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第239話 妙な安心感

「ウィーニッシュ! 何してる、速く逃げろ!!」


 崩れた天井から覗き込んでくる狼男とビックフッドに、俺が苦笑いをした直後。


 背後でイワンが叫び声を上げた。


 そんな彼の声がトリガーとなったように、ビックフッドが雄たけびを上げ、狼男たちが氷の通路の中に飛び込んでくる。


 すぐさま踵を返した俺は、先を走るイワンの背中を追いかけながら、思考を回転させた。


『ニッシュ! このまま逃げちゃったら、他の皆が!』


「分かってる! 分かってるって!! こんな化け物達を皆のところに引き連れていくわけないだろ!?」


 口ではそう言いながら、俺はイワンの後について走ってしまっていた。


 このままじゃいけない。


 そう思った俺は、イワンに続いて木造の部屋に飛び込むと、周囲を見渡す。


 この部屋から伸びている氷の通路は、全部で3本あった。


 1本は、今俺とイワンが飛び出して来た通路、もう1本はダンジョンに向かう通路。


 そうして、最後の1本は、ゼネヒットの街の北に向かって伸びている通路。


 イワンが迷うことなくダンジョンに続く通路に飛び込んでいったのを見た俺は、躊躇することなく北に伸びている通路へと向かった。


 部屋の中を駆けながら、倒れていた戸棚を蹴り飛ばして、ダンジョンに続く通路の入り口をふさいでおく。


 そのまま目的の通路に入った俺は、背後から迫り来る狼男達の様子を伺いながら、加速する。


 とはいえ、このまま走り続けていたら、いつか追いつかれてしまうだろう。


 それだけ狼男達の走る速度は速い。おまけに、ビックフッドも通路の外を地響き立てながら追いかけてきているようだ。


「どこか、どこかこいつらを迎え撃てる場所は……」


 右に左に、歪に曲がりくねっている氷の通路を、ポイントジップや壁蹴りを利用して走り続けた俺は、ようやく通路を抜けた。


 その先にあったのは2階建ての建物らしく、木製の階段と少し広めの居間が視界に入った。


 咄嗟に階段を駆け上がった俺は、階下の玄関から何者かが建物の中に飛び込んでくる音を耳にする。


 恐らく、俺を追いかけて来ていた狼男達だろう。


 そんな音を無視して息を殺した俺は、2階の廊下から階段を見下ろした。


 今のところ、狼男達はまだ俺が隠れている場所に気がついていないらしい。


 このまま俺のことを諦めてくれ、と思った俺は、不意に妙な視線を感じた。


「……?」


 恐る恐る、右肩越しに背後を振り返った俺は、視線の先に小さな窓があることに気が付く。


 その窓は天井に近い個所にあり、恐らくは換気目的の窓だろう。


 窓ガラスではなく木製の格子がはめ込まれているその窓の外が、妙に赤く光っているのだ。


 その赤い光を目にした俺が、「なんだ?」と小さく呟いた瞬間。


 まるで俺の視線に気が付いたかのように、その赤い光がフッと消えてしまった。


 そこでようやく、俺は思い出す。


 ビックフッドの目は赤く光っていたではないか。と。


「やばっ!!」


 思考して、動き出すまでの時間は僅かだった。


 本来なら、ビックフッドの覗き込んできていた窓のすぐ下の壁が、巨大な拳にぶち破られるまでに、逃げ出すことができたはずだ。


 しかし、結論から言うと俺はビックフッドの拳を避けることができなかった。


 なぜなら、この時の俺はもう1つの脅威にさらされたのだ。


「けけけけっ」


 突如、耳元で響いたその声に、俺は一瞬動きを止めてしまう。


 直後、ドゴンッという重たい音が周囲に響き渡り、俺はビックフッドの拳を全身で受けてしまう。


「がっ!!」


 当然ながら、勢いよく吹き飛ばされた俺は、背後にあった壁を突き破り、その先にあった路地に転がり落ちた。


 猛烈な風に乗って俺に降り注ぐ雪が、まるで針のように痛む。


