第4話 ニックネームはイチさん
「ねぇ、これどう思う?」
鷹司亜子が聞いてきた。
どう思うと問われて、こうですよと答えられるほど、俺は彼女と親しくない。それにだ。彼女は相変わらずの下着姿。俺には答えられるような精神的余力がない。
彼女は二着の服を持ち出して、どっちを着るか悩んでいるようだった。
「やっぱ、こっちのほうがいいかしら? それともこっちかしら? うーん、迷っちゃう」
迷うな。速攻で選べ!
服なんてどっちでもいーだろう。俺なんか、三秒で選んだんだぞ。着替えにかかった時間は五分もない。しかしこいつは……。着替え如きに何分かけてんだよ! それにだ。どっちの服も可愛らしい感じがするし、どっちも鷹司なら似合いそうだ。元がいいんだから、どんな服を着たって、モデル並みに似合うさ。
「こ、こっちでいーんじゃないかしら」
俺は仕方がないので、右の服を選んで指さしてやった。
「え、こっち! 私もこっちがいーと思ってたのよ。なんか、イチさんとはセンス合うね」
「そ、そうかしら」
ぎこちない女語で答えておくと、俺は静かにため息を吐いた。ってか、イチさんってやめてくれ。いつから俺はイチさんになったのだ。
あだ名らしい。俺が本名を明かした0.3秒後に、鷹司亜子が命名したニックネーム。
とにかく、鷹司はそこで下着までも脱ごうとしたので、俺は仕方なく「トイレに行く」と言ってトイレに逃げ込んだ。本来なら、あられもない下着姿となった時点で逃げ出すべきなのかもしれないが……。しかし、露骨に裸を避けて逃げ続けると、変に疑われるかもしれない。俺が男であるとばれるわけにはいかないのだ。とはいえ、下着姿まではまだ我慢できるが、全裸になられたら、俺のリビドーがおさまらない。だから逃げるのだ。俺のリビドーが爆発して暴走しちまったら、取り返しがつかんからね。
それはともかくトイレに入り、便座の上に腰かけていると、なんとなくそばにあった鏡に目をやった。
そこにいるのは、確かに俺……、なんだけど、俺じゃない。髪はすらっと伸びていて、女優のように整った顔立ち。スマートな体に、出るべきところはしっかりと出ている。
俺が理想だと思っている女像そのまんまの姿が、鏡にはしっかりと映し出されていた。
「けッ。お前さんもご苦労なこったな」
そんな様を見て、ランはにたにたと笑っていた。
「煩い。俺だって好きでこんな格好になってるわけじゃねぇ。任務だよ、任務!」
「くっくくく。任務ねぇ。けど、お前さんも満更じゃないんだろ? 何しろ、ハーレムみたいなもんじゃねぇか。右も左も上も下も、ぜーんぶ女子ばっか! あんなかわいこちゃんと一つ屋根の下で暮らせるんだぜ」
ハーレム、ねぇ。
ま、確かにそうかもしれない。女っ気なんてほとんどない殺伐とした毎日を過ごしてきた俺にとっては、本来天国のような世界なのかもしれない。
だが、毎日登校するたびに、言いようのないアウェー感を感じている俺の身にもなれ。
「そうか? アウェー感っていうほど、お前にとってアウェーな場でもないと思うが。何せ、学校じゃもうずいぶん多くの女子連中と親しくなったっていうじゃないか」
い、いや、それはだな。
「ま、たかが任務だけど、楽しめや。どうせ、一生二度とはこない学校生活だぜ。変装技術とカメレオンモードが使えるお前の能力が認められて与えられた、またとない学生生活なんだぞ。思い切り楽しんで、思い切り遊べや」
ランはぶっきら棒にそう言って、かっかっかと笑った。俺は煩いハムスターの口を強引につぐむと、そろそろいいだろうと思って外へ出た。無論、別に用を足したわけではないけれど、偽装工作として水を流すことも忘れない。ジャァァァって音がないと、トイレに逃げ込んだ理由を疑われかねないからな。
その日は休日だった。
ってわけで、俺は鷹司と街中を歩いているわけだが……。
