8話 一生一緒
「すごい試合だったぞ!!!」
「ヴァルトさん、あんたすごいぞ!」
「今年の集団武闘は豊作だ!!!」
会場が破れんばかりの声が、試合の結果を教えてくれる。
勝った…勝ったんだ!
僕は僕のオリジナルの魔法で敵を破ったんだ!
達成感に包まれ、心の底から湧き上がる喜びに身体の痛みなど消し飛んでいた。
が…
「おい、すぐに救護班を!」
「あの二人の少女も早く体外に魔力を放出させなきゃ死ぬぞ!」
「なぁ、あんたも腕が折れてるじゃないか!早く救護室へ!」
会場になだれ込んできた救護班に担ぎ出されるように会場をあとにする。
「うーん、これはひどい折れ方をしていますね。治癒の魔法を使っても全治半年といったところでしょうか…」
「半年…」
凄まじい力で外側から砕かれたヴァルト腕の骨は、医者が顔をしかめるほど粉々になっていた。
「とにかく固定はしておきましたから、今日は安静にすること。夜に治癒を10分以上行うこと。いいですね?」
「ありがとうございました」
頭を下げ、救護室から出る。
「少年」
振り向くとスラリとした和服の女性が壁にもたれかかっている。
アンズだ。
隣にいる東国の侍のような男はリョウマといったか。
「まさか東国の姫であるこの私が、君に負けるとはね」
アンズがじりじりとこちらに近づいてくる。
逆恨みか?
東国の人間は誉れを何より尊ぶらしいし
負けた腹いせに殺しに来たのか?
思わず後退りする。
だがアンズの歩みは止まらない。
頬の両側にひんやりとした冷たい指が這う。
顔をムギュッと捕まれアンズの顔が鼻先にあった。
「少年!さっきの動きは何だ⁉もう一回でいい、見せてくれ!ああ、あんな1歩も動けず仮面を奪われるなんて!君は本当に面白い!」
アンズはたいそう興奮した様子で一方的にまくしたてる。
「えぇ…」
「姫!嫁入り前の乙女がはしたないでござる!」
リョウマがアンズの腰に腕を回し引き剥がそうとする。
「リョウマ、邪魔をするな!私は今最高に興奮しているんだ!さぁ、少年。まずはさっきの動きを実演してくれ!礼はいくらでもするぞ!どうした?なぜ見せない⁉裸か?私の裸を見れば、少年もあれを見せてくれるのか⁉」
「はっ裸って、何言ってるんですかあなたは!」
「姫ー!なんだかいやらしい会話に聞こえるでござる!」
リョウマが周りの人に「これはえっちな話ではないでござるよ!」と弁解してまわる。
「むむ!少年が赤くなった…ということはやっぱり裸が条件なんだな!あれを見せてくれるのなら恥ずかしいけど我慢するぞ…///」
この人、勝手に暴走してる…
「ちょっと!ヴァルトから離れなさいよ淫乱女!!!」
ヴァルトの体が無理やり引っ張られる。
思わず立ちくらんだ身体が柑橘の優しい香りに包まれる。
アリシアはそのままアンズとヴァルトの間に体を挟み、アンズと距離を取る。
「あら嫉妬してるのおデブちゃん?」
「なっ…、デブじゃないし!」
「あら、なら少年に聞いてみたらどう?」
「え!?」
急に話を振られて驚く。
アリシアの体…
恋人のはずなのだが、それはアリシアが公言しているだけで恋人らしいことは何一つしてない。
まじまじと見つめたことなんてなかった。
確かに昔と比べて、丸みを帯びた女性らしい体つきになったと思う。
昔はヴァルトと同じような体だったが、十の年を超える頃お互いなんとなくだが意識し始めた。
それ以降、体とかそういう話はしなくなったのだ…。
ただしデブではないはずだ。
同世代より多少胸が大きいだけで、剣の鍛錬で程よくついた筋肉が絞るところを絞っている。
メリハリのある身体と言えばいいのだろうか…
「ちょっとヴァルト⁉ジロジロ見すぎ!」
「あがっ」
腕で顔を反らされる。