 それらの雪の中には大粒の雹も大量に混ざっており、少し横たわっているだけでも全身に打撲の跡が残りそうだ。


 そんな痛みから身体を守るために、全身を丸めた俺は、呼吸がしづらいことに気が付いた。


 思い切り息を吸い込もうとすると、胸元に痛みが走り、せき込んでしまう。


 そうしてせき込んだせいで、更に胸元の痛みが強くなり、俺は悶絶した。


 少し離れたところから、多くの足音と地響きが近づいてきている。


『ヤバい、ヤバい。早く逃げないと!!』


『ニッシュ! 大丈夫!? 早く立って逃げないと!! 狼男がすぐそこまで迫ってるわよ!!』


「分かって……がはっ!!」


 ゆっくりと立ち上がりながら、シエルに返事をしようとした俺は、激しくせき込んだ拍子に吐血してしまった。


 打ち付けて来る風の冷たさと反比例するように、全身が熱い。


 状況に反して冷静な頭で、これは結構ヤバいなと思った途端、本当に久しぶりに両手の紋章が光を帯び始めた。


 真っ白い視界と熱い胸元、そして輝く手の甲。


 更には、背後から迫り来る敵の気配。


 置かれた状況の最悪さに、思わず笑みを溢した俺は、ゆっくりと背後を振り返りながら小さく呟いた。


「こんなところで、諦めると思うなよ?」


 ビックフッドと狼男達と思われる影が俺のいる路地に飛び込んでくる。


 そんな影たちに両手を差し向けた俺は、出せる限りの力を振り絞って、ラインを描く。


 そうして、胸の痛みを無視しながら叫んだ。


「喰らいやがれ!!」


 直後、その狭い路地に、一筋の閃光が迸る。


 眩いその閃光は幾千もの筋に分岐したかと思うと、飛び込んで来た影達を貫いて行った。


 そんな光景が広がった後に、周囲の空気を轟かせるような音が、響き渡る。


 俺の雷魔法を喰らったビックフッドと狼男達は、流石にもう動くことができないのか、その場に倒れこんでいった。


 取り敢えずの窮地を脱することが出来た。


 そう考えた瞬間、緊張が抜けたせいか全身に力が入らなくなった俺は、その場に崩れ落ちる。


『ニッシュ! 大丈夫!? こんなところで寝ちゃだめよ、凍死するわ!』


 頭の中で響き渡るシエルの声に、何か返事をしようと思った俺が、ゆっくりと口を動かそうとした時。


 俺は視界の端で動く黒い影を目にした。


 その影は、頭に鹿の角を持っていて、ゆっくりと俺の方へと歩み寄ってくる。


 ボンヤリとした視界の中で、確かに近づいて来るその影は、俺が思っていたよりも背丈が小さかった。


 角まで含めたとしても、俺の膝よりも小さい。


 疲労と痛みのせいで混乱する頭に、更に負荷をかけるようなその生物を見ていた俺は、ふと気が付いた。


 その生物には目も鼻も耳もない。


 あるのは、真っ黒い手足と鹿のような大きな角、そして、人間のような大きな口だけだった。


 不気味すぎるその姿の生物は、もう少しで俺の傍にたどり着くという所で、小さく呟く。


「……旨そう」


 シエルとリンクしているおかげで聞き取れたその微かな声に、俺は戦慄する。


 不気味な格好のその生物が舌なめずりしながら見ているのは、間違いなく俺だ。


 うつ伏せのまま、逃げ出すこともできない俺は、胸の中にじわじわと広がってゆく恐怖に支配されかかっていた。


 もうすぐ、こいつに喰われてしまう。


 ボンヤリとした視界がゆっくりとブラックアウトしてゆく中で、俺が最後に考えたのは、そんなこと。


 この状態で俺が絶望したり、閻魔の呪いに身を任せなかったのは奇跡だろうか。


 否、そうじゃない。


 なぜなら、俺は意識を失ってしまう直前に聞いたのだ。


 短くて、高くて、そして意味のない。それでいて、妙に安心できるその音を。


 だからこそ俺は、安心したまま意識を失うことができたのだった。


「……ヒック」

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