第255話 追憶:闇に沈んだ
ジャックの姿を見て安堵した俺達は、すぐに彼を厨房の中に引き入れると、かき集めたランタンに火を灯した。
それらを四方八方に配置することで、部屋中に光が行き届く。
そこまでしてようやく、俺はジャックに語り掛けたのだった。
「で、ジャック。外の様子はどうなってる?」
「分からない。私は真っ直ぐここに来たからな」
「分からないって、それでも魔法騎士なの?」
「今日は久しぶりに非番だったのだ。だからほら、鎧も来ていないだろう?」
「まぁシエル。おかげで俺達は安全なんだし、文句言うなよ」
若干バツの悪そうな表情のジャックを庇うように、俺は告げた。
とはいえ、このままここでボーっとしてるわけにはいかない。
そう考えた俺は、不安げなメイド達から少し離れると、小声でジャックに問いかける。
「街の防衛魔法は?」
俺の問いかけを聞いたジャックは、一瞬で顔色を曇らせると、小さく告げる。
「黒いのが降り出してからすぐにかき消された。だが、それも仕方あるまい」
「仕方ない? どうしてそんなことが言えるの?」
不思議そうに尋ねるシエルに、彼は言いづらそうに答えた。
「この黒いのは、闇幻獣オスキュリテの仕業だ。人間の魔法が敵う相手じゃない」
「闇幻獣オスキュリテ……? って、なに?」
「夜に住んでいると言われる、巨大な蛾だよ」
「蛾? で、そいつはなんで王都に現れたんだ?」
「それは、正直に言うと、さっぱり分からない。ただ、1つだけ分かっていることがある」
そう言って続きを話そうとしたジャックは、しかし、シエルによって遮られてしまった。
「笛の音……空から黒いのが降ってくる前に、甲高い笛の音が聞こえてたわ!!」
「やっぱりか……アランも同じ音を聞いている。だが、私には聞こえなかった。ウィーニッシュ、これが何を意味するか分かるか?」
「何を意味するって……何者かが、そのオスキュリテって化け物を、王都の上空に呼んだとか?」
「その可能性は高いな」
あてずっぽうで言った俺の推測は、存外間違っていなかったらしく、神妙な面持ちのジャックは躊躇わずに肯定した。
そんな彼の頷く様子を見ているうちに、俺はようやく、事態の大きさを理解し始める。
「ちょっと待ってくれよ、その何者って誰なんだ? なんでわざわざ王都を狙う?」
「それは当然、狙いがあるからだろう」
俺の問いかけに短く応えたジャックは、静かに黙り込んだ。
そんな彼を見ながら、俺は胸の内に焦燥と困惑を抱く。
そしてふと、とある人物のことを思い出した俺は、すかさずジャックに声を掛けた。
「フィリップは? フィリップ団長は何をしてるんだ? もし王都が襲撃されてるんだとしたら、こんなに静かなのはどうして」
「分からん」
食い気味に問いかけた俺に、ジャックは淡々と答える。
これじゃあ埒が明かないと思った俺は、床に転がっている箒を拾い上げると、厨房の扉に向かって歩き出した。
しかし、そんな俺の歩みは、ジャックによって引き留められる。
「ウィーニッシュ、何をするつもりだ?」
「何って、襲撃者が居るんなら俺が倒しに行くだけだ。光さえあれば何とかなるし、そこらの奴に負けるつもりもない」
「ニッシュ、何言ってるの? そんなの無茶に決まってるじゃん」
「じゃあシエルは、このままここで待ってればいいと思うのか?」
「そんなことは思わないけど……」
「ウィーニッシュ、少し落ち着け。私が1人で王城に向かう。お前は皆と一緒にここで待ってるんだ」
俺を強引に引き戻したジャックはそう言うと、俺が握りしめていた箒を奪い取り、厨房の外に向かって歩いてゆく。
一旦、扉の前で立ち止まった彼は、チラッと俺やセレナの方を振り返ると、落ち着き払った声で告げた。
「それじゃあ、私は少し王城に行って助けを呼んでくる。皆はここで待っててくれ。良いな、絶対に、ここから出るなよ」
それだけ言い残した彼は、煌々と輝くアランを従えて、厨房を後にした。
取り残された俺達は、どうすることもできずに厨房の真ん中に寄り添う。
それからどれくらいの時間が経っただろうか。
誰も何も喋らない沈黙の中、一人で悶々と頭を抱えていた俺は、ついに耐え切れなくなってその場に立ち上がる。
「ウィーニッシュ?」
当然、俺が立ち上がったことに気が付いたセレナが、酷く不安げな声を投げかけてきた。
そんな母さんの顔を直視した俺は、意を決して彼女に伝える。
「母さん、俺、王城に行くよ」
「ウィーニッシュ!? 何を言っているの!? ジャック様の話を……」
「そのジャック様も、フィリップ団長も、危険な目に合ってるかもしれない!!」
俺に縋り付いてなんとか引き留めようとしていた母さんは、俺が唐突に大声を上げたことで一瞬怯んだ。
同時に、何かを悟ったような切なげな瞳で、俺の目を凝視してくる。
そんな母さんの瞳から思わず目を逸らした俺は、言い訳するように呟いた。
「母さん。俺、2人を助けたい。俺達が助けてもらったように、助けたいんだ」
「ニッシュ……」
セレナの肩にしがみ付いていたシエルが、小さく呟いた。
そんなシエルの頭をそっと撫でたセレナは、大きなため息を吐いたかと思うと、勢いよく俺に抱き着いてくる。
不意に押し寄せた温もりに俺が戸惑っていると、母さんは名残惜しそうに俺から離れ、ポケットを弄り始める。
そうして母さんがポケットから取り出したのは、白いハンカチだった。
大事そうに持っているそのハンカチを、俺に手渡した彼女は、改めて俺の目を凝視しながら口を開く。
「絶対に怪我しないでね。もし怪我しても、このハンカチでちゃんと手当てするのよ? それと、このランタンも持っていきなさい。転ばないように、足元を照らしながら、進むのよ? あと、絶対に2人を助けて来てね。絶対よ? それに……」
「母さん! 大丈夫。俺なら大丈夫だから」
「……大丈夫? そう、それなら……良いわ」
まだまだ言い足りないことがあるような表情を浮かべたセレナは、まるで自分を納得させるように、小さく呟いた。
そんな彼女の肩から、俺の頭の上に飛び乗ったシエルが、小さくため息を吐いたかと思うと、声を掛けてくる。
「ニッシュ、本当に行くの?」
「もちろん」
「そう。それじゃあ、私もついて行かないとね」
軽い口調で言ってのけるシエル。
そんな彼女の調子に釣られるように、笑みを浮かべた俺は、ランタンを手にして厨房から飛び出していった。
すっかり黒くなってしまった廊下を、ランタンの光でかき分けながら前進する。
そうして、久しぶりに屋敷の外に出た俺は、闇に沈んだ王都の街並みを見渡したのだった。