「見られて恥ずかしい身体だということよ、パンの食べすぎね」
「うるさい!そんなパンばっかり食べてないし、アンタなんてガリガリに痩せてるだけじゃん骨女!」
「骨とは随分な言われようね、着物の似合う和風美人はこれくらいが美しいのよ」
この二人の諍いは長くなりそうだな。出口に行こう…。
バチバチと火花散る二人にバレないように、ヴァルトはその場をあとにした。
コロシアムの通用口から外に出る廊下、外の明かりで光って見える出口に影が二つある。
「よお、ヴァルト」
「カイン様…」
小柄な金髪の男と大柄の長髪の男。
カインとシャクメだ。
「それ、折れてるのか?」
左腕の包帯を見たカインが尋ねる。
「…はい」
「治るまでどれくらいかかる?」
「医者からは半年って言われました」
「そうか…」
カインはきまずそうに廊下の天井を見つめる。
「今日、初めて死ぬと思った」
唐突にカインが語り始める。
「リバの腕が斬り飛ばされて、あの侍に刀を突きつけられた時、初めて死ぬと思ったんだ」
そうだ、今日の敵と戦ったチームの大将は首を跳ね飛ばされて死ぬ。
朝、カインも言っていた。
だが知っているのと実感するのは違う。
ヴァルトも今日一歩違えば、いや半歩違えば死んでいた。
それをカインも感じたのだ。
「死ぬってさ怖いんだろうな。自分がどんどん無くなっていってよ、だんだん寒くなって、最終的に何も考えられなくなる」
カインは視線を足元に向ける。
よく見ると腕が震えていた、恐怖が戻ってきているんだろう。
「でも従者は俺らを守るために死ななきゃいけねーんだ。それを今日改めて実感した…」
隣にいるシャクメは何も言わずにカインを見つめている。
「ださいよな…。俺ら貴族はお前らに死ねって言うのに、いざ自分が死ぬのは怖かったんだよ」
カインの声の震えは次第に大きくなる。
「でももう決めた…!俺は偉くなって、この国を変える。俺の描いた貴族のように気高く生きると!」
カインは手を差し出す。
「今日のお前を見て、それに気づけた。感謝する。」
「カイン様…」
「呼び捨てでいい」
「じゃあカイン」
「ああ、明日もよろしくな!」
差し出された手を強く握る。
ヴァルトは、アリシア以外で初めて唯一対等な存在を得た気がした。
ヴァルトと別れ、そのまま歩き出したカインに寄り添うようにシャクメも歩き始める。
「カイン様、成長されましたね」
「なんだお前…ニタニタして気持ちわりい」
シャクメはカインに指摘され初めて自分の頬の緩みに気づいた。
だがいつも家柄を気にして生きていた主人が己の筋を通すため命を賭けるまでになったのだ。
必ずこの方は多くを従える男になる。
それを喜べず家臣と言えようか。
ヴァルトはそのまま会場の出口で立っていた。
そういえばアリシアと普段通り話せるようになったな…。
僕とアリシアは明日になればもう離れなきゃいけない。
それが辛いから、アリシアを傷つけてまで遠ざけたんじゃないのか?
いつもの癖でついアリシアを待っていた。
僕は何やってるんだ?
「はぁ、一人で帰ろう…」
「ヴァルト」
心臓がドクンと跳ねる。
「アリシア…」
「一緒に帰るわよ」
いつもの帰り道のはずなのに、気まずい沈黙が二人を包む。
「「そういえば」」
「あっ」
「ど、どうぞ」
「いや…いい」
あれ、僕アリシアとどうやって話してたっけ。
どうしよう話題振らなきゃ、でも何話す?今日食べたものか、試合の感想か、それともカインの話か?
「ねえ」
「はいっ!」
思わず言葉がうわずる。
「何よその返事…」
「ごっ、ごめん」
「ヴァルトはなんで私を優勝させたいの?」
「えっ?」
アリシアの当たり前すぎる質問にヴァルトは驚く。
なんで?
