2話 嘘
「ねぇ、お母様!今日の試合はヴァルトのおかげで勝ったようなものだったのよ!」
目の前に並べられた豪勢な食事をヴァルトとアリシアの母と囲みながらアリシアは興奮して言った。
「アリシア、無作法ですわよ」
アリシアの母親が娘をたしなめる。
「最後に敵に隙が生まれたのも、ヴァルトが敵を完全に無力化したからよ。しかも催眠魔法で傷一つ付けずによ!ヴァルト、私はあなたの恋人として鼻が高いわ!」
アリシアは興奮収まらず母親に矢継ぎ早に話をする。
試合が終わり敵将マゼンダが救急隊に運ばれる姿を見送ったあと、解散したヴァルトはアリシアに強引に夕食に誘われたのだ。
ヴァルトの家はアリシアの屋敷の庭師なため、同じ敷地内にあるので、夕食にはよく誘われていたのだが。
「アリシア、あなたはこのジークフリード伯爵家の娘。その身分にふさわしい相手を恋人にしてちょうだい」
アリシアのヴァルトを恋人という発言に、アリシアの母は目くじらを立てていた。
「あら、身分なんて関係ないわ。そもそも純血しか貴族になれなくて、混血は商人か農民か軍人かというこの国がおかしいのよ。人は血じゃなくて、中身で評価されるべきよ」
アリシアは母親に少しムッとして、言い返す。
「まったくこの娘は、もう少し立場を自覚してちょうだい。もう17になる年なのだから、そろそろ結婚の見合いもしなくてはならないの」
アリシアの母親も、娘の態度が気に入らないようだ。
「ふんっ、私はヴァルトのことが好きなの!それにこの国の偉そうな貴族の男たちなんて、こっちからお断りよ!
お父様だって純血至上主義なんて鼻で笑うに決まっているわ」
まさに売り言葉に買い言葉である。
バチバチと火花散る食卓でヴァルトは縮こまっていた。
「まったくお母様ったらヴァルトのどこが気に入らないのかしら。まさか本当に人間の身分が血で決まるなんて本当に思ってるんじゃないでしょうね」
アリシアはブツクサと母親への文句を言いながら、大きすぎる屋敷の廊下をヴァルトと歩いている。
「まぁまぁ、でも奥様の言うことも正しいと思うよ。僕と結婚したらジークフリード家は間違いなく、爵位を剥奪される。奥様はアリシアの身を案じているんだよ…」
ヴァルトがそう言うとアリシアの眉がつり上がった。
まずい…。
「なによ!私のこと考えてるなら、私の好きにさせなさいっての。ヴァルトだって今日の試合の前、観客にちょっと嫌なこと言われたからって気弱になっちゃって、もっと私の恋人らしく振る舞ってよね!!!」
こうなるとアリシアは手がつけられない、気が収まるで何も言い返さないほうがいいと長年の経験が告げていた。
ただきらめく金色の髪と透き通るような肌の美少女は眉を釣り上げていても、とても可愛らしく愛らしい。
ヴァルトは怒る彼女をなだめながら、彼女の顔に心奪われていた。そんな彼女に恋人と呼ばれていて、喜ばぬ人間などいないだろう。
しかしヴァルトのことを恋人と呼んではいるが、実際恋人らしいことは何一つしてないのだった。
「そういえば、今日も書庫行ってもいいかい?」
アリシアの怒りをなんとか鎮めた後、ヴァルトは聞いた。
今日、屋敷に来た一番の理由とも言ってもいいかもしれない。
「あら、もう借した本読み終わったの?」
「うん、【重力魔法の基礎と応用】も読んでよかった!アリシアの父上の蔵書に外れはないね」
「ふふん、そうでしょうとも。私のお父様はとても理知的で大胆で勇敢で正しい勇者ですもの!」
年頃の娘にしては、たわわな胸を張ったアリシアは得意げだ。
アリシアは胸元に手を入れ、赤く古びた鍵を取り出した。
そしてそれをたまたま近くにあったドアに刺した。
キィィン!
