第250話 どこのどいつ
私の言葉を聞いたセレナは、一瞬、息を呑んだように見えた。
驚きと焦りの入り混じった瞳で私を見つめ、何かを言おうと口を開きかけた彼女は、しかし、ゆっくりと口を噤み、微笑みかけてくる。
そうして、ハンカチを持っている手に視線を移したかと思うと、優しく私に語り掛けてきた。
「ジャックさん。腕、放してくれますか?」
まるで、今の私の問いかけを無かったものにしようとしているようだ。
そう考えた私は、そうはさせまいと意気込むと、今度は彼女の両肩に掴みかかった。
そして、もう一度セレナに問いかける。
「セレナさん、ごまかすつもりですか? 私の見間違いだとでも? そんな言い逃れは……」
言い逃れはできない。
そう言って彼女の持っていたハンカチを手に取ろうとした私は、直後、間に入って来たウィーニッシによって、それを阻まれてしまった。
少ししかめっ面のウィーニッシュが、私のことを睨んできている。
そこでようやく、周囲に目を向けた私は、思っていた以上に空気が重たいことに気が付いた。
傍から見れば、私がセレナに詰め寄っているように見えてもおかしくないだろう。
ただ、質問をしたかっただけなのに、熱くなってしまった。
私は自らの行いを反省しつつ、大きく深呼吸をすると、目の前のウィーニッシュに語り掛ける。
「ウィーニッシュ。通路の防衛はもう大丈夫なのか?」
「あぁ……キリがないから、土魔法で一旦塞いできた。今はアーゼンとカーズが見張りをしてる」
セレナのことを庇うような立ち位置にいる彼は、淡々と告げる。
『完全に警戒されてるな……』
『ジャック、とりあえずリンクを解いたらどうだ?』
『なるほど、それは良い考えだ』
アランに言われて初めて、自分がリンクしていることを思い出した私は、即座に彼の考えに従う。
考えてみれば、リンクした状態の私がセレナに掴みかかっていれば、ウィーニッシュも心配になるだろう。
リンクを解いたおかげで少しは安心してくれたのか、ウィーニッシュがふぅと小さく息を吐く。
そうして、今度は彼の方から問いかけてきた。
「ジャック、今、俺の母さんに何をしようとしてた?」
この質問を耳にした私は、言葉の意味以上の圧を感じていた。
理由は簡単だ、ウィーニッシュや私達を取り囲んでいる住民達の、視線が鋭いからだ。
『下手なことを言ってしまえば危険だな』
そう判断した私は、ゆっくりと言葉を選びながら彼の問いに応える。
「驚かせて済まない。セレナさんに危害を加えるつもりは無い。ただ1つ、彼女に聞きたいことがあっただけだ」
「……聞きたいこと? って言うか、セレナさんって?」
私の応えを聞いたウィーニッシュは、片眉を上げながら疑問を口にする。
彼の疑問は当然だろう。少なくとも、私は今までウィーニッシュの背後にいる女性のことを『セレナさん』と呼んだことは無かった。
ましてや、ついさっき思い出すまで、彼女のことを覚えてすらいなかった。
それも当然だ。まさかこんなところに、彼女がいるなどと、私は考えたことも無かったからだ。
そこまで考えた私は、ふと、セレナの様子に目を向ける。
彼女は、どこか居心地の悪そうな表情を浮かべたまま、私のことを見て来ていた。
そんなセレナの様子に、ウィーニッシュまでもが気が付いたのか、俺と彼女の顔を見比べている。
「え? 何? もしかして、知り合いだったの?」
少しずつ事態を察し始めたらしいウィーニッシュが、小さく呟く。
彼の言葉に便乗するため、すぐに頷いて見せた私は、改めてセレナの目を見ながら口を開いた。
「あぁ。私はお前の母親……セレナさんと、子供の頃に王城でよく会っていた」
「子供の頃!? 王城!?」
驚きのあまりに声を上げたらしいウィーニッシュが、直後、リンクを解いた。
