暴走と、二つの希望
「こういう事ですわ……」
ルリアが、嫌らしく濡れた笑みを浮かべるのと同時。
グサリッ! と、俺が手にした剣が――デビッドの心臓を貫いた感触が伝わった。
アンジェラを抱きすくめるデビッドの背中に、俺の剣が突き立っている。
俺の意思と関係なく、グイッ! グイッ! と肉に食い込む刃の感触が……。
貫いてしまった心臓の、トクッ、トクッ、と――断末魔の微かな脈動が伝わる。
ガクリッと膝が折れ、俺は地面に突っ伏した。
「うっ」
胃の奥から酸っぱいものが込み上げてくる。
「うっぷ……、ウェ、グェエエエエエエ……ゴボッ……グェエエエエエエエエエエエエ………………!」
俺は、胃から逆流してきたモノを盛大に地面にぶちまけた。
「ヤンマー!!」
「代理どの!!」
「あらあら、お若い神様――情けないこと。しかし鍵を壊していただいたお礼に、ひとついいことを教えて差し上げますわ。酒杯の口紅を気にしていたようですけど、疑っている相手が口を付けたのですから、ほかにも気を付けるべきものがありましたわねぇ」
ルチアは人差し指と中指をそろえ、その指先をいやらしく舐ると、つーっと唾液が糸を引くように指先を離す。
「その身体の中にワタシの体液を取り込んだのですから、パスくらい繋げますのよワタシ。……でも、アナタが油断していてくれて本当に助かりましたわ。さすがに気付かれていたら操れませんでしたもの」
あまりの出来事に、バルバロイもルチアへの攻撃が止まっている。
俺は、胃の中のものを総て吐き出してなお、こみ上げる嘔吐感によって涙が滲む瞳を、アンジェラとデビッド、二人の容体を確認するヴリンダに向けた。
ヴリンダが、沈痛な面持ちでゆっくりと首を振る。
………………
…………
……オイッ! どういうことだよ!
アンジェラとデビッド。
ふたりはやっと、やっとこれから普通の生活を……この数年間、本当だったら過ごせた日々を、取り戻せたはずじゃなかったのか?
それも、なんで? なんで俺がデヴィッドを……。確かに一度は覚悟したさ。でも、これは違うだろ! おい! 違うだろ!!
何でこんな事になった?
ああ、俺は油断したさ……でも……本当の原因はなんだ? ……この事態を引き起こしたのはだれだ?
これまでの人生で、ただの一度も感じたことのない殺意が――心の奥底から吹き出してくる。
それは吐き出した吐瀉物など問題にならないほど、酸い苦々しさを含んでいた。
ギロリ! と俺は得意げに語るルチアを見た。
「結界も消えたことですので、それでは失礼させていただきますわ。ごきげんよう皆さ……」
ルチアが言い終わることなく――その首が飛んだ。
「………………ニガスカ」
そのとき、俺の意識は強い殺意に呑まれ、深い深い闇の中へと閉じ込められていた。
「それはダメだヤマト!! まずい! ヴリンダ! 絶界防御を!!」
「代理どの!! その思いに身を任せてはダメです!!」
二柱の神が同時に叫ぶ。
すり抜けるようにルチアの首を刎ねたヤマトはその身に黒い霧を纏い、憤怒の表情をその面に貼り付けてふたりに振り返った。彼の目からは血の涙が滴っている。
「マダダ……」
――――ちがう。
ヤマトは手にした剣に黒い瘴気を纏わり付かせ、首が飛んだルチアの身体を切り刻む。
怒りに呑まれたヤマトは、心の制約を無くしたことでその身に付けた剣技を十全に発揮してルチアの身体を蹂躙していく。
――――これはちがう。
「馬鹿野郎!! テメエが闇に墜ちてどうするよ!」
ヤマトがキレたことによって、逆に冷静になったバルバロイが、黄金色の神気を身に纏いヤマトを止めに動いた。
「ヴリンダ! 一瞬で良い、ヤマトの動きを止めてくれ! ヤツの意識を刈る。今ならまだこっちに戻ってこれるはずだ!!」
「判りましたバルバロイ! しかし今の代理どのを拘束できるのは本当に一瞬だと思います。タイミングを外さないように。……いきます!」
既に、人の痕跡を無くしたルチアの身体に対して、さらに執拗に剣を繰り出すヤマトを悲痛な面持ちで見つめ、ブリンダはアレーナを遮る絶界防御を展開する逆の手をヤマトに向けた。
彼女は力を解放する。
「アイギス!!」
その途端、ヤマトの動きが鈍った。
――――俺は何をやってる。
ヤマトが足下から灰の色彩に染まっていく……、それは石化の力だった。
バルバロイがヤマトの動きが鈍ったタイミングにあわせ、光の気を固めた拳を彼の顔めがけて放つ。
「グァアアアアアアアアアアアアア!!」
ヤマトが巨大な咆哮をあげる。と同時にその身を包み込もうとする灰色の色彩が弾け飛んだ。
バルバロイの拳撃はさらに濃度を増したヤマトの纏う闇の気によって阻まれる。
――――どうすればいい? 怒りが抑えられない。
「クッ! 駄目か、ダメなのか!!」
「ナゼトメル? バルバロイ……。コンナモノノソンザイヲユルスノカ?」
ヤマトは血の涙を流し、怒りに染まった燃えるような瞳でバルバロイを見た。
――――違うだろ、そんなことしたってふたりはもう……
「静まりなさい代理どの」
一瞬の踏込みでヤマトの背後に回り込んだヴリンダが、聖気を#籠__こ__#めた剣を振り下ろす。その打撃は剣の平の部分で殴りつけるように注意されているが、直撃すればただですむものではないだろう。
――――ダメだ。戦意に反応して。
だがその攻撃が届く寸前、ヤマトを包む闇の衣が蛇のように形を変えヴリンダを拘束した。
「クゥッ、――――バルバロイ! 諦めましょう、しかたありません!」
ヴリンダもバルバロイも、その顔に苦渋の決意を浮かべた。
ダッ!
その時、ふたつの影が疾走しった。
――――えっ?
ひとつの影は灰と茶が混じったような色彩、いまひとつの影は銀光を放ち、闇の衣を纏うヤマトに体当たりするように飛びついた。
「ヤマトさんダメなのです! この地の獣たちがみな怯えてるのですよ!!」
「何をしているのですかアナタは! 目を覚ましなさい!!」
――――暖かい、優しい魂……。ペルカ、泣いちゃダメだよ……。サテラ、相変わらすキツいねキミは。
ふたつの影はペルカとサテラだった。
サテラは言うなり、ヤマトの頬を張る。
その打撃には聖なる気も闘気も何も無いただの打撃だ。
だが、サテラが頬を張った瞬間、濃く質量を得るまでになっていた闇が、もろいクリスタルガラスのように砕けて散った。
………………
…………
……
「……サテラ、ペルカ? ……なんで、ここに……」
ヤマトはふたりにもたれかかるようにして倒れ込んだ。
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