第64話 湧き立つ心
真っ暗闇の夜の空を見上げながら、私は大きなため息を吐いた。
硬い地面にずっと座っているせいか、少し腰が痛くなってきている。
それもそのはず、ウィーニッシュがモノポリーの面々とゼネヒットに出発してから、そろそろ数時間。
その間、ずっと座りっぱなしなのだから、痛みを覚えるのは至極当然だと思う。
膝を抱え込んでいるから、両手も疲れてきている。
そろそろ限界かな。と私が思い始めた時、私の傍で丸まっていたバディが、声を掛けてきた。
「マーニャ、そろそろ洞穴に入ろうぜ? このまま待ってても、埒が明かねぇよ。そこんところ、分かってんだろ?」
「うん……ごめんね、デセオ。付き合わせちゃって」
私はそう答えながら、傍らでモゾモゾと動くデセオに目をやった。
背中に大量の棘を持っている彼の見た目は、文字通り、ハリネズミだ。
小さな四肢を一生懸命に動かして歩くその様子は、非常にかわいらしいものがある。
ゆっくり立ち上がり、彼を両手で抱え上げた私は、ギュッと抱きしめようとしたが、出来なかった。
「……痛い」
「わりぃな、俺にもどうしようもねぇんだ」
ぼそりと呟いた私に、申し訳なさそうに答えたデセオは、心なしか、少し寂しそうだ。
二人して黙り込んだまま、洞穴の中に入った私は、洞穴の沈鬱な空気を前に、更に強く唇を嚙み締めた。
昨日までは、こんなに洞穴の中が静かになる事は珍しかった。
ハウンズからの逃亡中だったとはいえ、少しずつここでの生活に慣れ始めていたこともあり、気が緩んでいたのだろう。
食事や作業を行ないながら談笑する女性達。狩りや作業の成果を報告し合う男性達。捕まえた虫を見せ合って騒ぐ子供達。
各々が、それなりに幸せを享受していた。
だからこそ、私達はさっき、思い出した。いいや、思い出さずにいられなかった。
私達が置かれている状況と、起こりうる残酷な未来を。
ハウンズの刺客を撃退した後、洞穴の外に集まった私達は、ウィーニッシュからその話を聞かされた。
囚われの不死鳥、アルマとヴィヴィ。
私たちの中にその噂話を聞いたことがある人はいなかった。まぁ、奴隷に重要な情報を教えるわけが無いので、当たり前と言えば当たり前だけど。
その凄惨な境遇の中、何とか逃げのびてきたヴィヴィに同情した私達は、同時に、一つの現実を突き付けられたのだ。
アルマは今、どこにいる?
ヴィヴィが逃げ出していることから、アルマも何とか逃げのびているのではないか。
そんな願望に似た希望を私達が抱いた時、彼女が告げたのだ。
「アルマはハウンズに捕まってる。当然、身の安全は保障されてるが、何されているかは、流石のアタシらでも分かんねぇな」
あまり興味無さそうにそう言ったのは、クリュエルだ。
彼女の言葉がどこまで正しいのか、私達には分からない。
ただ、ハウンズに捕まったらどのような事をされるのか、より詳しく知っているのは私達の方だろう。
そこまで思い出した私は、改めて洞穴の中を見わたした。
アルマの傍に寄り添って慰めようとしている女性達。中には涙を流している人もいる。
男性達はと言うと、皆黙々と武器や道具の手入れを行なっている。
子供達は、大人の様子に怯えてしまったのか、泣き疲れて眠りに落ちている。
誰もが皆、昨日までとは違うものを見ているように、目の色を変えていた。
そんな皆の変化に、正直私は、着いて行けていない気がする。
「少女よ、どうかしたのか?」
どことなく居心地の悪さを抱き始めたその時、ヴァンデンスが背後から声を掛けてきた。
頭の上を舞っているラックが、微かな月明かりを受けて煌びやかに輝いている。
そんなヴァンデンスは私から洞穴の皆に視線を移すと、小さく苦笑いを浮かべた。
「不安なのか?」
短く問いかけて来たヴァンデンスに、私も短く答える。
「はい」
「どうして不安なんだ?」
「どうしてって……」
更に問い返されたことに動揺を隠せない私は、少し考え込んでしまった。
不安な理由。
