騒動後の顛末(前)
その日、エルトーラに大きな訃報が告げられた。
長らくエルトーラの民に英雄とまで讃えられた剣闘士、デビッドが亡くなったのだ。
しかも、名誉ある戦いでの死ではなく、魔墜ちしたことによる討伐であった。
その報告に猜疑の目を向けた民も多かった。しかしこの年の筆頭剣闘士を決める決戦の場でのことだ。
多くの観客が、彼が使徒化する場に居合わせていたため、その事実は揺るがぬ真実として瞬く間にエルトーラじゅうに広がった。
さらにその討伐のおりに、挑戦者であったヤンマー、さらにデビッドの妻で闘神の巫女であったアンジェラ、そして彼の付き人ルチアも亡くなったのだと元老院には報告がなされた。
しかしこの都市から魔墜者を出したという事実かを受け容れ難かったのだろう。エルトーラの権力者たちは、彼らの訃報を黙殺することにしたのだった。
「元老院の奴らも、この手の面倒ごとからは目を背けたいようだな。……今回についてはその方が助かるがな」
バルバロイは祭壇に横たえられたデビッドとアンジェラを見た。
ふたりの身体は、胸を突かれたときの血の跡はきれいに拭き清められていて、さらに傷が見えないように、服も簡潔でゆったりとしたものに変えられている。
ふたりの手は、互いに身体が接触するほうは腕を絡めるように――反対側の手は互い間で固く握りあわされている。表情だけを見れば夫婦が自宅の寝室で眠ってでもいるように見える。
ヤマトとの繋がりが強いサテラとペルカが現れたことによって、あの場の混乱は一応の決着をみた。
その後バルバロイとヴリンダは、自身に仕える神職たちに、今回の報をエルトーラ中に密かに触れてまわるように手筈を整えると、ふたりの遺体を闘神の神殿へと運び込んだのだった。
デビッドひとりに汚名を背負わせてしまうかたちになるが、使徒が暗躍していたと分かりでもしたらエルトーラじゅうが疑心暗鬼に陥ってしまっただろう。
大崩壊後の世界では、今回のルチアの出現が初めての事例になるはずだ。だが使徒といえば、昔語りにも、ひとたび彼らが現れれば、国のひとつやふたつ、一夜にして崩壊したなどという事例にこと欠かない。
またヤマトを死亡者としたのは、どちらにしてもこのあと彼を筆頭剣闘士として活躍させるわけにもいかないからだった。
しかし今になって考えてみると、サテラと巫女との繋がりが強いとはいえ、怒りの淵に沈んだヤマトが、あれほど簡単に引き戻どされたのには疑問が残る。
主神がヤマトを代理に選んだ要因のひとつに、彼の持つ『泰然性』を挙げたというが、たしかに――切っ掛けがあったとはいえ、あの状態からああも簡単に邪気を退けるとができるだろうか?
あの時点ではエルトーラを覆っていた結界は完全に解除されていた、識神あたりはあの状況を覗いていただろう、ヤツならば何かを掴んだだろうか?
