間話 第56億7828回 従属神会議
※ この話は、神々の制約により、まだ大和と面識のない神の名は匿名でお贈りしております。
刻は少しばかり遡る。
「大変ですヴリュンヒルデさま! 地上に、ダンジョンの口が開きました!!」
駆け込んできたのは、下位の戦女神。
「馬鹿な!? 早すぎる!」
輝緑の甲を纏った次席戦女神がヴリュンヒルデの右脇で声を荒らげた。
「どういうことか! これまでは千年は掛かったはず。何故こんなにも早く……」
「狼狽えるな!」
ヴリュンヒルデは、玉座を思わせる壮麗な椅子に腰掛けたまま、手にした剣の鞘尻を床に打ち付けた。
この場はヴリュンヒルデの神殿域。
前回の従属神会議の会場となった部屋である。
「だが確かに、この度の魔族の動きは速いですね。地上の邪気の総量はこれまでと変わった様子は見られない。ということは、魔界で大量の邪気を得る何らかの出来事があったと考えるべきでしょう。エルトーラに現れたルチアと名乗った使徒の存在を見ても、この度は魔神の軍勢の動きが速すぎます」
ヴリュンヒルデは、自身の前で膝をつく戦女神に視線を向ける。
「眷属たちに呼びかけを。これより我らは臨戦態勢に入ります。地上の神官、巫女たちにも神託をなさい。ダンジョン攻略の準備を進めるようにと」
「ハッ、直ちに!」
ヴリュンヒルデの命を受けると、下位の戦女神は素早く部屋から駆け出していった。
「次席、従属神会議の連絡を……」
『連絡はすでに儂がつけたわい。ヴリュンヒルデよ、この度の会議は儂の神殿域でおこなわせてもらうぞ。足労かけるが、こちらまで出向いてくれぬかのぅ』
ヴリュンヒルデの言葉を遮るように識神の言葉が部屋の中に響いた。
それと同時に部屋の隅の設けられた転移陣が淡く発光をはじめる。
「識神さま、無礼ではありませんか! 我らの了承を得ずに転移陣を操作するなど!」
自分たちが設置した転移陣。それを外部から操作され、次席戦女神が怒気をあらわにした。
『おおぅ次席。悪い悪い。儂の悪いクセじゃ。許せ』
謝罪はしたものの、識神の言葉は軽い調子だ。
その言葉にさらに表情を硬くした次席戦女神を、ヴリュンヒルデは片手を軽く上げて制した。
「今は火急の折りですので大目にみます。ですが、いつの間に我が転移陣の封印を解いたのですか」
ヴリュンヒルデの言葉は静かだ。だがその瞳は怜悧に光っていた。
『ふむ、先だっての会議の折にのう、儂以外にそうそう解くことはできぬとは思うが、我ら神々の軍勢の要衝じゃ。いま少し封印の強化をしたほうがよかろうて』
識神の声にはどこかいたずらじみた調子だ。
「そうですね。ご指摘いただきましたことについては感謝いたします。――ですが識神どのにも、言の葉という叡智がおありのはず。バルバロイや築神でもありますまいに、あまりにも児戯が過ぎます」
『そう嫌みを云うでない。じゃが実際に封印を破られれば、おぬしらの心構えも一層高まるのではないかと思ったのじゃ』
「……そういうことにしておきましょう。ここで不毛な言葉を交わしていても詮無きこと。これからそちらに向かいます。――次席。私がいないあいだ、神殿域のことはおねがいします。それから、転移陣の封印の強化を任せます」
「確かに承りました。ヴリュンヒルデさま」
次席戦女神の返答を確認すると、ヴリュンヒルデは玉座から立ち上がる。
そして識神が起動した転移陣に進むと、発光する転移陣の上に立った。
次の瞬間、虹色の光彩が立ち上がるとヴリュンヒルデの身体を包み込んだ。
眼前の虹の光壁が弾けるように消えてゆくと、そこはすでに識神の神殿内であった。
転移陣が消えた途端、どこか乾いたカビ臭い匂いがわずかに漂よった。
そこは巨大な書庫。
壁面をぐるりと書架が並ぶ。
その中には膨大な数の本が所蔵されていた。
ここは、この世界の叡智すべてが納められる知の収集所だ。
ヴリュンヒルデが現れた目の前には、長大なテーブルが二本並んでいる。
ここは、本来書物の閲覧のための場所である。
いまこの場所には、森獣神シュアルや闘神バルバロイ、さらに築神や陽行神を含めた上位神はもちろんのこと、サテラを含めた中位から下位の神々まで、多くの神が並び立っていた。
「皆そろったようじゃのう……、では掛けてくれ」
部屋の奥、二本のテーブルの端に立った識神が着座をうながした。
識神は、この場に集った神々が腰を下ろすのを確認すると言葉を紡ぐ。
「すでに多くの者たちは聞き及んでおろうが、地上にダンジョンの口が開きおった」
多くの神々は、険しい表情を隠さずに識神を見詰めている。
「まさか、そんな……前回の大崩壊よりいまだ三〇〇年ほど、いくらなんでも早すぎませんか……」
その報告を受けていなかったのか、陽行神が愕然とした表情を浮かべる。ほかの何柱かの神々も同じような反応だ。
「確かにのう……しかもじゃ。その数が問題でのぅ、三一箇所……」
「なッ!? 馬鹿な!!」
バルバロイや築神など、血気盛んな神々が椅子をガタつかせて立ち上がる。
これには声を上げた神々はもちろん、報告を受けていた神たちにも驚きが広がった。
