ペルカがんばる!(前)
その日、日課となった爪牙闘士の修行を終えたペルカは、狼人族の村から数キロ下った場所にある滝で滝行をしていた。
この辺りまで降りてくると、植生は一気に増えて緑が濃くなる。
季節も、もっとも暑い時期を過ぎて、ここ数日の空気には清々しい涼しさが紛れている。
南方の暖かい海から生まれた雲が、冬に向かう昼夜の寒暖差の影響で短い雨期をもたらし、森に恵みを与えていた。
森から滝壺に抜ける道は、もともと獣道と判別のつかないものだったのだが、滝行をはじめたペルカが休むことなくこの道を通ったことによって下生えが踏み固められて、以前とは比べものにならないほど、楽に人の行き来ができる道となっていた。
通り抜けてきた森には、むせ返るような濃い緑の匂いが辺り一面に広がっていた。
しかし、いまペルカのいる滝壺には、水に含まれた鉱物や苔などの匂いのほうが強くたちこめている。
これは、雨期の影響で水量が増し、四〇メートルほどの高さから落ちてきた水が、下の岩場に叩きつけられて細かい霧のようになって広がっているからだった。
滝に打たれるペルカの肉体は、一五才になり狼人族の大人として完成の域に近づいている。だが、この水量の滝に打たれるための気構えは並大抵のものではない。
この滝行は、もともとヤマトとのたわいもない話のなかから産まれたペルカなりの巫女の修行法だった。
狼人族には、もう何代も巫女などの神職が存在しなかったために、巫女の修行法を知るものが居なかったことがその原因だった。
だがこの滝行、始めてみるとさまざまな有用性があることが分かった。
水の冷たさ、高い位置から落ちる水の圧力、滝の轟音などある種の肉体的極限状態を生み出すことによって生命力が活性化するのだ。そして、最も優れている点は滝の中というその極限状態で瞑想することにより集中力が大幅に増すということだった。
冬には身を切るほどの冷たさで、それこそ本当に死をすぐ身近に感じるほどの状態になる。
しかしこの滝行をするようになってからのこの二年、ペルカは自分の中の力が目に見えて増していくのを実感していた。
瞑想を続けるペルカは、突然物凄い勢いでこの場に近づく強い力を感じた。それは狼人族の村の方向からやって来た。
このような知覚は以前にはできなかったものだ。しかも近づいてくるこの力の感覚……ペルカには覚えがあった。
ペルカは急いで滝から出ると、水に濡れた肢体に纏わりつく白い修行服を脱ぎ捨てて、素早く身体を拭きあげ、普段着である管頭衣を着用した。
「――久しぶりですねペルカ」
ペルカが服を着たそのタイミングを待っていたように近場にある巨大な岩の上から声が掛かった。
「お久しぶりなのです、サテラさま」
そこに立っていたのは、ペルカが仕える神、ヤマトの補佐という戦女神だ。
ペルカがサテラと顔を合わせたのは、ヤマトの神殿が完成した後にヤマトと共にやって来たとき以来のことだった。ヤマト自身はあの後数回ロンダン村にやって来ていたのだが。
「済みませんが急ぎます。ついてきてください」
挨拶もそこそこに、サテラはペルカに同行を要請した。その言葉と態度には深い焦燥感が滲んでいる。
「どうしたのですかサテラさま?」
「道中で説明します! 急ぎますヤマトのためなのです!」
「ヤマトさんの! ……判りました。でも、村の誰かに伝えていかないと……」
「こちらに来るまえにアナタの両親には、連れ出すと伝えてきました。――行きますよ!」
言うなり、サテラは強引にペルカの手を取る。
その瞬間ふたりはまばゆい光球に包まれた。
光球はそのまま空高く急上昇すると高速で西に向かって飛行をはじめた。
「ヤマトさん、どうしたのですか!?」
ペルカはサテラの腕に縋付くようにして問い詰めた。
相手が神であることも、自分が淡い光を放つ光球に囚われ、足下には確かな感覚はあるものの、地面が遙か下方に見える状態。しかも鳥が飛行する速度を遙かに超えて進んでいくいまの状況もまったく頭にないようだ。
サテラがペルカに対して一瞬眉根を寄せたが、思い直したように口を開いた。
ペルカはヤマトのことに心を奪われていたのでサテラのその表情を見逃した。