「刀圭神でもいればまた結果も違ったのでしょうが、あの場で打てるだけの手は打っておきました。魂はまだこの肉体に止まっています。……ふたりの守護神としてアナタはどうするのですか? バルバロイ」
彼の思考を断ち切るようにヴリンダから声が掛かった。
普段からバルバロイに対してはあたりのキツいヴリンダだが、いまの彼女はその凜として怜悧に整った貌に悲哀を浮かべ、バルバロイを慮っている。
目を掛けて育てていた、守護すべき存在のデビッドと自身の筆頭巫女であるアンジェラを同時に失ったその心中に思いを巡らせているのかも知れない。
「それに対しては礼を言う。これでこいつらに幾許かの選択肢を与えてやることができる」
バルバロイはふたりに目を向けると、その厳つい顔に父親が子を見るような優しい表情を向ける。それは長らく自身と関わりのあるヴリンダも初めて見るものだったろう。
「そうですか。今回の件、私もこのふたりをただ輪廻の流れに返したのでは、寝覚めが悪くなるところでした」
ヴリンダもバルバロイにならいふたりに視線を送った。
彼女にとってふたりは深い関わりがあるわけではない。しかし三年のあいだこの地を探り、事の顛末を見守ってきた身としては、今回の結末には納得いかない思いが強いのだろう。
その気持ちの表れか、腰に下げる剣の位置取りが定まらぬというように柄頭を握り込む。
デビッドが使徒化するという最悪の事態を避けることはできた。
しかし、ヤマトがデビッドの使徒化を最善のかたちで阻止したあのとき、ヴリンダも油断していたのだ。
あのルチアと名乗っていた使徒、方術系の術者と見ていたが、まさかあれほどの武術の才を持っていようとは……、それは完全な油断であった。
「ところでオメエはどう見る? ああなっちゃ確認のしようもねえが、あのルチアとかいった使徒、――奴のあの足裁き、俺は武神のヤツの武術と見たが」
ふたりに向けていた優しい表情をおさめると、バルバロイはヴリンダが見慣た荒々しい厳しさを持った表情にもどる。
「私もそうではないかと思います。しかしあの者の出自を考えれば魔神の陣営に与することはないでしょう。武神が神上がる前に残したという、数々の流派の中にあの歩法を継承した一門があったのかもしれません」
「だがよぅ、ヤツも、今回の大崩壊以後どこへ隠遁したのやら」
攻撃をいなされ賺かされ、最後には急所への一撃。
地上の歴史でいえば遙か昔の出来事だ。
武神との、戦いというにはあまりにも一方的な敗北が、バルバロイの頭を掠める。
地上に存在する武術の流派の源流、その総てが武神の残したものだと云われる武技の神だ。
「あの者も元は人間、神上がってからの二度目の大崩壊です。主神に対して遂に忍耐の限界がきたのでしょう。しかもその卓越した技量によって、地上の子供達に武神とまで呼ばれ、あの者を讃え神とまで崇めた子供達の信仰の力によって神上がった変わり種の神。私達以上に地上の子供達との関わりが強いのですから。それに武の技に関していえば、アナタも私もあの者に教えを請うたのです」
「オメエはどうかしらねえが、俺はアイツに教えを請うた事なんぞねえよ」
ヴリンダの言葉に、反射的にバルバロイは言い捨てた。
先ほどの記憶がチクリとプライドを刺激する。
「ふぅ、あの者が神上がったとき、長いことアナタの神殿域に居候してましたよね。しかもアナタ――何度も突っかかっていって、その度に返り討ちに遭っていたのを知らないとでも思っているのですか?」
「だから教えなんぞ請うてねえって言ってんだろ! ……盗んだんだよ、このカラダでな」
バルバロイは自分の胸をドンと叩き言うが、表情にどこかふてくされたような色が見えたかもしれない。
「……本当に負けず嫌いですね」
ヴリンダは呆れたようすで言い捨てた。
「まあどちらにしても、ヤツを探し出す必要がありそうだな。ところでヤマトのヤツはどうした?」
その言葉は完全に誤魔化しだが、他愛のない言い合いだ。ヴリンダはしつこくは言い返してはこなかった。
「まだ意識をもどしてはいませんでしたがサテラが天界へと連れて行きました。シュアルにでも診てもらうつもりなのでしょう……。ただ、あの可愛らしい獣人の娘、代理どのの巫女ですか――彼女を送り届けるためにいまいちどこちらに降臨するといっていましたね。私が送り届けても良いと言ったのですが、何故か断られました。しかも、サテラが戻るまでの間、戦女神の神殿に逗留すれば良いものを街に宿を取ったようです」
その言葉に、今度はバルバロイが、呆れを含んだ微妙な視線をヴリンダに向けた。
「さすが眷属――サテラのヤツよく分かってるじゃねえか……変な癖が出ないように隔離したわけだ」
「何のことですか――バルバロイ?」
「オメエは、識神のところの巫女を気にしてればいいってこったよ。ほら行った行った」
バルバロイの言葉に疑問を向けるヴリンダに対して、彼は面倒くさそうに軽く手を払うように振る。
「……そうですね。事が片付いた以上、私もこの地に留まるわけにもいきません。名残惜しいですがリルに別れを告げないといけませんね。アナタも、そのふたりと水入らずで話したいのでしょうし……、次にまみえるのは天界ということになりそうですね」
ヴリンダは少し納得のいかない顔をしたものの、厳重な結界が張られたバルバロイの居室から退出していった。
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