それは言うまでも無く、私達の将来が原因の一つだ。
このまま、何度もハウンズに襲撃されてしまえば、いずれ捕まってしまうだろう。
そうなれば、反逆したことによる制裁が、待ち受けているはずだ。
下手すれば、襲撃の際に命を落としてしまう可能性もある。
死んでしまうのが怖い。痛い目に合うのが怖い。蹂躙されるのが怖い。
悪意に晒されるのが怖い。
だからこそ、昨日までの私たちはそれらを見ないようにしてきたのだ。
それで逃れられるわけがない事は分かっていたのに。
ヴィヴィという存在が、私達にそれらをまざまざと見せつけてきた。
きっと、全員が考えただろう。彼女の境遇が他人事ではないのだと。
私がそこまで考え至った時、ヴァンデンスが私にだけ聞こえるくらいの声量で、告げた。
「ここにいるのは全員、被害者だ。それも、抗う術を奪われていた、弱者だ。正直、勝ち目なんてないだろうな」
「……そんな!?」
彼の言葉を聞いて、私は思わず声を漏らしてしまった。
これ以上、私達をどん底に突き落とすようなことを、なぜこの男は言うのだろうか。
私は文句の一つでも言ってやろうかと口を開きかけるが、真剣な表情のヴァンデンスを見て、口を噤む。
横目でこちらを確認していた彼は、私が口を噤んだのを見て取ると、こう続けた。
「間違ってないとおもうぜ? なにしろ、ここにいる全員の不安を、一人の少年が背負ってるんだからなぁ」
そう言われて、私は抱えていたデセオをギュッと抱きしめた。
首や胸や腹にチクチクと痛みを感じる。
けど、力を緩める気になれない。なぜだろう。
そんな私の様子を見て、フッと微笑みを溢したヴァンデンスは、ポンポンッと私の頭を叩くと、呟いた。
「まぁ、少年は自分の意思で背負ってるんだから、少女が気にする必要はないさ。ただ、少しで良いから支えてやってくれよ。少年がコケてしまわないようにな」
それだけ言い残して手入れをしている男達の方に歩いて行ったヴァンデンスを、私は呆然と見送る。
「マーニャ、大丈夫か?」
「大丈……え?」
不意に声を掛けてきたデセオに、大丈夫と返事をしようとした私は、声が異常に震えてしまう事に驚き、言葉に詰まった。
途端、堰き止められた声の代わりと言わんばかりに、目頭が熱を発し、とめどなく涙が溢れてくる。
慌てて涙を隠そうと、その場にしゃがみこんだ私は、それでも止まることの無い涙を両手で拭いながら、嗚咽を漏らし始める。
そんな私の様子に驚いた大人達が、慌てて駆け寄って来るが、私は顔を上げられない。
と、私を慰めていた大人達が急に声を荒げ始めた。
「ちょっと! ヴァンデンスさん! さっきマーニャちゃんに何を言ったんですか!」
「おい! ヴァンデンス! 謝れ! 何を言ったんだ!?」
「い、いや、別に酷い事とか……」
「言い訳しないでください!」
大勢の大人たちに責められ、たじろいでいる様子のヴァンデンス。
蹲ったままそんな様子を想像してしまった私は、思わず吹き出してしまう。
「マーニャちゃん?」
私が吹き出したことに気が付いたのだろう、傍で背中を摩ってくれていたメリッサさんが、顔を覗き込んでくる。
「ビックリさせてしまってごめんなさい。私は大丈夫です」
そう言って涙を拭った私は、ゆっくりと立ち上がると、デセオを地面に下ろした。
安心したように見つめて来る皆を見渡し、私は微笑みながら告げる。
「もう大丈夫です。ちょっと、色々と込み上げて来ただけなので。それに、いつまでも蹲ってたら、支えてあげられないですし」
言いながらヴァンデンスに視線を向けると、彼は満足げに笑みを浮かべている。
他の皆が困惑しながら顔を見合わせている中、私は洞穴の外に目を向けた。
真っ暗闇だったはずの空に、キラキラと光る星が散りばめられている。
なぜだろう、暗かった視界が急に明るくなったような気がした。
不思議なほど明るく感じる世界を見渡しながら、私は胸の中から湧き立つ何かを、確かに感じ取ったのだった。