第229話 俺達の声
ところ変わって、街の南側。ゼネヒットが闇に閉ざされる少し前のこと。
2つの轟音を耳にしたアンナ・デュ・コレットは、焦りに満ちた表情を浮かべたまま、空高くへと飛び上がっていた。
街の北側には、歪な形の2つの塔が姿を現している。
それとほぼ同時刻、街の西側の空が赤く染まり、数秒後、何事もなかったかのように赤が抜け落ちていった。
明らかに、ゼネヒットの街で何かが起きている。
いや、起きようとしている。
そう感じた私は、一瞬だけ遥か下の様子に目をやった。
『マルグリッドとフレデリック達がいれば、この場はどうにか納めてくれるはず。私が今するべきことは……』
『……あの塔が怪しい。我はそう思うぞ?』
『偶然ね、私もよ』
頭の中で響くクレモンの言葉を聞いて、私は賛同した。
そうしてすぐに、私は2つの塔を目指して飛び始めた。
背中の翼を駆使し、風魔法で空気抵抗を和らげながら、私は夜空を切るように飛んだ。
星や月の光でボンヤリと照らされているその塔の上には、幾つかの人影が見て取れる。
東側にある塔の上には、数人の人影が。西側にある塔の上には、1人の人影が。それぞれ対峙するように乗っているようだ。
近付くにつれて少しずつ鮮明になってゆく光景。
何が起きているのか、全神経を集中させていた私は、しかし、頭の中で響くクレモンの声に意識を散らされてしまった。
『アンナ! 街の中を怪しい影が走っておるぞ!!』
「なんですって!?」
彼の言葉を聞いた私は、慌てるあまりに、塔に向かって飛ぶことをやめてしまった。
そうして、クレモンの言う街へと視線を落とす。
確かに彼の言う通り、狭い路地を複数の人影が小走りで移動している。
それらの影を見た私が、初めに抱いた感想は、『怪しい』だった。
しかし、すぐにその感想が見当違いなのではないかと思ってしまう。
なぜなら、走っている人影の仕草や様子が、とても手練れのそれには見えなかったからだ。
まるで、盗みを働いたコソ泥が、現場から逃げようとしているような、そんな様子。
普段であれば、このゼネヒットにおいてその様子は何の変哲もない光景だったかもしれない。
しかし、状況が状況だ。
深いフード付きの外套を身に纏ったコソ泥が、こんな異常事態の中で下手に動き回るだろうか……。
「……」
今一度、2つの塔に目をやった後、私はすぐに街を小走りで移動している影に視線を戻した。
どちらに向かうことを優先するべきか。
ほんの一瞬迷った後に、私は塔に向かうことを選び取る。
襲撃の首謀者がどんなことを考えていようと、主犯さえ捕まえてしまえばあとは何とでもなる。
細かなことは後から考えればいい。
そんな風に思いつつ、もやもやとした違和感を頭の片隅に残したまま、私は塔の元へとたどり着いた。
そうしてようやく、それぞれの塔にいる人物を目にすることができた。
「バーバリウス様!? これは一体……」
西側の塔の上に立ち、しかめっ面をしているバーバリウスを見て、私は思わず言葉を漏らしてしまった。
当然ながら、私の姿に気が付いたらしい彼は、あふれ出る怒りを隠すことなく告げる。
「おい、貴様は魔法騎士なのだろう? 今まで何をしていた? こんなところまで賊に入り込まれて、無能にも程があるのではないか?」
「も、申し訳ありません」
「謝る暇があるのならば、今すぐにその小僧を叩きのめせぇ!! 失敗すればどうなるか分かっているだろうな!!」
「はっ!!」
言われるがままに返事をした私は、釈然としない気持ちを飲み込みながら、もう1つの塔に目をやる。
そこには、苦笑いを浮かべたウィーニッシュが立っていた。
彼の後ろには、アルマとヴィヴィらしき2人と、カナルトスで見た男が1人いる。
そんな彼らに向けて剣を構えた私に、ウィーニッシュが語り掛けてきた。
「国家公務員ってのも大変だよなぁ。俺には絶対できない仕事だよ。いや、一時期してたのか……まぁ、そんなことはどうでもいいや。元気にしてたか? アンナ。お互い、地の底から逃げ出せて良かったよな」
