第240話 続きは下で
目を覚ました時、俺は見慣れた天井を見上げていた。
後頭部に感じる枕と身体に掛けられた毛布から察するに、ここは俺の部屋だろう。
ゆっくりと顔だけを動かして窓の方を見た俺は、外の景色が見慣れた町のものだと確認でき、安堵する。
ビックフッドと狼男達を倒したあと、角の化け物に襲われそうになった俺は、何者かに助け出されたのだろう。
まぁ、その何者かが誰なのか、大体察しはついているが。
そこまで考えた俺は、ふと胸元の痛みが消えていることに気が付いた。
確認のために右手で胸を撫でてみるが、やはり痛まない。ということは、アルマ達が治療してくれたってことか。
まだ気怠さの残っている頭を抱えながら、無理やり上半身を起こした俺は、ゆっくりと立ち上がった。
口の中が乾燥してしまっている。
取り敢えずは何か飲み物を飲んで、そのあとアルマ達にお礼を言いに行こう。
そう思って部屋の扉に歩み寄った俺は、扉の外から誰かの足音が近づいてくることに気が付いた。
そんな足音に構うことなく、俺は扉を開ける。
廊下に出て左側にある階段に向かおうとした俺は、廊下の途中でお盆を持った母さんとマーニャが突っ立っていることに気が付く。
更に、母さんの頭の上には、シエルが腰かけていた。
2人が俺の顔を唖然と見たまま、口をパクパクとさせている間に、こちらに気が付いたらしいシエルが、フワフワと寄ってくる。
「やっと起きたのね、ニッシュ」
「おう、おはよう。2人もおはよう。今日はいい天気かな?」
「まだ猛吹雪よ」
「あぁ……そっか、そうだった」
いつも通りの会話をシエルと交わした俺は、相変わらず唖然としている2人を見た後、シエルに問いかけた。
「2人ともどうしたんだ? あれ? もしかして、俺が気を失ってから何日も経ってるとか? まさか、何年も経ってるとか言わないよな!?」
「違うわよ、ていうか逆よ。まだあんたが町に運ばれて1時間も経ってないわよ。だから2人とも驚いてるのよ」
「あぁ、そういうこと。それはあれだな、アルマとヴィヴィに感謝しないとだな。それより、俺喉乾いたんだけど、母さん、そのお盆の上に飲み物ってある?」
「え? あぁ、あるわよ。はい、これ、ゆっくり飲んでね」
「ありがとう」
礼を言いながら母さんから受け取ったコップの水を、言いつけ通りゆっくりと飲み始めた俺は、胸元に変な違和感を覚えた。
まるで、誰かに胸を撫でられているような感触がある。
『なんだ?』
そう思って視線を下におろした俺は、口に含んでいた水を噴き出しそうになった。
妙に真剣な表情のマーニャが、優しい手つきで俺の胸から腹にかけてを撫でていたのだ。
「ちょ! マーニャ!? 何してるんだ!?」
「ニッシュ、もう大丈夫? 痛くない?」
慌てて水を飲み干して声を上げる俺に、マーニャが逆に問いかけて来る。
しまいには、俺の服を捲り上げようとするマーニャの手を、しっかりと握って止めた俺は、コップをお盆の上に戻した。
そして、急にしおらしくなったマーニャに問いかける。
「マーニャ、どうしたんだ? 俺はもう大丈夫だって。痛む場所なんてないし、喉は潤せたし。もう心配しなくていいんだぞ」
「でも!」
俺の言葉を聞いたマーニャは、一瞬目を見開いたかと思うと、怒りを顔に浮かべながら口を開いた。
しかし、そんな彼女の言葉は、母さんの声に遮られてしまう。
「まぁまぁ、マーニャちゃん。ウィーニッシュは何も知らないみたいだから、許してあげて」
「でも、セレナさん!」
「え? 母さん。俺が何も知らないってどういうこと?」
そんな俺の質問を聞いた母さんは、少し顔を曇らせた。その質問にはあまり応えたくないのだろうか。
代わりに、俺の頭の上のシエルが質問に答えてくれる。
「ニッシュがここに運ばれてきた時、折れた肋骨が皮膚を突き破ってたのよ。おまけに、あんたを運んできたヴァンデンスも血まみれだし。メアリーとアルマ達がいてくれなかったら、多分2人とも死んでたわね」
「え? それマジ?」
「マジよ。同じタイミングでアルマ達の治療を受けたヴァンデンスは、まだ回復してないわ。まぁ、あんたに比べれば軽傷だったけどね。だから、セレナとマーニャは驚いてたのよ」
「……」
シエルの説明を聞いて言葉を失った俺は、改めて気を失う前に見た光景を思い浮かべた。
鹿の角を持った謎の生き物。
まず間違いなく、気を失いかけた俺を食べようとしていたあの生物から、俺を守ってくれたのは、ヴァンデンスだ。
意識を失う直前に聞いた『しゃっくり』が、それを証明している。……と思う。
『ヴァンデンスはあの角の化け物と戦って、怪我をしたのか? そんなに強い相手だったってことか?』
そんなことを考えた俺は、ふと、先ほどシエルが言っていた内容に違和感を覚えた。
その違和感を疑問に変えて、シエルに投げかけてみる。
「なぁシエル。さっきから自分で見て来たような口調で説明してくれたけど、もしかして俺が気を失った後、何があったのか見てたのか?」
「見てたわよ? ニッシュが気を失ったせいでリンクが解けちゃったから」
「……ってことは、あの後何があったのか、知ってるってことか」
「知ってるわ。後で話すつもりだったけど、今から話す?」
「できれば早めに聞いておきたいな。今後の為にも、知るべきだと思うし。ヴァンデンスはどうして怪我したんだ?」
「角の化け物との戦いで怪我したのよ。確か名前は……」
そう言ったシエルが、化け物の名前を思い出そうと頭を抱えた直後。
階段の方から声が聞こえてきた。
「ウェンディゴ。古より存在する精霊の一種じゃな」
そう言いながら階段を上って来たのは、グレアムだった。
「そうそう、そいつよ」
彼の言葉を聞いたシエルも、大きく頷いている。
少し疲れの見える表情のグレアムは、俺達に小さく手招きをすると、階段を降り始めながら告げたのだった。
「続きは下で話すとしよう。バンドルディア先生も会いたがっておるしな」