「いくらなんでもその数は……。識神さまのこと、間違でないとは思いますが――何故このようなことに……」
驚愕から立ち直ったシュアルは、目を伏せて小さく首を振った。
「此度の魔神軍勢の動き、これまでの三度の動きとはあきらかに違うておる。ひと月ほど前に確認された使徒も、もう何年も前から活動しておったようじゃ。儂も制約によって魔界を覗き見ることは禁じられておるしのう。じゃがそればかりを云うておってもしかたあるまい。地上の神官や巫女には早急に働いてもらわねばならぬ」
識神は、自身の前に列ぶ神々をゆっくりと見まわした。すると、ヴリュンヒルデが軽く手を上げて言葉を発する。
「サテラ、識神どの。――代理どのはまだ見つかっていないのですか?」
識神と、その背後に控えているサテラに静かに視線を向ける。
ヴリュンヒルデの問い掛けに、サテラが一歩進み出て口を開く。
「かの者が地上に降臨した地点はおおよそ判明しました。しかしその後どこに向かったのか――、変幻を使っているらしく、かの者らしき人物を見掛けた者も見つかっておりません」
「儂も、その近辺の街や村を覗き見てみたのじゃがのう……」
「識神どのでも見つけられないとは、困りましたね。――サテラ、主神は代理どのに、魔神と我々の戦いについて、説明をしたのですか?」
「私たちと敵対する魔神の勢力があることは……ですがこのマニュアルとやらには、ダンジョンの口が開くまでは、その詳細についてかの者に語ることを封じる力が働いていました」
サテラは、倉界から取りだした分厚い本を示す。
「つまりは説明は成されていないということですね。主神も事がこれほど早く進むとは考えてはいなかったのでしょう。……これまででしたらあと七〇〇年ほどの猶予があったわけですしね」
「だがよう、魔神の軍勢が動き出したんだ、そうも言っていられねえだろ――ええっ? 魔神の軍勢に代理のヤロウの首を落されたらよう、地上の支配権を魔神に奪われちまうんだぜ。主神の奴ならいざ知らず、ダンジョンが口を開いた以上。代理のヤロウを地上に降臨させておくのは危険すぎるだろッ!」
立ち上がったままの築神が、ダンッとテーブルに両腕を叩きつける
「落ち着け築神。ヤロウも主神の奴に選ばれただけのことはある奴だ。まあ少しばかりお人好しで巻き込まれ体質のヤロウだがな」
「馬鹿ですか――バルバロイ。周りを見てみなさい!」
ヴリュンヒルデから叱責が飛んだ。
バルバロイは築神を鎮めるつもりで口を開いたのかもしれない。だが彼の言葉を聞いた神々は、逆に不安の色合いを強めている。
「代理どのについては、今ここでどう云うてもしかたあるまい。皆には先ほど云うたとおり、己の神職や巫女たちに迷宮の攻略をはじめさせるよう取り図うてくれぬか。またこれらの場所に近い国を守護する神には軍を動かす準備も忘れぬようにのう」
識神が話しを進めながら、二本のテーブルの上空に巨大なテラフを出現させた。そのテラフの大地の上に、三一箇所の光点が瞬いている。光点は多くの神々が活動している大陸に偏っている。だが、中には人のほとんど住んでいない小さな島にも存在していた。
「取りこぼしは無いとは思うが、いまのところ儂に確認できたのはこれだけじゃ」
投影されたテラフの映像を目にした陽行神が静かに口を開く。
「こうして目にしますと、空恐ろしく感じますね。魔界で何が起きているのか……どちらに致しましても、地上の子供たちには大きな試練が始まりますね」
それは――神々の戦い。
その舞台となる地上において、幕開けを告げる異変であった。
従属神会議が終わり、いまこの場には識神とヴリュンヒルデが残っていた。
「識神どのあの場では代理どのの居場所を掴んでいないとおっしゃっていましたが――本当ですか?」
ヴリュンヒルデは、定められた席から立ち上がると、その怜悧な瞳を識神に向けた。
識神は何かを諦めたように息を吐く。
「ふむ、やはりお主はごまかせんか」
「あの場で言葉を濁していたので。では代理どのの居場所に心当たりがおありなのですね」
「おおよそはのう。しかし、今のあの者をこのまま天界に戻しては、この先支障が出るのではないかと思うたのじゃ」
「……確かにそうですね。サテラの云うとおり代理どのが戦の無い平和な世界からやってきたのなら、彼の抱えた心の傷は、簡単に癒えるものではないでしょう。ですが良いのですか? 確かに今の代理どのならば、魔の者たちにもその素性を掴まれることは無いでしょう。しかし危険であることは確かです」
「それについては儂が見守っておる。何かあればサテラに知らせるわい。それにサテラでどうにかなりそうに無ければ、儂が動こう」
「ならば代理どのについては、識神どのとサテラにお任せします。私はこの先に起こるであろう魔神の軍勢との戦いに備えます」
ヴリュンヒルデは、凜と背筋を伸ばすと踵を返し識神が動作させた転移陣の上へと足を進めた。
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