森林の散歩をしたら、狙われました。
「女将さんに、森に行くって言ってこなかったけど……まっ、大丈夫だよな」
微妙に、首筋に薄ら寒いものを感じたりするのだが……
「キロ~~~~ッ」
うん、キロも大丈夫だと言っている……っぽい?
「でも、失敗したな~。一昨日の雨でまだ下がぬかるんでる」
俺は、森に入ったところで拾った枝で、ぬかるんだ地面を軽く突いた。枝先を引き上げると突いた地面の穴に水が滲み出てくる。
森に入ってから革靴の底にじんわりと水が滲む何ともいえない不快感を感じてたけど、ここまで水はけの悪い場所だったとは。
「キロ~~~ッ!」
「まあ、キロは気持ちいいよな。両生類だもんな」
目を細めてこちらを見るキロの顔はニンマリとしているように見えて、とても気持ちよさそうだ。
キロはおれの歩調に合わせるように、のっそりのっそりとぬかるんだ足下に下腹を擦り付けて進んでいる。
このように歩ませると鈍重に感じるキロだが、跳ねれば凄いんだよ!
いや、マジで。俺の頭どころか、ひと跳ね三〇〇メートル! ……は言い過ぎだが三〇メートルは飛び跳ねるのだ。初めて見たときにはそれは驚きましたともさ。
体格と重量を考えるといささか納得いかない部分もある。だが神やドラゴンがいる世界だ。
いまさらだよね。
「今日はちょっと奥までいってみようか」
俺は、完全に水が滲んでしまった革靴の不快感に、毒を食らわば皿まで気味に開き直っていた。
まあ足もとの不自由ささえ無視していれば、湿度は高いが鬱蒼とした森の中は暑さを感じさせず、うっすらとした肌寒さは心地よい。
「キロ! キロ~~~!!」
鳴くなり、キロが大砲から打ち出された砲弾のように飛び出して行ってしまった。
俺とは違いキロはテンションMAXです。
「ああッ、こらッ! ひとりで先に行かない!!」
一匹だろ! という脳内のセルフ突っ込みはとりあえず無視して、俺はキロを追いかける。
さきほども言ったとおりキロのひと跳ねはシャレにならない飛距離なのだ。
ぬかるんだ足もとに踏ん張りがきかず俺の出足が遅れたのでみるみるうちにキロとの距離が離れていく。
「キロキロキロ、キロ~~~~!!」
キロはといえば、「ほほほっ、捕まえてごらんなさ~い」とでもいう感じだ。
ああ見えても、いちおう彼女、乙女ですからね。
しかし森に入ったときにはおとなしくしていたのに、久し振りにほんらいの生息域に入ったからか抑えが効かなくなってしまったようだ。キロのあのハイテンションぶりははじめて見た気がする。
村にやっかいになってからキロを森に連れてきたのは数回ほどだが、考えてみると雨のあとにこの森に入ったのは今回がはじめてだった。
女将さんに訊いたところ、ペモガエルはオタマジャクシから変態後は、ほぼ陸上で生活する種だという。だが湿気の多いところが好きなところは、俺の知る普通のカエルと変わらない。
普段は本来牛小屋だったらしい納屋に大桶を持ち込んで水を張って置いてある。
時間があるときは、近場の小川に連れて行ったりしているのだ。
「……ここなら人目はないよな。――良し!」
辺りを見回した俺は、滑る地面を走るのを諦め、ひと跳ねすると木の幹を蹴って枝の上に飛び乗った。
「あ~~っ、キロのやつ、もうあんなところまで」
図体が大きいこともあって確認できる。
キロは豆粒大に見えるくらい遠くまで進んでしまっていた。
「行くぞ!」
俺は、枝を蹴るとそのまま、枝の上を飛ぶように掛け進む。気分はまさに忍者だ。
思ったとおり木の表面は乾いていて、地表よりも足元は確かだ。
まあ、こんな移動方法は普通の人間には無理なんだけどね。……なにしろ大亀の甲羅でも背負わされかねない勢いで、修行をさせられた身ですので。
相も変わらず、靴の中は水が染みこみグジュグジュと不快感を増大させている。
だが足にフィットした革製の編み上げブーツは、その水気のおかげで革が柔らかくなっていて、かえって木の枝表面の凹凸を、素足のように感じることができた。
地表を気持ちよさそうに飛び跳ねるキロの動きは本能的で、巧みに進路の障害物を避けている。
俺は、木の上をできるだけ直線的にキロに向かって跳ね進んだ。
ヒュン!
という弦をはじいたような音が突如林の中に響いた。
林の合間から差し込む日の光に照らされた何かがキラキラと光りながらキロに向かって飛んでいく。
あれは――矢!?
「キロ! 避けろーーーーーーーーーーー!!」
叫ぶなり、俺は飛び移る次の木の幹を思い切り蹴った。とたん背後でバキャリッ!! という破砕音響いた。
「キローーーーー!!」
クッ、だめだ。
背後で響いた破砕音。それは足場にした木が爆ぜた音だ。
焦ったあまりうっかり幹を全力で蹴ってしまった。
そのため、身体を前に進める力が足りず、キロに向かう矢に追いつけない。
ビロ~~~~~~ン! クリンッ!
「ヘッ?!」
キロに矢が刺さることを予想した俺の悲壮感をよそに。
叫び声に反応して、こちらに振り向いたキロが、舌をビョローンと伸ばすと矢を器用に舌先で巻き取った。
パクッ! ……モゴモゴ、モゴモゴ……ペッ!
………………
いや、キロ?
食べられないって吐き出したけど、いまとりあえず味わったよね!?
……うん、まあ無事だったから良いけど……。
なんだろうこの納得いかない感は……。
いや、それよりも。
「そこか!!」
俺はキロが吐き出した矢先を拾い上げると、そのままこの矢が放たれた辺りを目掛けて思いっきり投げ返した。
矢先は三〇メートルほど離れた大木を穿つ。
人が隠れるには充分な大木の太い枝、その付け根が矢先に穿たれ音もなく消失した。
「ワアッ!」
という声とともに、枝が地面に落下する。
濛々と茂った枝葉の陰に隠れ、正確に判別はつかないが、声とチラリと見えた人影から、キロに向かって弓を射たのはまだ若い男のようだ。
気配を殺して獲物を狙っていたのか、男が矢を放つまで全く気付かなかった。靴の中の不快な水気に意識が向きすぎていた。
キロに怪我を負わせるようなことはなかったものの、俺のいた世界――平和な日本とは違うと、事あるごとに意識はしているんだが、トラブルは気を抜いたときにやってくる。
「キロ~~~!!」
鳴くなりキロが男に向かって飛び跳ねた。
「うわ~ッ! クソッ、離せ! 化けガエル!! 離せ!」
ひと跳ねで男との距離を詰めたキロが、水かきの手を大きく広げて男を押さえつけた。
男はじたばたと暴れている。だがキロの重みとぬかるんだ地面に手足を滑らせて、逃げることができずにいる。
キロに遅れて近づいた俺は、抑えられている男の顔を覗き込んだ。
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