そうして姿を現した彼のバディであるシエルが、セレナの左肩に縋り付く。
「セレナ! 今の本当なの? それって、まだニッシュと私が生まれてないときの話よね!? もしかして、私たちの父親は王都に居るってこと!? どこのどいつなの?」
シエルの反応から察するに、ウィーニッシュは自らの出自などをあまり詳しく知らないようだ。
『まぁ、幼い頃からゼネヒットで生活していれば、そのような境遇はごく普通だから、気にもしなかったのかもしれないが……』
少しばかり気の毒に思いつつも、私はセレナの回答を待った。
対するセレナはシエルの質問攻めに困り果てたような表情を浮かべると、大きなため息を吐く。
そうして、観念したように首を横に振りながら、語りだした。
「ようやく思い出してくれたんですね、ジャック君。今は、ジャック様と呼んだ方が良いでしょうか?」
「ジャック君!? 母さん、こいつとどんな関係だったんだよ!? まさか、この堅物騎士が俺の……」
「違うわよ、ウィーニッシュ。彼と会ってた当時、私もジャック様も子供だったから。……もう、20年くらい前かしらねぇ」
昔を懐かしむように瞼を閉じたセレナは、クスッと笑みを浮かべる。
その笑い方も表情も、その頃と何も変わらないことに、私はなぜか安堵した。
そして同時に、罪悪感を覚える。
部屋に囚われていた間、何度も見たはずのその笑みにも、私は気づけなかったのだ。
一向に気づく気配のない私を見て、彼女は何を思っていたのだろう。
「ねぇ、セレナ。とりあえず教えて。その当時、王城で何をしていたの?」
相変わらず質問をやめるつもりのないシエルが、問いかけている。
そんなシエルの頭を撫でたセレナは、淡々と答え始めた。
「ジャック様と会った時、私は王城のメイド見習いをしていたのよ」
「メイド見習い?」
「そう、そして、私が初めて担当を任されたのが、幼くして剣術の修行のために王都に来てたジャック様だったの」
セレナの言葉を聞きながら、私は当時のことを思い返す。
『歳が違いメイドだから、好きなようにこき使って良いと言われたのに、セレナは失敗ばっかりだったな』
これで本当に王城のメイドになれるのかと心配になるほど、ドジで抜けているところがあったセレナ。
思わず失笑を零しそうになるのを堪えた私は、思い出しついでに語り掛けた。
「セレナはなにかと荷物を運ぶとき、盛大に転ぶ癖があって、転ぶたびにそのハンカチで傷口を洗っていた」
「ちょっと、ジャック様! そんなお話はしなくていいんです! ていうか、癖じゃありません。精一杯だっただけですよ」
「あぁ、なんかセレナっぽいわね」
「シエルちゃんまで……」
こんな会話を交わしているうちに、空気が少しずつ軽やかになって行った。
そんなところも当時と何も変わりが無いのだと気づいた私は、反して、喉元まで出かかっている疑問を口にすることを、躊躇してしまう。
否、先ほどから2度に渡って尋ねてしまっている疑問なのだが、だからこそ、改めて聞きづらい。
王城でメイドを目指していた彼女が、なぜ、ゼネヒットに居るのか。
なぜ、愚か者共が集まるこの街に、あなたがいるのか。
私が抱いたそんな疑問は、当然ながら他の皆も思い至るものだ。
きっと、そんなことはセレナも分かっているのだろう。
つい今しがたまで朗らかになりかけていた周囲の空気が、ゆっくりと重厚感を増している気がする。
そしてついに、沈黙が降りてしまった空気の中、ウィーニッシュがゆっくりと口を開いた。
「母さん……もしよかったら、どうしてゼネヒットに居るのか、俺の父親が誰なのか、教えてくれないかな」
「……」
流石に覚悟を決めていたらしいセレナは、深く重たい息を1つ吐き出し、ぽつりと告げたのだった。
「ウィーニッシュ、あなたの父親は、現エレハイム王国の国王です」