第90話 繰り返される最後の失敗
赤を基調とした薄暗い部屋の中に立っている俺は、目の前に立っている閻魔を見上げながら呟く。
「残り1回? ……何が?」
閻魔の言葉にオウム返しする形の疑問。
その疑問を聞いた閻魔は、ニヤけた表情のまま言葉を続ける。
「貴様に残された人生の回数だ」
「は……? 人生の回数? いや、ちょっと待ってくれ! どうしてだ? 俺は死んでないんだろう? だったらなぜ!? それに、皆はどうなったんだ? ラージュは倒せたのか!?」
言いながら、俺はつい今しがたまでの状況を思い返してみる。
ラージュとの戦いの中で、危機的状況に陥った俺だったが、紋章の力を暴走させて何とか反撃に出た。
反撃している間の記憶が朧気ではあるが、ラージュに深手を負わせたのは間違いないだろう。
だとするなら、俺はラージュに敗北したわけでも無いし、自らが作り出した塔から落下したことで、命を落としたわけでも無いと思う。
どのあたりが失敗だと言うのだろうか。
そんな俺の疑問をくみ取ったかのように、閻魔大王が言葉を紡ぐ。
「貴様は儂の力に身を委ねた。故に貴様は失敗した」
「それはどういう意味だよ!?」
言っている意味は分かる。おそらく、両手の紋章の力に身を委ねた。それが失敗の理由だというのだろう。
でも、なぜ?
なぜ紋章の力を行使することが、失敗につながるのか?
俺は閻魔大王に詳細な説明を求めた。
正直、そんな説明を求めても律儀に教えてくれるとは考えていなかった俺は、閻魔が淡々と話し始めたことに驚き、同時にその内容にも驚愕する。
「ここに貴様がいる理由を、考えたことは無かったのか? せっかくだから教えてやろう。貴様がこの地獄に落ちてきた理由は至極明快、自ら命を絶ったからだ」
「……なっ!?」
「そのような者に課す罰において、死など、罰になる訳もなかろう? なればこそ、貴様には儂の力の一部を植え付けておいたはずだ」
驚きと困惑を胸に、俺は両手の甲に視線を落とす。
両手の甲にうっすらと浮かんでいる紋章。
これは俺の身体を強化してくれる便利なものだと考えていたが、どうやらそういう意味ではなかったらしい。
俺が簡単に死んでしまわないように。
聞こえはいいが、その実、生き地獄を味わわせるための枷と言っても過言ではないだろう。
そこでふと思いついた疑問を、俺は短く言葉にした。
「……次も失敗したら、どうなるんだ?」
「貴様には未来永劫、ここで獄卒として働いてもらうことになる」
獄卒として働く。
告げられた内容を受け取った俺は、以前に見た光景を思い出す。
地獄に落ちた人々を追いかけまわす鬼の存在。
次もまた失敗してしまった場合、俺もあの鬼と同じ存在になるということだろうか?
それはつまり、二度と人間として生きることが許されないということで。
必然的に、永遠の孤独を意味しているように思えた。
ゼネヒットで出会い、共に戦った多くの人々の顔が、頭の中を過ってゆく。
皆はどうなったんだろうか?
できることなら、安否だけでも確認したい。
次の世界では、上手く皆を守れるだろうか?