そんなの当たり前じゃないか。
「今回の集団武闘で優勝すれば王族に一目置かれる。そうすれば…」
「そうすれば?」
「君は不自由なく幸せに暮らせる…」
アリシアはその言葉を聞いたあと大きくため息をついた。
「呆れた」
「え?」
「呆れたって言ったのよバカ!」
アリシアの目は涙で潤んでいた。
だがヴァルトも譲れなかった。
あぜ道で足を止めたアリシアに向きなおる。
「不自由なく暮らせるんだぞ⁉使用人も雇えない伯爵家なんて聞いたことあるか?平民の子どもの庭師が従者で?そしてその従者も君といることはできない!君は上級貴族になって、なに不自由無い幸せな生活を送るんだ!」
ヴァルトもまた感極まっていた。
アリシアは身分なんか関係ないと言う。
そんなわけない!現実としてこの国には明確な身分の差がある。
そんなこと一昨日にも話し合ったじゃないか!
「私の幸せをあなたが決めないで!」
アリシアの大きな声に驚いて言葉を失う。
「私ね、今日あの女がヴァルトを引き取るって言ったとき本当に悲しくなった!私の体が半分に裂かれて無くなってしまうような気持ちになった!もう戻らないんだって…もう戻れないんだって思った!」
舗装されていないあぜ道の土にポタポタと水の跡がつく。
泣いている。
アリシアが泣いている。
「もし…ヴァルトの言うように不自由なく暮らせたとして、使用人がたくさんいる家になって家事も何もやらなくてよくなったとして。そこにあなたがいなかったら私は幸せじゃないよ!」
アリシアがヴァルトの方を掴み地面に押し倒す。
「アリシア…⁉」
背中に土の感触が伝わる。
「わかってる!この国であなたの存在は貴族界で重荷になる。私といても、あなたは悪しき人として差別され傷つくこともわかってる…!」
アリシアがヴァルトに馬乗りになると顔にポタポタと涙の雫が落ちる。
「あなたの幸せを私が決めないから!私の幸せをあなたが決めないで…!」
アリシアは顔を拭い、決意したように言う。
「二人の幸せを二人で決めようよ!!!」
「アリシア…」
ああ神様…僕はなんて幸せなんだろう。
愛した人が愛してくれている、こんな幸せなことはない。
ヴァルトはアリシアを抱きしめて、大きく泣いた。
もう二度と離れたくないから。
その後ヴァルトとアリシアは互いが泣き止むまで抱きしめ合い、二人で手を繋いで帰った。
「ねえ、ヴァルト?リベルタ民主国って知ってる?」
「もともと王国だったところだよね。国民が王政を打倒したとかっていう…」
「そこは身分なんて無いんだって、みんなが自由に好きな人と結婚して、好きな仕事ができて、好きな生き方ができるんだって」
「それはすごいね」
「ねえ、ヴァルト。この国から抜け出してその国に行くのもいいかもね。そしたらね私はヴァルトと結婚して、小さいレストランでも開いて、そこで子どもと暮らすの。どう?」
「そしたら僕はアリシアと結婚して、そのレストランで料理を作って、子どもと暮らしたい」
アリシアの手の温もりが全身を巡って、幸せな感情に包まれる。
「お母様怒るでしょうね、父さんはいなくなって私まで家を出ていくなんて許してくれるはずがないわ」
「そうだね」
「でもいつか私たちの子供が出来たら、お母様に手伝ってもらうの。お母様厳しいから、きっと偉い子に育つわ」
「必ず迎えに行こう」
「ええ、ヴァルトのお父さんと私のお母様がおじいちゃんとおばあちゃんになって、きっと温かい家になるわ」
ヴァルトはその手を離さまいと強く強く握ったのだった。
案の定、アリシアの母親とアリシアは凄まじく喧嘩した。
「そんなの許せるはずないでしょう!?」
「お母様はいつも外聞ばかり気にして、ヴァルトは素晴らしい人間よ!見た目なんて関係ない、そんなのこの王国の人が勝手に言っているだけじゃない!」
「あなたは知らないのよ、貧しいことがどれだけ惨めか、どれだけ悲しいかなんて!いいから母親の言うことを聞きなさい!」
