第225話 2つの塔
これは何かの見間違いなのか。
目の前で繰り広げられた、一瞬の出来事を前にして、私は茫然としていた。
「で? 早く教えてくれないか? あんたから逃げられないって根拠を。隠してる切り札を」
妙に仰々しく告げるウィーニッシュの視線の先には、私が見たことのない表情を浮かべたバーバリウスがいる。
まだ年端も行かない子供に、そのようなことを言われた彼は、よほど怒りを覚えたのだろう。
面食らった表情が、見る見るうちに怒りへと切り替わってゆくのを、私は見ていた。
いつもなら、その時点で強烈な恐怖を覚えたはずなのに、今の私は不思議と平静を保てている。
なんでだろう。
ふと抱いた疑問の答えは、説明されるまでもなく明確だった。
ウィーニッシュの存在だ。
私よりもずっと若くて、身体も小さい彼の背中が、とても頼もしく見える。
彼の足元に転がっているカトリーヌの姿が、更に、彼の背中に彩りを加えているように見えた。
「まぁまぁ、そんなに怒るなって。子供の戯言だろ? いい大人なんだから、聞き流してくれよ。それにしても、今日は逃げないんだな。俺はてっきり、尻尾撒いて逃げてくんだと思ってたよ」
「小僧……っ!!」
「そりゃあ逃げられないよなぁ。なにしろ、お前にとっての大事な大事な商品が奪われそうなんだからな。でも、安心してくれ。俺達は彼女達のことを商品だなんて言わないし、人としてちゃんと接するし、なんなら、監禁なんてしない。絶対にだ。な? 安心だろ?」
怒りを顕わにするバーバリウスに、ウィーニッシュは立て続けに言葉を並べた。
フワフワとした尻尾を左右に振りながら告げる彼の姿を、バーバリウスはどのように見ているんだろう。
そんなことを考えた私は、そこでふと、ウィーニッシュの話している内容に疑問を抱いた。
『バーバリウスが尻尾を巻いて逃げてゆく?』
少なくとも私の知る限り、ここまでコケにされた状態でバーバリウスが逃げ出すはずがない。
私もヴィヴィも、多分、この街に住む誰一人だって、バーバリウスのことをウィーニッシュのように馬鹿にすることはできないはずだ。
なにしろ彼は、この上ないほどにプライドが高く、短気な男だからだ。
そんな彼が、私を……フェニックスの涙の原材料を奪われるかもしれない局面で、逃げ出すわけがない。
もしあるとするなら、それは……。
その先を考えた私は、何も考えずに抱いた考えを、呟いてしまっていた。
「……フィリップ団長」
「貴様っ!!」
「ん?」
私の呟きに、バーバリウスが真っ先に反応を示し、その次に、ウィーニッシュが小さな疑問符を呟く。
そんな彼らの様子を見た私は、胸の内に湧き出て来た疑念が、確信に変わったことを感じた。
『バーバリウスがこの状況で逃げ出すとしたら、それは、フィリップ団長だ。あの人がいる限り、バーバリウスは私とヴィヴィを奪われても、取り返せると考えるはず……でもっ!!』
ウィーニッシュが先ほど見せた一瞬の早業は、間違いなく、光魔法によるものだ。
だからこそ、バーバリウスは目の前にいるウィーニッシュのことを脅威に感じているに違いない。
エレハイム王国で最強と言われているあのフィリップ団長と、この場にいるウィーニッシュが、対等にやり合うことができるかもしれないから。
それはつまり、バーバリウスにとっての商品を、奪われる可能性を意味している。
そして、それがバーバリウスにとっての切り札。
もはや迷うことなんてない。
そう思った私は、睨みつけてきているバーバリウスを思い切り睨み返すと、ウィーニッシュに向けて告げた。
「こいつの切り札はフィリップ団長よ!! 理由は分からないけど、フィリップ団長はこいつの言いなりになってるの!! そして、王都を彼に守らせることで、国の後ろ盾を手にしてるのよ」
「黙れっ!!」
私が叫び始めると同時に、バーバリウスが怒号を上げる。
途端、バーバリウスを起点にして、強烈な冷気が部屋に広がり始めた。
文字通り、瞬く間に凍り付いてゆく壁や床。
次の瞬間には、私の身体まで凍り付いてしまうのではないか、と思ったその時。