出来る限り紋章の力に頼らず、魔法だけで何とかすることができれば……。
もしかしたら、上手く出来るかもしれない。
そこまで考えた俺は、フッと笑みを浮かべると、手の甲に注いでいた視線を持ち上げ、閻魔の顔を見上げながら告げた。
「要するに、あんたの力に頼らず、生き抜いてみせれば良いってことだよな?」
「その通りだ」
相も変わらずニヤけている閻魔から視線を落とした俺が、大きく深呼吸をしたその時。
どこからともなく、馴染みと違和感が混在しているような声が響いてきた。
「ウィーニッシュさん。それはあまりに短絡的な考えじゃないですか?」
「何者だ?」
俺の頭上からかけられたその声に、閻魔が問いかける。
ほぼ同時に頭上を見上げた俺は、ゆっくりと降りてくるその姿を見て、思わず呟いてしまった。
「シエル……?」
「え~っと、私はシエルさんではないんです。確かに、見た目はシエルさんの姿を借りていますが……いや、別に借りているわけでも無いような? まぁ良いです。とにかく、私は今のお話に納得できません」
声と姿はシエルなのだが、口調が明らかに違う。まるで、シエルの身体を何者かが操っているような感じ。
意味の分からない状況に、俺が茫然としていると、閻魔が忌々し気に告げた。
「なぜ貴様がここにいる?」
「なぜって、私は祈りの神ですからね。ウィーニッシュさんの願いに応えるために、出てきたまでですよ? まぁ、ここの守りが厳しいから、7回目にしてやっと入ってこれたんですけどね」
シエルの格好をした祈りの神は、俺の頭の上に腰を下ろすと、得意げにそう言った。
「祈りの神……?」
「そういえば、ウィーニッシュさんは私のことを知らないんですよね。私はミノーラっていいます。巷では祈りと眠りと実りの神とも呼ばれてるんですよ? それよりもウィーニッシュさん、今の閻魔大王のお話だと、おかしな点があることに気づきませんか? 例えば、あなたの記憶とか」
呼び名が多すぎるだろう。というツッコミをグッと飲み込んで、俺は最も重要そうな疑問を口にする。
「俺の記憶?」
「そうです。私の知る限り、ウィーニッシュさんは既に7回、あの世界で“失敗”しています。それならなぜ、直近の1回を除いた6回の記憶が、あなたには無いのでしょうか?」
「っ!?」
7回!?
もし、ミノーラが言っていることが正しいのだとするならば、俺の記憶は大きく欠落していることになる。
それはつまり、人生のやり直しをする度に、記憶が消されているというわけで……。
今ここで聞いた話を覚えたまま、生き抜くことができないことを意味する。
なぜそのようなことになっているのか。簡単な話だ。
その方が閻魔大王にとって、都合が良いからだろう。
ミノーラの言葉を聞いた俺が、これらの事実に気が付いた時。
閻魔大王が表情に苛立ちを滲ませながら、俺の身体を鷲掴みにした。
「小賢しい犬め。まぁ良い。貴様に何かできるわけでもあるまい」
「ぐっ!? 放せ!」
ギリギリと締め付けられ、痛みに悶える俺の額を、閻魔が左手でソッと撫でつける。
「ちょっと! 今すぐにウィーニッシュさんを放してください! まだお話は終わっていません!」
「邪魔をするな! ここは地獄だ、貴様の介入は許さん!」
俺を捕まえている閻魔大王の手を、ミノーラが引きはがそうとしているが、そう上手くいくわけもない。
あっけなく振り払われたミノーラは、ゴロゴロと床を転がると、悔し気に俺を見上げて、叫んだ。
「仕方がないですね……ウィーニッシュさん! 私を信じてください! そして、あなたが望むことを、胸に強く願ってください! そうすればきっと、何とかなります! そして、欠片を探してください! きっと、あなたが生きた記憶の欠片が、あの世界のどこかにありますから! 諦めないで!」
「貴様っ!」
一息に叫んだミノーラを、閻魔が踏みつけにしてしまう。
グニュウと短い悲鳴を上げて潰された彼女を、俺はおぼろげな意識の中で見ていた。
頭の中が、ゆっくりとホワイトアウトしてゆく。
残るのは、全身を覆いつくすような痛みと、胸の内から湧き上がってくる恐怖のみ。
そんな俺の首根っこをつまみ上げた閻魔は、その大きな口を開けて、俺を放り込んだ。
そうして、俺は嚥下される。
暗い暗い闇の底に向けて、ゆっくりと落下しながら、俺は思ったのだった。
どうして俺が、こんな目に合わなければならないのか。と。