第88話 仮面の破片
激しい光と同時に、強い衝撃を全身に浴びた俺は、成すすべなく後方へと吹き飛ばされた。
黒焦げて崩れかけの建物に背中から突っ込んでしまったのだろう。
突っ込んだ衝撃で瓦礫の中に埋もれた俺は、暗闇の中でしばらく呻いていた。
「がぁぁぁぁぁ……痛てぇぇ」
全身に広がる痛み。特に左腕から、他とは比べ物にならないほどの痛みが響いてくる。
とはいえ、自分の左腕がどうなっているのか、確認するつもりにはなれなかった。
一応、瓦礫に押し潰されているわけではないことは、指先の感覚で把握できる。
そこまで把握した俺は、今しがた起きた事を思い返そうとしたが、脳天を突くような痛みに、思考が阻害されてしまった。
脈打つ鼓動がガンガンと脳を叩きまくっているような感覚に、俺はもう一度うめき声をあげる。
この状況を打開する方法は一つしかない。
俺は、なんとか動かせる右手でポケットを弄り、取り出した最後の羽を左手に当てがった。
途端、まるでヴィヴィの羽が痛みを全て吸い取ってしまったかのように、全身が軽くなってゆく。
「これは……すごいな」
何度経験しても、この感覚に慣れることは無いだろう。
感嘆のあまり小さく呟いた俺は、気を取り直して、頭上にある瓦礫を押しのけてゆく。
本来であれば得策じゃないが、身体能力が強化されている今の俺なら、問題ない。
ボロボロと崩れるように落ちてくる瓦礫を両手で払いのけ、俺は建物の残骸から飛び出し、周囲の様子を伺った。
先ほど、焔幻獣ラージュが横たわっていた辺りを中心に、半径数十メートルもの範囲が真っ黒焦げになっている。
その範囲内にあったものは全て焦げ尽きてしまったようで、辺りには細かい灰が舞い上がっている。
とても悲惨な光景のど真ん中に、平然と立ち尽くしているのは、言うまでもなく焔幻獣ラージュ。
熱気のせいで雨も干上がってしまったのか、雨脚はかなり弱まっている。
当然、少し力を取り戻しつつあるらしいラージュは、俺のことなど無視して、じっと足元を見下ろしている。
そこでようやく、俺はラージュの足元に転がっている塊に気が付いた。
黒く焦げてしまっているらしいその塊は、かすかに湯気のようなものを上げたまま、動かない。
状況を把握したと同時に、俺は一つの疑問を抱く。
なぜ俺は、その塊が動くモノなのだと思った?
黒く焦げてしまっているその塊が、もともと何だったのか示すものなど、殆ど無い。
あるとすれば、塊の傍に落ちている、小さな欠片のような物だけだろう。
嫌な予感が頭の中を駆け巡った時、ラージュが動き出す。
転がっている塊に飽きてしまったのか、周囲を見渡したラージュは、北の方に何かを見つけたのだろう、ゆっくりと歩き出した。
ズシン、ズシンと歩み去ってゆくラージュを見送った俺は、重たい足を無理矢理動かして、転がっている塊のもとに向かう。
そうして、塊の全貌を目の当たりにした俺は、胃から込み上げてくる物を喉で堰き止めるために、歯を食いしばった。
転がっている小さな欠片に目を移し、気分が落ち着くのを待つ。
どれだけの時間がたったのだろう、長いようで短い時間、立ち尽くしていた俺は、意を決して落ちていた欠片を拾い上げる。
その欠片が何なのか、手に取って確認することで、傍に転がっている欠片の正体が分かるはず。
薄々分かっているその正体に確信をつけるため、欠片を拾い上げた俺は、直後、頭を抱えてその場に倒れこんでしまった。
激痛と吐き気、めまいに熱っぽさ。
ありとあらゆる体の不調が同時に襲い掛かって来るような苦痛に、俺は呻く。
このままでは頭が割れてしまうのではないか。
俺がそんな危機感を抱き始めたその時、突如として一つの光景が、まるで雪崩のように脳みそをかき回し始める。
美しい女性の顔。
見たことのないその女性は、ひどく美しく、そして儚げな笑みを、俺に向けている。
誰だ?
