第234話 地味な状況
ウィーニッシュが何故、王都ネリヤの正門前に現れたのか。
その経緯を知るためには、息吹の夜から半年後にまで時間を遡らなければならない。
ウィーニッシュ達によるゼネヒット奪還が成功し、平穏を取り戻したかに思えたゼネヒットでは、慌ただしい毎日が流れていた。
と言うのも、突如として街の運営をすることになったウィーニッシュ達に、ノウハウがある訳がない。
かといって、誰にも頼ることはできない。
度々襲撃してくる魔法騎士達を撃退しながら、街中から上がって来る様々な問題を解決するために、多くの人間が忙しなく働いているのだ。
その中でも、流れで街の代表を任せられたウィーニッシュへの負担は、計り知れないものだった。
「……腰が痛い。もう歳だな、これは」
「何言ってんのよ、ニッシュはまだ10歳でしょ?」
「まだ10歳の子供が、どうして街の代表をしてるんだよ……もっと他に適任がいただろ? ったく、皆やりたがらないんだもんなぁ」
「まぁ、仕方がないんじゃない? あんなもの見せられたらねぇ」
ゼネヒットの北にある建物の一室でぼやく俺に、シエルがそんなことを言う。
シエルの言っている“あんなもの”って言うのは、恐らく、息吹の夜の事だ。
とはいっても、あれは俺一人で実行したわけじゃないし、皆で話し合って決めてたことなんだけどなぁ。
そんなことを思いながらも、俺は大きなため息を吐いた。
「はぁ……まぁ、愚痴を言ってても仕方ないか。なんとかハウンズを街から追い出せたんだし。ここで踏ん張らないと、意味ないからな」
「そうね。まだまだやることは沢山あるわよ」
そう言ったシエルは、俺の座っている机の上から書類の束を持ち去ったかと思うと、別の束を持って戻ってきた。
そんな彼女の姿をげんなりと見た俺は、彼女の後ろの床に大量の書類が積み上げられているのを見てしまった。
「大概にしてくれよ……なんでこんなに書類が多いんだ? 別に、必要ない書類は無くしてしまえばいいだろ?」
「無くせない分だけがここに集まってるのよ。えっと、確か。これがダンジョンと街の連絡通路開通に関する報告書で、そっちが食料調達計画の案。それとそっちが避難所の増築に関する素案で……」
「だぁぁぁぁぁ!! 良いって、分かった、見る。見るから」
「それにしても、街の運営ってかなり大変なのね。正直、元貴族のメアリーがいなかったらどうしようもなかったんじゃない?」
「それは確かになぁ……そういえば、メアリーは今何をしてるんだ?」
「彼女はそれぞれの現場を見て回って、大きな方針の決定をしてくれてるわ。その結果が反映された報告書が、ニッシュに届いてるのよ。正直、私達がやってるのは雑用ね。メアリーが効率よく動けるように、サポートしてるわけよ」
「代表とは名ばかりだよなぁ……いや、そうも言ってられないか。シエルの言う通り、メアリーが動いてくれてるから、何とか回せてるんだよな、俺達。そうとなれば俺は、承認印を押す奴隷にでもなんにでもなるとしますか」
改めて気合を入れ直した俺は、手元に積まれている書類に目を通し始めた。
それらの書類には、ゼネヒットをより良い街にするための計画などが事細かに記載されている。
少し前まで、憎き敵と戦いを繰り広げていたとは思えないほど地味な状況に、俺も思う所が無いわけじゃない。
だけど、現実とはこういうものだ。
このまま平穏な日常が続いてくれることこそが、俺達の望んでいたものな訳で。決して、戦い争うことを望んでいるわけじゃない。
とはいえ、厄介な課題が完全に解決してしまったわけでも無い。
特に、息吹の夜にアンナから渡された手紙の件については、未だに理解ができていない状況だ。
近い内に皆にも話して、心当たりがないか聞いてみようと思いつつ、中々話すタイミングが無かった。