2つの影が、私とバーバリウスの間に割って入ってきた。
1つは、燃えるような赤い翼を持ったヴィヴィ。
そしてもう1つは、フワフワとした尻尾と大きな三角の耳を持ったウィーニッシュ。
彼らは各々のやり方で、バーバリウスの放った氷魔法を防いでみせる。
両翼で炎を生み出したヴィヴィが、バーバリウスの冷気をはじき返し、その間に床に手を触れたウィーニッシュが壁を作り出す。
そうして、部屋の真ん中に作り出された岩の壁は、私達とバーバリウスを完全に遮断してしまった。
つかの間の安全地帯と言ったところか。
たった今まで、目の前にいたバーバリウスの姿が見えなくなったことで、ほっと安堵した私に、ウィーニッシュが語り掛けてくる。
「アルマ。今の話、本当か?」
「え? あぁ、うん。かなり前だけどバーバリウスに連れられて王都に行ったことがあるの。その時、あの男がフィリップ団長に指図してたわ。その時は確か、バーバリウスに反目する貴族を葬り去れだとかなんとか言ってたわね」
「なるほどなぁ、そういうことか。アルマ、教えてくれてありがとう……道理で前回、撤退が早かった訳だ。よし。そうと分かれば、対策も打てる。ゲイリー。2人の事頼んだぞ」
「あぁ」
何か訳の分からないことを言っているウィーニッシュと、そんな彼の要望に静かに答えるゲイリーという男。
そんな2人が、どうしてこんなに落ち着いていられるのか理解できなかった私は、胸の内にある不安をぶつけるように言葉を吐き出した。
「ちょっと、どうするつもり? 確かに君は強いけど、だからと言って……」
しかし、ウィーニッシュは慌てる私を見て、力強く応える。
「大丈夫だ、アルマ。大丈夫」
そう言って、先ほど作り出された岩の壁に向き直ったウィーニッシュは、壁に手を付きながら、呟いた。
「この壁の先にいる奴が敵に回してるのは、俺じゃない。俺達でもない。世界だ」
「……は?」
「みんな掴まれ!! ちょっとだけ揺れるぞ!!」
私の疑問など聞こえていないらしいウィーニッシュは、そう告げると、何らかの魔法を発動した。
途端に、部屋全体が激しく振動を始め、豪快な音が鳴り響き始める。
数十秒もの間、鳴り響く轟音と振動に、私やヴィヴィは互いにしがみ付きながら耐え抜いた。
何が起きたのか、正直分かっていない。
そんな私達が状況を理解できたのは、振動が収まってから数秒後。
私達の四方を囲んでいた壁が、ボロボロと崩れ始めたおかげだった。
「え……!? ここは!?」
壁が崩れたことで見えた景色を前に、私は思わず声を漏らす。
なぜなら、壁の向こうに星の輝く夜空が見えたからだ。
さっきまでいたのは地下の牢獄のはずなのに。
そんな感想を抱いた直後、私は更に頭が混乱してゆくのを自覚していた。
夜空の下に、ゼネヒットの街が見えるのだ。
つまり、私たちは今、ゼネヒットの上空にいる。
どうなっているのか気になった私は、壁のあった床の縁から下を見下ろしてみた。
そうしてようやく、現状を明確に理解する。
私達は今、ウィーニッシュが作り上げた2つの塔の上にいるのだ。
もう1つの塔は私達の居る塔から少し離れた位置にあって、その上には、バーバリウスが尻餅を付いている。
間違いなく、彼もウィーニッシュによってここまで連れてこられたんだろう。
そんな風に冷静に状況を整理していた私の耳に、突如、炸裂音が飛び込んできた。
何事かと街の方を見下ろしてみると、西の方角にある武器庫の方が、煌々と輝いている。
「何が起きてるの!?」
「よし、潮時だゲイリー。合図を出してくれ」
驚く私を余所に、ウィーニッシュがそう告げると、私の隣にいたゲイリーが静かにうなずいた。
そうして、彼は何やらごそごそと懐を弄ると、目当てのものを見つけたらしくそれを取り出す。
それは、小さな小さな箱だった。
その箱を左手の掌の上に乗せたゲイリーは、ゆっくりとその蓋を開ける。
何が入っているのか。
気になって凝視していた私は、蓋が開いた瞬間に飛び出して来たそれを見て、思わず変な声音で告げてしまったのだった。
「蝶?」