近くにあった木製のドアは赤い光に包まれ、大きな両開きの青銅の扉へ変わる。
空間魔法隠し扉によって普段隠されている書庫への扉だ。
ガガガ
重い扉を押して入ると、ヴァルトの3倍はあろうという本棚が敷き詰められた書庫に入る。
いつもの事なのだが、ヴァルトの気分は高揚していた。
本が貴重な世界において、アリシアとアリシアの母上が持っている鍵でしか開かない書庫はまさに知の宝庫。
平民であるヴァルトが、これだけの書に触れられるのはアリシアのおかげだ。
「じゃ、いつもどおり私は自分の部屋で待ってるから終わったら教えてね」
これだけの本があるにも関わらず、一切興味を示さないアリシアが少し憎くもある。
ヴァルトはまず借りた本を戻しに魔導書の棚に向かった。
天井までの本棚にぎっちりと詰まった魔導書、大人気の炎魔法からマイナーな重力魔法まで網羅している本棚は恐らく三万冊はあるだろう。
その全てをヴァルトは毎日のように書庫に来ては、3周は読んでいた。
おかげでヴァルトは膨大な種類の魔法を使えるようになったのだ、まぁほとんど役にたたない魔法なのだが。
「でも重力魔法は視点を変えるだけで、あんなに強力な使い方ができるなんて奥が深かったなぁ」
【重力魔法の基礎と応用】を元あった位置に戻し、ヴァルトはしみじみとしたのだった。
これでこの書庫にある魔導書はマスターしたため、ヴァルトは次に何を読むかで困ってしまった。
「うーんでも、この書庫にあるのはほとんど魔導書だしなぁ」
10年かけて書庫の本を読み尽くしたヴァルトは、いつもどおり本棚の間を歩いて本を探す。
だが目に入るのは、見たことのある本ばかり。
そんなとき部屋の隅で平積みにしてある本が目に入った。
「そういえば、平積みの本には手を付けてなかったな。魔導書じゃないからスルーしたんだっけ」
試しに平積みの本を数冊取ってみる。
【主従紋の成立】
【グウィン王国、及び周辺諸国の歴史】
【魔物の進化と知能に関する考察】
うーん、どれも役に立たなそうだなぁ。
魔導書ばかり読んでいたヴァルトは、対照的に物語や歴史書には興味が無かった。
魔物に関しても冒険者や狩人にならない限り触れることもないだろうしなぁ。
とりあえず気は進まないが【主従紋の成立】をパラパラとめくる。
「えーと、『主従紋は奴隷紋の派生系である。奴隷紋は主従紋の主人と従者のような関係ではなく、主人と奴隷の関係であり奴隷は主人の言うことに逆らえないという特性から、凶悪魔法犯罪が多発し廃止された。
しかし貴族と平民の差が薄まり、身分制の崩壊を危惧した人々により生み出されたのが主従紋である。』
へー、知らなかったなぁ。
おっ、これが奴隷紋か。
ほとんど形に差はないけど、色が紫なんだなぁ」
ヴァルトは思わぬ発見に喜んだ。
ガチャン!
「旦那の書庫が騒がしいと思ったら、あなただったのね」
慌てて本から目を放し、振り向くとアリシアの母親が立っていた。
アリシアの母親だけあって、スラッとしたスタイルに艶のあるブロンドヘアーを束ねた姿は妖艶なオーラを放っている。しかし眉間に刻まれたシワが、伯爵家の女の苦労を物語っていた。
「奥様!申し訳ありません!つい興奮して、声が大きくなってしまいました…」
「いいわ、別にいつものことですから。今日も、この書庫の魔導書で学んだ魔法で活躍したそうじゃない」
「はっ、ありがとうございます!」
「ただ言っておこうと思ってね」
そう言って、煙管を一吸いし、煙を吐き出した。
「大会が終わったら、アルマさんと一緒に娘から離れてくれないかしら」
「えっ…?」
ヴァルトは目が点になる。
父さんと一緒に、アリシアと離れるだって…?
「それは…解雇ということですか?」
アリシアの母親は面倒くさそうにまた煙を吐き出す。
「ええ、そうね。アルマさんとあなたをこの屋敷の庭師にしたのも夫からの頼みだったけど、もう無理なのよ」
なぜだ?父のアルマはアリシアの父親と古い戦友だった。戦えなくなって庭師になってからも、庭師としての父の腕は、伯爵家に恥じないものであったはずだ。
ただ一つ問題があるとすれば…
「一々理由を説明するのも酷だけどもね。あの子も17になる年。悪しき人をこれ以上、娘の近くに置いときたくないの」
ヴァルトの予想は的中していた。
悪しき人。
グウィン王国の建国神話にある悪魔、銀色の髪と赤い眼を持ちその容姿は人と違わぬものであった。
しかし支配階級にいた悪しき人は多くの人々を弾圧し、虐殺した。
神から使わされた大王グウィンは民の声を聞き悪しき人を滅ぼし、平和な国を築いた。
もちろんただの神話だ。
根拠もなければ、ストーリーも矛盾だらけの神話だ。
それに悪しき人は、一定の確率でどんな家庭からでも生まれる可能性がある。
ヴァルトもそうだった。
「奥様!どうかお考え直しを!」
アリシアの母親は目をカッと開き、足を振り上げた。
「黙りなさい!だいたい生意気なのよ!夫と娘が庇うから今まで言わなかったけど、私達は神の血を継ぐ由緒正しき純血!お前ら汚れた混血とは違うのだ!身の程をわきまえろ悪しき人が!」
ヴァルトは蹴りつけられ、体制を崩す。
「このジークフリード家がなぜ潰れずに持っているか!この私が、旅に出た馬鹿旦那と現実を知らない馬鹿娘の代わりに家名を守ってきたからよ!この神の血を汚さないために!貴族であるために!それが、なんで貴様なような悪しき人が私の屋敷に!
しかも娘の恋人ですって?