それくらい、この半年は本当に忙しかったと言っておこう。
「そろそろ、皆で集まって話をしておきたいなぁ……」
手紙のことを思い出した俺は、そんなことを呟いた。
実際、話すべきことは沢山ある。
まずは、地下牢で見つかったバンドルディアのこと。
彼はハウンズによる拷問のせいで精神を病んでしまっていたらしいが、アルマ達の看病のおかげで何とか正気を取り戻しつつある。
次に、フェニックスの涙のこと。
ハウンズがアルマとヴィヴィから搾り取っていた回復薬。
正直、もうそんな商品を作りたくはないけど、彼女達の能力で救われた命が沢山あることもまた事実なんだ。
当の本人たちも、強引なやり方じゃなければ、協力したいと言ってくれている。
そして、シェミーが居たというハウンズの研究所のこと。
バンドルディアの研究結果をハウンズが悪用して、バーバリウスは戦力を手に入れていた。
そんなおぞましい研究所は潰してしまうべきだ。
しかし、その研究所がどこにあるのか、いくつあるのか。詳細を知っているのはハウンズの人間だけ。
カーズが1か所だけ知っていると思うけど、その辺の話をまだできていない。
考え出すと頭が痛くなってしまうような難題ばかりだ。
今すぐにすべてを放り出して、温かいベッドで眠りにつきたいと思う俺だったが、もうそんな願望はかなえられない。
それを証明するように、突然、俺達の居た部屋のドアが勢いよく開け放たれた。
慌てた様子で扉から中に入って来たのは、ドレスに仮面を身に着けた女性、メアリーだ。
「大変ですわ!!」
そう言いながら俺の座っている机に歩み寄った彼女は、机の上に両手を付いて言葉を続けた。
「ウィーニッシュ、すぐに外に出て来て下さい!!」
そう叫ぶ彼女の胸元から、ルミーが顔を覗かせている。
そんなルミーから無理やり視線を外した俺は、メアリーの目を見ながら尋ねた。
「ちょ、メアリー。どうしたんだ? もしかして、魔法騎士の襲撃か?」
「そんな程度の話じゃありませんのよ!! 早く!!」
『そんな程度!? え? 何、何が起きてるって言うんだ!?』
メアリーのまさかの発言を聞いた俺は、飛び上がるように立ち上がると、メアリーの後を追って建物の外に出た。
そうして俺が建物の外に出て目にしたのは、どんよりと曇っている空と、少し肌寒い風。
それと、忙しなく街中を走る人々の姿だった。
爆発音も衝撃も、戦闘の気配も何も感じない。
別に、何も起きていないじゃないか。
思わずそう言おうとした俺は、隣に立っているメアリーがフワッと浮かび上がったのに気が付いた。
すぐに俺も、彼女の後を追うように空に浮かび上がる。
そうして、北の方を睨みつけたメアリーが、ゆっくりと視線の先を指さした。
釣られるように彼女の視線の先を見やった俺は、確かな違和感を抱いた。
遥か北の地平線が、真っ白な何かで塗りつぶされている。
それが何なのか、良く分からなかった俺に向けて、しびれを切らしたらしいメアリーが、震える声で告げた。
「雹幻獣ネージュですわ……」
「雹幻獣ネージュ? なんだそれ? なんか、焔幻獣ラージュと名前が似てるな……」
「当たり前ですわ。なにしろ雹幻獣ネージュは」
そこで一旦言葉を区切ったメアリーは、ごくりと唾を飲み込んだ後に言葉を続けた。
「焔幻獣と対を為すと言われている、氷雪の幻獣。極寒の猛吹雪を連れて世界中を飛び回る、大災害ですのよ!!」
「……大災害?」
彼女の言葉を受けた俺は、ふと、空から白くて冷たい粒がゆっくりと降りてきたことに気が付いた。
視界の前を上から下へと降りてゆくそれは、まぎれもない雪だ。
と言うことは、北の地平線を塗りつぶしている白い壁は、全て雪と言うことだろうか。
そんな考えに至った俺は、顔を引きつらせながら呟いたのだった。
「冗談だよな」