サテラはペルカが縋付いてきたことよりも、彼女が自身の仕える神の事をさん付けで呼んだことが気になったのだ。しかしヤマトならば自分から呼ばせているのだろうと思い直したのだ。
だが、ペルカがサテラのその表情を見ていたとしてもいまの彼女にはそのことに気付く余裕はなかった。
「ヤマトはいま、西にあるエルトーラという都市にいます。我々神族に敵対する魔神の眷属が関係した出来事に巻き込まれたらしいのです」
「……魔神の眷属……」
ペルカの脳裏にヤマトやサテラと出会ったときの事件が浮かぶ。
身体は先ほど拭いたはずだが、急に体温が奪われたような悪寒に見舞われブルリと身体が震える。
「……ヤマトさんは、また魔のモノと戦うのですか?」
あのアースドラゴンと対峙したとき、生気を吸われ朦朧とした状態になっていたが、ハッキリと覚えていることがある。それは、成体となったアースドラゴンがヤマトの腹を貫いた瞬間だった。
ペルカがヤマトの巫女になった後、爪牙闘士の修行をはじめたのは、あのときの記憶が大きく影響していた。
自分たちの一族を助けてくれたヤマトの役に立ちたい。それは、彼の巫女だからというだけではない。ペルカはヤマトが戦うときその傍らに居たいと思ったのだ。自分が仕える神に対して不遜だと言われるかも知れない。でもそう思ってしまったのだからペルカは行動を開始したのだった。
「今日、これから戦う事になるようなのです」
先程からのサテラの返答は、どこか要領を得ないものだ。
「サテラさまは、ヤマトさんと一緒に行動していたのではないのですか?」
問われたサテラの顔に怒りとも悔いとも見えない何ともいえない表情が浮かぶ。
「先ほど言ったエルトーラという都市ですが、現在は強力な結界に阻まれています。ヤマトを連れて行った神が張った結界で、本来はその都市にいる魔のモノを捕えておくために張られたものらしいのです。その副作用で、今は強い力を持つものはその結界の中に入ることができません」
「そのような場所で、ワタシなどがお役に立てるのですか?」
確かに、ヤマトに何か事があったときには、その傍らに居たいと思い修行をしてきた。だがそれが現実になったとき、迷いなくその傍らに駆けていけるほどの自信はまだ持っていなかった。それに今の話を聞く限り、自分は力を持っていないと言われたようなものだ。そんな自分が役に立つのだろうか?
「識神さまの話では、ひとつ方法が有るそうです」
「………………」
「……そうですね。このような言い方では判りませんね。エルトーラまでは暫し時間が掛かります。少し詳しく話しましょう」
自分の思いに入りこんでいたペルカの沈黙を、説明が性急だったと勘違いしたサテラが説明をはじめた。
「今回の出来事の、ある意味原因でもある神がヤマトを連れ去った後、私はそう間を置かずエルトーラの近くに降臨しました。しかし先ほども言ったように強い力を持ったものは結界内には入れない。私も神としての力を最小限まで抑えて降臨したのですが……神にしろ魔にしろ、いえ、いま考えてみれば、むしろそのような力を持つものを対象にした結界だったのでしょう……」
言葉を区切ると、サテラは何かを思い出したように、少し恥ずかしそうな雰囲気を振りまく。
「サテラさま? どうしたのですぅ?」
「……いえ、我ながら未熟といいますか、地上に降臨したときの事情から少々意固地になっていたのです。街を出入りする者たちからヤマトの様子は聞くことができたので、天界に接触せずに自分の力で結界内に入れないかと足掻いてみたのです。しかし力がおよびませんでした。結局事態が切迫してしまっために、恥を忍んで天界と連絡をとりました。その結果、事態を見守っていた識神さまから、エルトーラで起こっている詳しい事情を聞くことができたのです。それで今日これから、魔に堕ち、使徒と化そうとしている者と、ヤマトが戦うのだと分かりました。そしてこの結界内に入るため、ひとつの方法を教えられたのです」
そう告白したサテラは、ペルカに説明しながらも、自分自身を落ち着かせようとしているようにも見えた。
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