第224話 隠している切り札
俺の言葉を聞いたアルマは、いまいちピンと来ていない様子のまま、呆けている。
つい先ほどまで、衛兵達による苦痛の時間を強いられていたところに、突然現れたガキ。
そんなガキが、衛兵を全員倒してしまったかと思うと、突然感謝の言葉を述べたのだ。
彼女が呆けるのも無理はない。
アルマからすれば、俺に感謝される覚えはないだろう。
それでも俺は、謝罪の言葉を取り消したり、取り繕ったりするつもりは無い。
既に自由になっているアルマの手を取って、牢屋の外に引き出した俺は、改めて2人に向き直り、声を掛けた。
「俺はウィーニッシュだ。よろしく。突然で悪いんだけど、2人を助けに来た。すぐにここから逃げ出そう」
「ま、待って。どういうこと?」
「安心してくれ。俺の仲間が街中で注意を引いてくれてる。全員……」
「そうじゃなくて。どこに逃げるつもりなの? ここに来たってことは、知ってるでしょ? 国中どこにも、逃げ場なんてないはず。ただ闇雲に逃げ出しても、意味なんかないわ」
アルマの言うことは至極真っ当な意見だ。
ハウンズを相手にして、国中を逃げ回るのは得策じゃない。
だからこそ、俺は小さく笑みを溢しながら、彼女の疑問に返事をした。
「誰が、この街から逃げ出すって言った?」
「え?」
俺の言葉を聞いたアルマが、小さく声を漏らしたその瞬間、先ほど俺が蹴り破った扉から、ゲイリーが駆け込んできた。
突然の乱入者に驚いたらしいアルマは、ビクッと反応している。
対する俺は、いつも通り冷静なままの表情を浮かべているゲイリーに視線を送った。
「ウィーニッシュ、敵が来るぞ」
外で見張りをしていた彼が、急いで俺の元に来た時点で察してはいたが、やはりそうだった。
まぁ、扉を蹴破ったりと、大暴れしてしまったのでどちらにしても時間の問題だっただろう。
取り敢えず状況を把握した俺は、アルマとヴィヴィに「話は後でしよう」と告げ、2人を奥に避難させた。
念のため、ゲイリーに2人の傍にいてもらう。
そうして、開け放たれた扉の方を向いて待ち構えていた俺の耳が、階段を降りて来る2つの足音を捉えた。
ズシンと重たく響くような音と、音を消すように歩く音。
少しずつ近づいて来るそれらの足音は、俺の想像以上にゆったりとしたテンポで響いている。
近付くにつれ、胸の内に増してゆく緊張を感じた俺は、気を紛らわすために深呼吸をした。
数秒後、2つの人影が階段に姿を現す。
俺達の居る部屋の中から、開け放たれた扉越しに見えるその階段は、松明の揺れる灯りに照らされていた。
その灯りを半身に受けたまま、扉の元まで歩み寄った大柄な男は、躊躇することなく部屋の中へと入ってくる。
そんな男を見上げて対峙した俺は、全力の怒りを目に込めながら睨みつけ、呟いた。
「バーバリウス」
「ほう。このガキが、俺に逆らう愚か者か」
「そのようです。いかがいたしましょう」
俺のことを見下ろしながら告げたバーバリウス。
その隣にスッと並び立ったのは、毛皮を身に纏った女、カトリーヌだ。
2人は短く言葉を交わしたかと思うと、すぐに視線を俺の背後に移した。
まず間違いなく、俺の背後にいるアルマとヴィヴィを見ているんだろう。
俺がそんなことを推測した直後、案の定、バーバリウスがアルマに語り掛け始めた。
「アルマ。逃げられると思ったか? だとするなら、残念だ。お前が未だにそのような間抜けだとは思っていなかったぞ? 既に身に染みておろう? この俺から逃げることは出来ん。観念してそこの牢に戻れ。そうすれば、今日の折檻は無しにしてやろう。俺もカトリーヌも、この愚か者どもの始末で忙しくなるからな」
「……」
バーバリウスの言葉を聞いたアルマ達は、何か考え込んでいるのか、沈黙している。
まるで、俺やゲイリーがこの場に居ないかのように、バーバリウスとカトリーヌはアルマ達に視線を注いでいる。
さっきアルマが言っていた通り。街の外に逃げ場はない。
それはバーバリウスもカトリーヌも知っているだろう。
だからこそ、アルマは考え込んでいるはずだ。俺がさっき告げた言葉の意味を。
一向に返事をしないアルマの様子に、苛立ちを覚え始めた様子のバーバリウス。
