第238話 大きな足
「うおっ!?」
突然の声に驚いた俺は、みっともない叫びを漏らしながら背後を振り返った。
しかし、今しがた耳元に聞こえた笑い声の主はどこにも見当たらない。
最大限の警戒をしながら周囲を見渡してみるが、腰を抜かしたままの住民達しか居ない。
『気のせい……だったのか?』
無理やり自分を落ち着かせた俺は、とにかくここを離れた方が良いと判断し、傍で座り込んでいる女性の手を取った。
「と、とりあえず、ここを離れよう! 急いで! あいつがまた現れるかもしれない」
俺の提案を聞いた住民達は、慌てた様子で立ち上がると、我先にと通路を進み始めた。
そんな彼らを、ダンジョンへ誘導しながら、俺は思考を巡らせる。
「さっきのは何だったんだ? 氷の壁の外にいたはずだよな……シエル、この周辺にさっきの奴の気配とか感じないよな?」
『分からないわね。音を聞こうにも、外の吹雪のせいで何も聞き取れないし。氷の壁でニオイも遮断されてるから』
「そっか……さっきの奴、メアリーは気づいてるのか? あの図体と角から考えて、狂暴な魔物とかの可能性もあるよな。それに、気配を察知されずに背後に回ったり。かなり手ごわそうだ」
『メアリーもリンクできるようになったんだし、そんなに心配しなくていいんじゃない? この吹雪の中なら、氷魔法も使い放題でしょ』
「それもそうだけど……」
『それよりも、まだ見つかって無い一般人を助け出す方が重要でしょ? それこそ、あんな奴に出くわしたら、手も足も出ないわよ』
「そうだな」
頭の中で響くシエルの言葉に納得した俺は、引き連れていた住民達をダンジョンへの通路に誘導して、再び街の探索に戻った。
そうしている間にも、ヴァンデンスやゲイリー、クリュエルが別々の氷の通路を通って住民を引き連れて来ている。
多分、イワンやカーズも探索に出てくれているはずだ。
そろそろ街中の探索が終わるんじゃないだろうか。
俺がそんなことを考えながら、引き連れていた住民達と倒れている棚を部屋の隅にどかしていた時。
どこからともなく、大勢の人間が走る足音が聞こえてきた。
その足音は、街の西側に伸びている氷の通路から、徐々に近づいてきているらしい。
「今度はなんだ?」
住民達と顔を見合わせた俺は、恐る恐る足音の近付いて来る通路を覗き込んだ。
直後、大勢の人々が通路から飛び出してきて、そのまま別の通路へと駆け込んでゆく。
慌てている様子の彼らを見て、あっけにとられていた俺は、人々の列が途切れたところで、改めて通路の中を覗き込んだ。
他の通路と特に変わり映えのない、氷でできた狭い通路だ。
まっすぐ伸びた先で左右に分岐しているらしく、今のところ何の姿も目にすることはできない。
またさっきの黒い影でも出たのかと考えた俺は、次の瞬間、通路の突き当り左側の方から1人の人物が飛び出して来たのを目にした。
イワンだ。
細身のレイピアを手にしたまま走っている彼は、俺を見つけるや否や、大声で叫ぶ。
「ウィーニッシュ! 逃げろ!! 急げ!!」
「イワン!? 何が……っ!?」
全速力で走って来るイワンに事情を聞こうとした俺は、言葉の途中で全てを理解した。
走るイワンを追いかけるようにして、1匹の狼男が通路の突き当りに姿を現したのだ。
白い毛並みと獰猛な牙を持っているその狼男は、通路の壁や天井に身体をこすり付けながら、イワンに襲い掛かろうとしている。
人間なんて相手にならない程の体格を持っているこの狼男から、イワンが逃げるのも当然だ。
ましてや、細身のレイピアで何とかなるような相手じゃない。
そこまで理解できれば簡単だ。
すぐに身構えた俺は、光魔法とジップラインを駆使してイワンの頭上へと飛び込んだ。
今にもイワンに追いついて、その強靭な両腕で彼身体を壁に叩きつけようとしている狼男。
そんな化け物の眼前に一瞬で飛び込んだ俺は、振りかぶっていた右の拳を狼男の鼻先に叩き込んだ。
直後、勢いよく背後に吹っ飛ばされて行く狼男。これでしばらくは起き上がれないだろう。
さっきの影よりも、こいつの方がまだ戦えそうだ。
なんて、甘いことを考えていた俺の脳裏に、シエルの声が響き渡った。
『ニッシュ! 上!! 壁の外!!』
「はっ!?」
咄嗟に上を見上げた俺は、何やら黒い塊が落ちてきていることに気が付いた。
見上げるとほぼ同時に後ろに大きく飛び退いた俺は、ビキッという音を聞いた直後、激しい衝撃に押されて、背中から後ろにはじき出される。
通路の床を転がりながら確認できたのは、激しい衝撃によって崩れる氷の通路と、その通路を壊した黒い塊。
その塊は通路の天井を突き破って降って来たかと思うと、ゆっくりと持ち上がってゆく。
何が起きているのか。
すぐに体勢を立て直した俺は、崩れた天井から吹き込んでくる吹雪に晒されながら、外の様子を伺った。
そうして目にしたのは、先ほど降って来た黒い塊の正体。
降って来たと思っていたそれは、振り下ろされた大きな足で、足があるということは持ち主がいるという訳だ。
「こ、こいつは……」
『デカいわね……なんて図体してんのよ』
吹雪で白く塗りつぶされた空に浮かぶ、2つの赤い瞳が、俺のことを見下ろしている。
狼男の何倍もの大きさを誇るその巨人は、全身を黒色の毛におおわれていて、その姿はまるで、どこかで聞いたことのある化け物のようだった。
「ビッグフッドかよ……」
思わず呟いた俺は、先ほど壊れた天井から複数体の狼男が顔を覗かせていることに気づき、苦笑いを浮かべたのだった。