「もういい!私はこの国を出てヴァルトと幸せに暮らすから!」
「ヴァルト…貴様ぁ!アリシアと…我が娘と離れろと言ったはずだ!」
ヴァルトはひたすら頭を下げ、許しを請うた。
書庫の鍵も返すといったが「そんなものいらぬ!」とはねられてしまった。
最終的にアリシアはほぼ家出の状態で、家から出ることになった。
「いつか幸せになって必ず迎えに来るから、お母様は頭を冷やして待っていて!」
アリシアはそう捨て吐き、ヴァルトの手を掴み家を出た。
「おかえり、ってアリシアちゃんじゃねえか⁉」
「父さん、ごめん。明日の決勝が終わったらアリシアも連れて行く」
「ヴァルトお前…本気なんだな二人とも?」
「「はい」」
「そうか…もうほぼ荷物はまとめた。明日にはここから出ていくからな。
父さんはそれ以上何も言わず先に寝た。
「はぁ、大変な一日だったな」
腕は折られ、自分だけの術を開発して、カインと友達になって、アリシアと生きていくことになった。
でも本当に素晴らしい一日だった。
これ以上の一日はないだろうと、この一日を忘れずにいようと思えた。
今日の一日を忘れないために、日記を手に取る。
今日のすべてを漏らさず記す。
「ふぃー、いい湯でした!」
アリシアが勢い良く扉をあけ部屋に入ってくる。
「ん?ヴァルト、何書いてるの?」
タオルで髪の水分を拭き取りながら、ヴァルトの隣に腰を下ろし日記をのぞき込んでくる。
「いや、これ見せもんじゃないから!」
ヴァルトは慌てて日記をしまう。
「えー、ケチ」
アリシアはいたずらっぽく笑う。
アリシアが動くたびにふわっと香る匂いに、慌てて距離を取る。
「じゃ!僕、風呂入ってくるから。アリシアはベッド使って寝て!」
着替えを取り急いで部屋を出る。
この程度でドキドキして、今後大丈夫かと不安になりつつ風呂に向かう。
部屋に戻るとアリシアはベッドで横になってすでに寝ていた。
ヴァルトはベッドの隣の空いた床のスペースに布団を引く。
アリシアの寝ているベッド隣の床に腰を下ろすとアリシアの顔が、ヴァルトの顔と同じ高さに来る。
長く透き通った金髪の彼女の寝顔は、今にも崩れてしまいそうに美しくヴァルトは目を放せなかった。
あんまり見ていると昼のように怒られると思い、ヴァルトは自分の大きなカバンに部屋のものを次々としまっていく。
16年間住んだ我が家を出るのだ。いろいろな思い出が出てくる。
一通り荷物をしまい布団以外は空になった部屋に物寂しさを覚えつつ、ヴァルトは医者に言われたとおり腕を抑える。
「治癒」
ヴァルトの左腕を右手から溢れ出る光が包む。
治癒はあくまで自然治癒を早める術のため、今回のような大怪我の場合は効果を実感できぬほど微力だ。
10分は長い。
静かな部屋でアリシアの寝息を背後に感じながら目をつぶり、呼吸を深くする。
「ん…」
アリシアが少し眩しそうにしながら、目を覚したのを察する。
「ごめん、起こしちゃったね」
「いいよ、それより腕は大丈夫?」
「うん、全然効いてる気はしないけどね」
アリシアがクスッと笑う。
「でもヴァルトが無事でよかった…」
不意にアリシアがヴァルトの背中に手を当てる。
「今日の相手は強かったからね、正直死んでもおかしくなかった」
その言葉を聞いて背中に当たっている手に力が入るのを感じる。
「ねえ、ヴァルト。お願いだから軽々しく死ぬなんて言わないで」
アリシアの手を通じて彼女の動揺が、不安が、恐怖が伝わってくる。
「…ごめん」
「帰り道に言ったように私たち、一生一緒よ…。だから…お願い…一緒に…」
アリシアはそう言うとヴァルトの背中に額を当て寝てしまった。
なんせあの試合のあとだ相当疲れていたのだろう。
ヴァルトはアリシアの方に向き直り、彼女の額と自分の額をコツンとあてる。
「そうだね。一生一緒だ…君と…」
ヴァルトはそのままアリシアの温もりを感じながら眠りについてしまった。
そうして決勝戦の前夜が明けていく