普通だったらデートなんだろう。けど、そう感じられないのは、俺の容姿のせいに違いない。何しろ女だ。中身はともあれ、今の俺の姿形は紛れもなく女なのだった。もし俺が第三者の立場で、女同士二人つるんで歩いている姿を見たら、普通それはデートじゃなくて、ただの友人同士が遊んでいるだけだと思うだろう。それが普通であって、俺の心がどれだけ緊張の余りに高鳴ろうと、どぎまぎしようと、誰もそれに気づいてくれないことは仕方がないのだ。そんな俺の何ともいえぬ気持ちを察してくれているはずのパートナーたる小動物は、さっきからずっと俺の左ポケットの中で静かに眠っているしな。あ、そうそう。それと、鷹司のほうも、別にレズ的趣味があるわけじゃない、至って普通の女子であり、女である俺に心をときめかしたりするようなことはないようだった。まあ、そのほうが俺も気楽だからいーんだけどよ。
そんなことを考えながら、なんとなく歩いていると、途中、何度もナンパされたりした。耳にピアス、頭を金色に染めた、ありがちな不良のあんちゃんたちを見るたび、俺はうんざりとした。
「ねぇ、ちょっとお茶しない?」
なんか古めかしい口説き文句だが、
「しない」
俺はいつもきっぱりと断ることにしている。何が楽しくて、初対面の男とお茶をしなけりゃいかんのだ。
「そんな釣れないこと言わないでさ。そっちの娘もどう?」
鷹司のほうに目をやって、そいつらは下品な視線を彼女に浴びせた。ニタニタとうすら笑いを浮かべるこいつらを見ていると、俺の我慢はみるみるうちに限界寸前に達しようとしていた。俺はこういうちゃらちゃらした男が大っ嫌いなのだ。かといって、鷹司の目の前で目立つ能力を発動するわけにもいかないしなぁ……、なんてひとしきり考え、ふとよいことを思いついたので、俺はぽんと手を叩いた。そして、
「君たちは今すぐ家に帰りたくなる」
と、言った。目を閉じ、吐き出す言葉に力を込める。
「そして、君たちはすぐに自分の人生を考え直したくなる」
さらに続ける。
「考え直したら、すぐに髪の毛を元に戻し、ピアスを外して学校に行きたくなる」
そこまで言って、俺はようやく口を止めた。すると……。
「俺たちは今すぐ家に帰りたくなる」
「そして人生を考え直したくなる」
「髪の毛を戻して、ピアスを外して、学校に行きたくなる」
立て続けに、彼らはオウム返しのように答えてきた。そして、俺が合図すると、そいつらは逃げ出すように俺たちの前から消えてしまった。
「ねぇ、あれ、どうやったの?」
喫茶店に入った俺たちは、窓際の席でコーヒーなど飲んでいる。おもむろに鷹司亜子が不思議そうな顔をして尋ねてきたので、
「あれ? 俺……、わ、私の特殊スキル」
と、答えておいた。こういうときは無駄な言い訳はせず、真面目に答えてやるのが一番なのさ。どうせ理解できないんだから。真面目顔で、とんでも話をしてやったら、それが真実だとしても、普通の人は絶対信じない。
「特殊スキルってなに?」
やはり鷹司は笑っている。信じていない証拠だ。
「特殊能力だよ」
俺は平然と答えてやる。無論、その後で、舌を出し、笑うことも忘れない。嘘だよって証だ! 本当は嘘じゃないけどね。
しばらくコーヒーを飲んで、ぐだぐだと時間を潰すと、俺たちは、今度は映画館に向かって、今はやりのアクション映画を見た。ありがちな、ド派手なアクション物に過ぎないのだろうと思ってみてみると、これがなかなか、見事な出来で、俺など、要所要所でしきりにガッツポーズをとったり、「よしッ!」と叫んだりと、興奮の余り、今更ながらに振り返ってみると随分恥ずかしい真似をしていた。元々、昔からアクション映画は好きだったのだけれど、その思いの念をますます強くしたね。
そんな俺の様に、少しばかり驚いたのだろう。鷹司は帰り際にこう言った。
「なんか、イチさんって男の子っぽいよね」
げげげげッ!
まじかよ。俺、疑われてる?
「でも、かっこよくていいな。キレイカッコいい、みたいな?」
キレイカッコいい? なんだそりゃ?
いや、とにかく別に疑われてはいないようだ。カッコいい、ってニュアンスが微妙だが、まあ疑われていないならいいだろう。男の子っぽい女の子なら、まだ組織も許してくれるだろう。もし、これが女の子じゃなくて男の子って事実が判明したりしたら、報酬がパァァだからな。
とはいえ、これからはもっと気をつけねばなるまい。これ以上男の子っぽいよね、なんて思われ続けたら、いずれ俺=男ってことが判明してしまうきっかけになるかもしれない。
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