ああああああああああああああ
汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚いぃ!!!」
ガッガッガッ
ヴァルトの顔を尖ったヒールで何度も踏みつける。
その顔に妖艶な雰囲気は消え、頭の後ろから黒いオーラを放ち憎しみにまみれた鬼の顔になっていた。
なんだあの黒いのは…!
手で顔を覆うヴァルトだが徐々に傷口から流血する。
アリシアの母親は気が狂ったように、踏みつける。
ピチャ。
アリシアの母親の頬にヴァルトの血が飛ぶ。
「あら?ごめんなさい、取り乱したわ。怪我ぐらい直せるでしょ?」
我を取り戻したように頬の血をハンカチで拭き取り、アリシアの母親は元の顔に戻り書庫の扉に向かう。
「でもさっきの話は本気だから、大会終わるまではこの部屋使っていいわよ。優勝して、アリシアが王家の目に止まるようにしてちょうだいね?」
アリシアの母親は自分の胸の間から赤い書庫の鍵を、ヴァルトに投げ寄越した。
そして聖女の如き笑みを浮かべ、部屋を出ていった。
書庫に一人取り残されたヴァルトは力なく横たわっていた。顔は血まみれだが、それを拭き取る気力すら湧かなかった。
「身の程をわきまえろか…。僕だってわかってるよ…!」
ヴァルトは歯をギっと噛みしめる。
グウィン王国の厳格な身分制は血によって決まる。
貴族同士の子どものみが、純血として次なる貴族階級に立つ。
そして平民の血は混血だ。
純血だけが主人として主従紋を結んだ従者を従える。
だからこそ幼少期からヴァルトは、アリシアといずれ別れが来ることをわかっていた。
父親の縁で、アリシアとは生まれたときから一緒だった。
しかしアリシアは純血で自分は混血。
そのなかでも特に忌み嫌われている呪われた血。
悪しき人
アリシアは「くだらない」と鼻で笑っていたが、街の人たちの反応を見れば幼心でも自覚する。
自分はアリシアと共にいてはならないと。
だが嬉しかった。
アリシアが自分を従者に選んでくれたこと。
そしてお互いに同じ主従紋を手に刻んだこと。
そしてアリシアが恋人として自分を選んでくれたこと。
その喜びでいつしか忘れてしまった。
アリシアのことを考えるなら、僕はいなくなったほうがいい。
「治癒」
顔の傷を直し、血を拭く。
アリシアに心配かけないために、それはもう入念に拭き取る。
本をかばんにしまい、書庫から出る。
青銅の扉は瞬く間にもとの扉へ戻った。
「アリシア、遅くなったね」
「本当よ、遅いから玄関でお別れね」
すでに部屋着の白いローブに身を包んだアリシアが出てくる。
「いや。今日は、ここでいいよ。それと大事な話があるんだ」
「なによ」
アリシアは碧く大きな瞳を開きキョトンとした顔で首を傾げる。
「僕は、大会が終わったらこの屋敷を出るよ」
アリシアが固まる。
「え…?なん、て…」
「別れようアリシア」
乾いたような声で告げる。
「嘘…!また誰かに何か言われたんでしょ!昼間の観客?カイン?シャクメ?モバ?リバ?わかったお母様でしょ!」
「違うよ、これは僕の意思だ」
僕の意思なんかじゃない…
「なんでよっ、私たち上手くいってたじゃない!さっき怒ったから?ごめんね、謝るから!」
「やめてくれ…、上手くいってるなんて思ってたのは君だけだよ」
黙れ…
「どうしてっ!どうしてそんなこと言うの!私はあなたが好きなのにっ」
アリシアの碧い瞳から大粒の涙が溢れる。
「君は純血で、僕は悪しき人だ!本来結ばれちゃいけないんだよ!」
パンッ!
「そんなくだらない言葉!二度と言わないでって言ったじゃない!」
アリシアから強烈な平手打ちをうける。
「うるさい…。伯爵家のお嬢様の癖に、僕に夢を見せて!叶いもしない幻想を見せて!お前なんかに上から平等を語ってほしくないね!!!」
言ってはいけないこととわかっていた。
アリシアは唇を血が出るほど噛み締めていたが、ひどく悲しい目をした。
「そっか…そうだよね。私は所詮、伯爵家の娘。私が血なんて関係ないって言っても説得力がないよね…」
アリシアはもうヴァルトの顔を見れなかった。
それはヴァルトもだ。
ざわざわとした罪悪感が心臓を撫でるようで吐き気がした。
「明日の試合、会場で待ってる。大会が終われば僕らも終わりだ」
ガチャンッ
扉を閉めると、扉の向こうからアリシアのすすり泣くこえが聞こえる。
これでいい、これでいいんだ。
大会の決勝戦のある3日後。
僕はアリシアの人生から退場する。
もともと叶わない恋じゃないか。
ヴァルトは視界が滲むほど溜まった涙をこぼさないように上を向いて自分の家へ帰り、父と会話を交わすことなく枕に顔を埋めた。