どうして俺に笑いかけてくる?
ドレスを身に纏ったその女性は、楽し気に笑いながら平原を駆けて来て、俺の手を取って走り出した。
そんな光景も女性も、全く知らない。
知らないはずなのに、俺はどこか既視感を覚える。
同時に、強烈な悲しみも。
理解のできない感情と光景が、俺の精神を削り取っていく音が聞こえる。
何かがおかしい。変だ。何が変なんだ? 意味が分からない。どうなってる?
耳元で、はたまた頭の奥底で叫びまわっている誰かの声が、俺の脳みそを揺する。
「ニッシュ!」
それらの声の中に、シエルの声が混ざりだした。
いよいよもって俺もおかしくなってしまったのか?
「ニッシュ!? 大丈夫なの!? ちょっと! 返事しなさい!」
大丈夫なわけないだろ? 俺は今、混乱してるんだ。話しかけるのは後にしてくれよ。
「どうなってるのよ……見た感じ怪我はしてないけど……」
語り掛けてくるシエルの声は、力なくしぼんでいった。
これでようやく、一人で混乱できる。
俺がそんなことを考えた瞬間、誰かが俺の両頬を叩き、顔を正面に向ける。
突然の痛みに目を見開いた俺は、俺を見つめるシエルの目を見つけ、正気を取り戻した。
「ウィーニッシュ。大丈夫? 何があったの?」
「え? あぁ……いや、なんでも」
「なんでも無いわけないでしょ!? あんた、自分が今どんな顔して泣いてると思ってるの!?」
「は?」
シエルの言葉を聞いた俺は、素っ頓狂な声を上げて、自身の頬を撫でた。
しっとりとした感覚が、指先に広がる。
慌てて両目の涙を拭った俺は、大きく深呼吸した後、手にしたままの欠片―――仮面の破片を凝視する。
「……どういうことだ?」
「それは私の言葉よ……もしかして、その仮面の持ち主を憐れんで泣いてたの?」
俺にそう告げたシエルは、ばつの悪そうな仕草で黒焦げの塊を一瞥すると、ため息を吐いた。
やはり、転がっている黒い塊は、仮面の女メアリーで間違いないらしい。
先ほどのラージュの攻撃を目の前で受けてしまったのだろうか。
どちらにしろ、今の俺にとって、そんなことはどうでもよかった。
仮面の破片に触れた途端に見えた、あの女性は、もしかしてメアリーだったのだろうか?
正直、俺は仮面の下の素顔を見た事すらない。
なので、あれは俺の記憶なんかではなく、メアリーか誰かの思念のような物……なんだろうか。
そうなんだとしたら、この悲しみはなんだ?
「ニッシュ、物思いにふけるのは後にしましょう。今はあいつを早く止めないと!」
「……あぁ、そうだな」
シエルの言葉を受けて、思考を一旦脇に寄せた俺は、ラージュの向かった方へと向かった。
その途中、瓦礫の中に埋もれているアーゼンを見つけた俺たちは、彼が気を失っているだけなのを確認し、ラージュの追跡に戻る。
そうしてたどり着いた先は、バーバリウスの物と思われる豪邸。
轟々と炎上している豪邸の傍には、例の如くラージュが仁王立ちしており、そんな怪物を取り囲むように、黒い塊が沢山転がっている。
恐らく、ラージュに立ち向かった兵士たちが、黒焦げにされてしまったのだろう。
あまりに惨たらしいその光景から、俺は思わず目を背けてしまう。
生きている兵士達は、道端にうずくまってしまっている。
見る限り、戦っている者はもういない。
もうあきらめてしまうべきなのだろうか。
そんなことを考えた瞬間、俺の両手の候が、光を帯びた。
たとえ一人きりだとしても、諦めずに戦え。
まるでそんなことを言われているような気になった俺が、大きなため息を吐こうとした時。
誰かが頭上から声をかけてきた。
「まだ生きていたんですね。あれだけの攻撃を受けたのに……あなたは不死身ですか?」
声のする方を見上げた俺は、煤の舞うゼネヒットの空に、一人の天使を見つけたのだった。