「世間話をする気分じゃないわ。何しろ、あなたのせいで怒られたんだし。で? 何を企んでるの? もしかして、その2人を誘拐するつもり?」
少し語気を強めた私の問いかけを聞いたウィーニッシュは、小さく笑いながら応えた。
「誘拐? そんな大それたことをするつもりは無いぞ? 俺達がしたいのは、いたってシンプルだ。文句を言いたいんだよ」
彼の答えを聞いた私は、思わず問い返してしまう。
「文句?」
「そう。だけど、この世界じゃあ、俺達みたいな存在が文句を言ったところで、誰の耳にも届かないだろ? だから、皆で言うことにしたんだ」
「それで、街を襲撃したのね。だけど、こんな襲撃じゃあ、その文句もただ押し潰されちゃうだけよ。それより、もっといい方法があるわ。ウィーニッシュ、あなた……」
「魔法騎士になって国のために働けって? そうすれば、国王が貴族が国民が、国中の全ての人が、俺の声を聞いてくれるって言いたいのか? だとしたら、それは間違ってるぞ、アンナ」
「どこが間違ってるの?」
少し馬鹿にするようなウィーニッシュの口調に、私はむきになって問い返してしまった。
よくよく考えれば、こうして問答をする必要はどこにもない。
そんなことは分かっているけど、私は彼の言葉に耳を傾けずにはいられなかった。
私のそんな心情を理解しているように、ウィーニッシュは淡々と言葉を続ける。
「文句を言いたいのは、俺だけじゃない。俺だけじゃないんだよ、アンナ」
「何を言って……」
ウィーニッシュが具体的に何を言っているのか、私は良く分からなかった。
だからこそ、詳しい説明を求めようとしたその時。
街に闇が舞い降りた。
星や月の淡い光で照らされていた街が、完全な漆黒に包まれてしまう。
この闇は魔法によるものだ。
闇に包まれて数秒で、そう認識した私は、ふと周囲を見渡して1つのことに気が付いた。
深く重たい闇に包まれているゼネヒットの街の中に、小さくて軽い白い光が、いくつも存在している。
まるで、夜空の星々がゼネヒットの街に落ちて来てしまったような光景。
あまりにも幻想的なその光景に、私が目を奪われていると、どこからともなくウィーニッシュが話し始める。
「小さな蝶が羽ばたいたことで起きる微かな風が、遥か遠くの地に嵐を生み出す。そんな話を聞いたことあるか?」
彼が言葉を紡いでいる間に、私は視界の端でチラッと動くモノを目にした気がした。
それが何なのか確かめるために、私は視線を落とす。
そして、先ほど視界の片隅で目にしたものが、見間違いではないことを理解した。
ゼネヒットの街中に散らばっていた微かな光達が、ゆっくりと浮かんだかと思うと、空に向かって上昇を始めているのだ。
その光景を茫然と眺める私の耳に、再びウィーニッシュの声が響いてきた。
「もし、その小さな蝶が大量にいて、一斉に羽ばたいたとしたら、出来上がる嵐はどれだけ大きなものになると思う?」
浮かび上がった無数の光達が、私にはチカチカと明滅しているように見えた。
なぜ、明滅しているのか。
理由を探すために目を凝らした私は、その理由を理解する。
微かに光っていた無数の光は、白くぼんやりと輝いている蝶だったのだ。
そんな蝶たちは、幾本もの帯を形成しながら、少しずつ、私達の居る場所へと近付いて来ている。
そうして、蝶たちはとある場所に集まり始めた。
それは、ウィーニッシュの小さな背中。まるで、彼の羽になったかのように、無数の蝶が集まり、巨大な羽を形成してゆく。
あまりにも神々しいその光景を前に、私は言葉を失なう。
視界の端に映るバーバリウスでさえも、息を呑んでいるようだった。
そんな私達に告げるように、闇の中に浮かび上がったウィーニッシュが、力強い声で叫んだ。
「バーバリウス!! 見えるか!? 聞こえるか!! これが俺達の声だぁぁ!!」
怒りに任せたようなウィーニッシュの叫びが、闇の中に響き渡った次の瞬間。
ゼネヒット中を震撼させるような歓声が、街中から湧き上がる。
足元から響いて来る大きな歓声に、私は少しだけ身震いしてしまったのだった。