アフターストーリー:前編
アレク様との婚約が落ち着き、平凡な日常がやってきた、ある日のこと。
順調に体調が回復しているラルフ様が、散歩に行きたいと訴える子犬のような目で見つめてくるようになった。
ラルフ様の中で、私は『担当薬師』から『お義姉さん』に認識が変わり始めているんだろう。元々仲が良かったこともあり、早くも私に甘えてきている。
でも、期待に応えてあげるのは難しかった。
ちょっとくらいはいいか、という軽い気持ちで外出を許可すると、体調が悪化してしまうかもしれない。感情に流されることなく、慎重に判断する必要がある。
お義姉さんらしいところ見せてあげたい気持ちと、このままストレスをかけ続けたくない薬師の思いが重なり、頭を悩ませてばかりだった。
そんな時、友人のセレス様にランチのお誘いを受けた私は、これが絶好の機会だと思った。
回復魔術師のセレス様が同行してくれるなら、体調が悪化する確率をグッと減らせるだろう。万が一の時にも適切な対処ができるため、必要以上に心配しなくてもいい。
ましてや、最初にラルフ様の体調が悪化した時、回復魔法で命を繋いでくれたのは、セレス様である。二人とも面識があるとなれば、変に気遣うこともなく、のびのびとしたランチが過ごせるはず。
早速、セレス様に事情を説明すると、二つ返事で了承して、わざわざ食事会の招待状まで書いてくれた。
優しいセレス様らしい気遣いに、友達として鼻が高い。ラルフ様も喜んでくれたので、とても良い日になるだろう。
セレス様の屋敷に招かれた日がやってくると、私とラルフ様は遠慮なくお邪魔させてもらった。
ベッドの上で生活していたラルフ様のために、日当たりの良い庭を選んでくれるあたり、セレス様の気遣いを感じる。今は三人でテーブルを囲んで、ハンバーグランチを楽しんでいるところだった。
「本当に元気になったのね、ラルフくん」
「ニーナ先生とセレス様のおかげです。本当にありがとうございます」
「わ、私は別に何もしてないわよ」
ずっとお礼が言いたかったラルフ様に満面の笑みを向けられ、早くもセレス様は盛大に照れていた。
どれくらい照れているかと言うと「別に普通のことよ。何も特別なことはしていないわ。本当に気にしないで」と、とても早口で話している。
珍しく慌てるようにハンバーグを口にする姿は、貴族らしいというより、普通の女の子にしか見えない。
「セレス様って、お礼を言われるのに弱いんですね」
「は、はあ? 別にそんなことないわよ。貴族にはよくあることだもの」
フンッとそっぽを向くセレス様を見て、私とラルフ様は顔を合わせて笑ってしまった。
確かに、感謝の気持ちを伝えられる機会は多いかもしれない。でも、それだけでセレス様がここまで照れるところは見たことがなかった。
そして、ラルフ様がこんなにも楽しそうにしている姿を見るのも初めてだ。
なんだかんだで二人とも、今まで気にかけて過ごしていたのかもしれない。
魔術師として助けられなかったと思うセレス様と、命を繋いで助けてもらったと思うラルフ様。
長い時間を経て、久しぶりに再会した二人の距離は急速に縮まっている気がした。
「あぁー……。無理して食べなくてもいいわよ」
「いえ、無理はしていません。健康になるためにも、人並み程度に食べることを推奨されています」
「そうなのね。半分くらいは残すのかと思っていたわ」
「少し前までは残していたと思います。でも、最近は兄さんやニーナ先生と食卓を囲む機会も増えてきて、食欲も出てきました」
「ベッドの上で寂しく一人で食べるよりは楽しいものね。こうして見ていると、他の男の子とほとんど変わらないわ」
そう言ったセレス様は、とても優しい表情を浮かべて、ラルフ様が食事する姿をボーッと眺めていた。
気のせいかもしれないが、セレス様の眼差しがとても温かく感じる。私と話している時よりも、なんて言うんだろう……母性が溢れているというか、滲み出ているというか。
この会話に割って入るべきなのか、少し躊躇してしまうほど、良い雰囲気になっていた。
「ラルフ様には行動制限がかかっていますけど、屋敷内は普通に過ごしていますよ。ほらっ、私よりもナイフの使い方が上手です」
「ニーナはもっと練習しなさい。全然使えていないわ」
私に向けられる母性は、ちょっぴり厳しい気がする。英才教育をしようとしている母親っぽい雰囲気があった。
「一応、これでも頑張って練習してるんですよ。その影響で、最近はお腹周りが気になり始めまして……」
今後はアレク様と一緒に社交界に出なければならないので、貴族のマナーを勉強中である。しかし、道のりは非常に険しい。
グリムガル家にお邪魔する度、栄養満点の食事をしていたら……うぐっ。今まで満足に食事もできない貧困生活を送っていた反動で、体が必要以上に吸収しようとして、無駄な贅肉をつけ始めているのだ。
私には無縁の悩みだと思っていたのに、今ではハンバーグの最後の一口に対して、罪悪感を抱きながら食べている。
背徳感というスパイスが、またそれはそれでおいしいのだが。
「人の身というのは不便ですね。まさかこんなにも簡単に体重が増えるとは……」
「あんたの種族は何なの? 貧乏神でもあるまいし」
「……!!!!!!」
「いや、知らないわよ! そうだったの? みたいな顔で見るのはやめてちょうだい!」
「あ、焦りました。思い当たる節がありすぎて、本当に貧乏神なのかと思ってしまいましたよ」
ふぅー、危ない危ない。なーんて思って食事している間にも、セレス様はラルフ様に話題を振って、色々話をしてくれていた。
そんな友人の姿を見て、私は思った。
いつにも増してセレス様が優しすぎる、と。
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