つめるランに、俺は「ははは」と笑った。まあ、仕方ないじゃないか。
「仕方ないじゃねぇよ。ま、とりあえず気絶したから、今見た光景は夢だったって思わせるしかない。どうせ、俺もお前さんも、記憶消去の術は得意じゃないんだ。関係ない記憶まで消しちゃったら、彼女に悪いからよ」
なんて言うランに、俺も静かに頷いた。
とりあえず、俺はゆっくりと『外見偽装』を発動し、少女の姿を取り戻した。そして、すっかり冷え切った湯水を拭い、服を着こんで、彼女を布団まで運んでいった。
「あ、あれ?」
目を覚ました。
鷹司はきょろきょろとあたりを見回している。
「わ、私……。あれ、確か、私、脱衣所で……」
そうさ。そこで俺のあられもない本性を見てしまったがために気絶させられたのさ。もちろん、そんな真実を彼女に告げるつもりはない。
「ああ、脱衣所にきて、タナカ先生からなんかもらったって話をしてる最中に倒れちゃってね。だから、私がここまで運んだのよ。重かったわ」
女言葉に注意しつつ、俺はあることないこと、勝手に吹き込んでやった。記憶を消せないなら、新たな記憶で塗りつぶしてしまえばいい。とでも言わんばかりの俺とランの作戦だった。
「え、あ、そうだっけ。確か、全裸の男の人がいたような……」
まずい! 覚えてやがる。
「ゆ、夢だよ、夢!」
俺は必死だった。
「男なんているわけないじゃん」
俺は付け加える。
「そ、そうだよね」
彼女はそれでもうーんと必死に唸りながら考えている。これじゃあ、本気で記憶消去の術をかけるしかないのかな。と思っていると、彼女の話題が突然変わった。
「そうそう。これが先生に貰ったものなんだけどね」
彼女が差し出したのは、小さな指輪だった。
きらきらと光る指輪。宝石は付いていないが、正真正銘、金でできているようだった。俺に言わせれば、趣味の悪い代物だ。
「って、それを先生からもらったのか?」
あいつはいったい何を考えているんだ? 生徒に、金製の指輪をプレゼントするなんて……。教師生徒間の不純異性交遊は断じて禁じられているはずだ。
「えへへー。私、先生に気に入られているのかな?」
楽しそうに笑う鷹司に、俺はハァとため息を吐いた。まあ、あの端正な顔立ち、若さ、モデルのような体格なら、女なら誰だって惚れるだろう。実際、わが学校内ではアイドルのような、カルト的人気を誇っている。
「やめといたほうがいいわよ。……先生と生徒の間に変な噂がたったら、お父さんの会長さんだってお困りになるから」
楽しそうに笑う鷹司を見ていると、なんだか無性に腹が立ってきた。しかも、あの負け惜しみ先公からのプレゼントに喜んでいるのだと思うと、尚更だ。
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