彼が今まさに口を開こうとしたその瞬間を狙って、俺は言葉を挟み込んだ。
「え~っと。俺もこの場に居るんだけど、無視はやめてもらえるかな?」
「黙れ。貴様なんぞが口を挟んで良いお方ではない」
俺の言葉に即座に反応を示したのは、カトリーヌの方だった。
明確に怒りを顕わにした彼女は、背中に背負っていた巨大なハンマーの柄に手を添えながら、威嚇してくる。
そんな彼女を片手で制したバーバリウスは、小さな笑みを浮かべながら告げた。
「落ち着け。このような小童を相手にムキになるな。所詮、身の程を知らぬ子供だ。威嚇しても意味などない。必要なのは適切な教育と恐怖のみ。それ以外は余計な雑音にしかならん」
「失礼しました」
「して、小僧。俺に用事でもあるのか? いい機会だ、聞くだけ聞いてやろう。何もないというのなら、そこで大人しくしておけ」
言葉とは裏腹に、全身から強烈な威圧感を放つバーバリウス。
そんな彼の威圧感に、一瞬圧倒されそうになった俺だったが、すぐに気を取り直すことができた。
カーブルストンのダンジョンで対峙したケルベロスに比べれば、こんなのなんてことない。
ましてや、俺は閻魔大王とも対峙したことがあるんだ。今更こんなことで怯えない。
頭の中で自分にそう言い聞かせた俺は、どこか吹っ切れたような態度で、バーバリウスに語り掛けた。
「それじゃあ聞かせて欲しいんだけど。あんたから逃げることができないっていう話の根拠はなんだ? ハウンズの構成員が国中にいるからか? それとも、他にも切り札があるからか? 身の程をわきまえていない俺に、あんたの威厳のなんとやらを、聞かせてくれよ」
「貴様っ!!」
「ははははははっ!! 無駄に肝だけは太い小童じゃないか。おい小僧、なぜそんなことを知りたい?」
再び怒りの声を上げるカトリーヌと、反して笑い声をあげるバーバリウス。
両者の反応を注意深く観察した俺は、同時にバーバリウスの問いかけに答えた。
「え? なぜってそりゃあ、あんたの事をそんなにすごい奴だとは思えないからかな。さっきも言っただろ?威厳のなんとやらを見せてくれって。それはあくまでも、もし威厳があるならって意味だからな? どうせないんだろうけど。一応聞いておこうかなって思って」
『ニッシュ、まだまだ足りないわよ!! もっと言ってやりなさい!!』
わざと仰々しく言って見せた俺は、頭の中に響くシエルの声を聞いて苦笑いを浮かべる。
対するバーバリウスの表情は、明確に引き攣り始めた。
背後にいるアルマ達の、息を呑むような音が聞こえる。
それらを耳にした俺は、次の瞬間、目の前にいた人影の1つが、唐突に動いたのを目で捉えた。
勢いよく石の床を蹴って俺に目掛けて突進してきたのは、カトリーヌだ。
飛び出しながら、背中のハンマーを器用に振り上げた彼女は、勢いのままに俺の脳天に振り下ろしてくる。
そんな様子を見た俺は、即座に対応した。
全身を包むように光魔法を発動し、同時にポイントジップで右に移動する。
直後、俺の左肩を掠めるように振り下ろされたハンマーは、空を切って床に打ち付けられた。
それに伴って、強烈な衝撃が部屋全体を駆け巡り、ハンマーの着弾点を起点に、無数の亀裂が部屋中に走る。
文字通り、瞬く間に広がってゆく亀裂を、スローモーションのように眺めていた俺は、一歩前に繰り出すと同時に尻尾を帯電させた。
そうして、ハンマーを地面に打ち付けた状態のカトリーヌに、帯電した尻尾をぶち当てる。
刹那。
部屋の中に、眩い光が飛び散った。
激しく飛び散る火花は、バチバチという音を立てて、カトリーヌの全身を焦がしてゆく。
その火花から少し距離を取るために、一歩後退した俺は、元の立ち位置に戻ると、尻尾の帯電と全身の光魔法を解除する。
途端、短い悲鳴を上げたカトリーヌが泡を吹きながらその場に倒れこみ、部屋の中に焦げた匂いが充満し始める。
そんなカトリーヌの様子を見たバーバリウスは、目を見開いたまま動かなくなった。
今の光景に、よほどの驚きを抱いたらしい。
今までに見たことのない彼の様子に、少し満足感を覚えた俺は、バーバリウスを見上げて告げたのだった。
「で? 早く教えてくれないか? あんたから逃げられないって根拠を。隠してる切り札を」