第223話 追憶:涙の牢獄
穏やかな光と優しい風が、森の中に充満している。
そんな森の中に座っているミノーラが、静かな口調で俺に語り掛けてきた。
「数日ぶりですね。元気にしてましたか?」
少し開けた空間のど真ん中にいる彼女は、そんな言葉を口にした直後、耳元を後ろ足で掻いてみせた。
その仕草が、あまりにも神様らしくないと感じてしまった俺は、クスッと笑みを溢しながら、彼女の元へと歩み寄る。
「元気でしたよ。ミノーラ様こそ、元気でしたか?」
「もちろん。私はいつでも元気ですよ?」
「そうですか」
居心地のいい静寂の中、ミノーラ傍に歩み寄った俺は、彼女の目の前に腰を下ろした。
対面する形で互いに見つめ合っている状態だ。
それでも不思議と、気まずさは感じられない。これはもしかすると、彼女がバディとしていつも傍にいてくれている証拠なのかも。
俺がそんなことを考えた時、ふと思い出したように、ミノーラが口を開いた。
「さっきの記憶は、3回目の人生の記憶です」
「3回目……」
短く呟いた俺は、つい先ほどまで見ていた記憶のことを思い返した。
今回の記憶の欠片は、アルマの枷だったんだろう。
そして、記憶の内容も、アルマとヴィヴィに関するものだった。
3回目の人生では、俺はハウンズの奴隷として、アルマ達の護衛として生きていたらしい。
かなりの時間を彼女達と過ごしていく中で、俺は2人の抱える痛みや思いを知って行ったはずだ。
だけど、結局のところ、俺は彼女たちを救うことはできなかった。
何らかのトラブルが発生して、アルマはヴィヴィとリンクし、ゼネヒットの街を壊滅させてしまう。
記憶を見ただけの俺ですら思う。彼女たちが暴走してしまうのは仕方がないことだと。
それだけの仕打ちを、彼女は受けていた。
だけど、彼女たち自身はそう思わなかったらしい。
もう、同じようなことを繰り返さないために、俺はどうするべきなんだろう。
俺がそんな考えに没頭し始めた時。
ミノーラが不意に問いかけてきた。
「今、何を考えているんですか?」
「え?」
彼女の問いかけに、思わず呆けてしまった俺は、今考えていることをありのままに伝えることにした。
「優しすぎるなって……そう考えてました」
「優しすぎる?」
「はい。アルマもヴィヴィも。そして、ミノーラ様も」
「え? 私もですか?」
「そうですよ」
「えへへ……そうでしょうか? いや、私は、優しくはないと思いますけど?」
「じゃあ、そんなことないのかも」
「むぅ……」
「そこは拗ねるんですね!? 冗談ですよ!」
思ってもみなかったミノーラの反応を見て、俺は慌ててフォローを入れる。
対するミノーラは、慌てている俺の様子を見て満足したのか、小さく笑ったか。
ピンと突き立っている耳と、たまに動く尻尾、そして、舌を出しながら呼吸をする様子は、少し大きな犬そのものだ。
そんな彼女を改めて見つめた俺は、意を決したように告げる。
「ミノーラ様。俺、決めました。前にミノーラ様が言ってたこと。俺がしたいことと、皆に見せたいもの。そのために俺がするべきこと」
そこで一度言葉を区切った俺は、深呼吸した後、言葉を続ける。
「優しさが、報われるような居場所を、この世界に作ります」
「優しさが報われるような居場所?」
「はい。俺、正直に言うと、この世界は過酷なんだって思ってました。残酷で苦痛に満ち溢れてて、とても住めるような場所じゃないんだって。だけど、気づいたんです。この世界にも、間違いなく優しさはあるんだって」
「……手厳しいですね」
「すみません。だけど、仲間たちに会って、ミノーラ様に会って、そして、自分の生きていた前の世界を思い返して、気が付いたんです。優しさに溢れてる世界は、作ることも維持することも、難しい。だからまずは、この世界にも優しさがあるんだってことを、沢山の人に知ってもらいます」
「その優しさで、あの2人を救うことができると思いますか?」
俺の言葉を聞いたミノーラは、半ば鋭い視線を俺に向けながら問いかけて来た。
その問いかけの意味を、俺は正確に理解できていないかもしれない。
ただ単純に、あの2人を過酷な環境から救い出すだけで良いのか。
皆で彼女たちを労われば良いのか。
多分、そんな簡単な話じゃない。
なぜかは分からないけれど、そのやり方では、先ほど見た結末を避けることができない気がする。
結局どうすれば良いのか、まだ俺は自分でも理解しきれていないんだ。
そんな考えに陥り始めた時。
ミノーラが深いため息を吐いた。そして、少しだけ視線を落としたまま、話を始める。
「私、ずっと考えてたんです。このままでいいのかなって。間違ってないのかなって。全ての人にバディを作って、皆の話を聞いても、私にできることはあまりないんです。挙句の果てに、アルマさんのような方も出て来て……本当に、神様失格ですよね」
先ほどまで元気に立っていた彼女の耳が、力なく垂れてしまっている。
目に見えて落ち込んでしまっているミノーラ。
そんな彼女の姿を見た俺は、いてもたってもいられる、気が付けば彼女のすぐ隣にすり寄り、頭を撫でていた。
そして、落ち込んでいる様子の彼女に向けて、励ましの言葉を掛ける。
「大丈夫です。俺も、何が正解なのか分からないので。だから、一緒に考えていきましょう。それに……」
ここでふと、俺は以前ヴァンデンスが言っていた言葉を思い出した。
その言葉を初めて聞いた時に感じた、小さな安心感を胸に抱いた俺は、ミノーラに笑いかけながら告げる。
「知ってました? この世界で一番強い奴は、自分の思い通りに世界を作り直せる奴、らしいですよ」
「あはは……それってまるで、神様ですね」
「ミノーラ様がそれを言いますか」
互いに笑い合った俺達は、そのまま寄り添ったまま沈黙した。
そうして、少しずつ意識が薄れてゆく。
ふさふさとした毛並みを指先で感じながら、眠りに落ちる俺は、大きな安心感を抱いていた。
今なら何でもできる。そんな根拠のない自信が、俺の中を満たし、不思議と元気が湧き出てくる。
気が付けば、アルマの隣に立っていた俺は、両手で彼女の枷に触れたまま茫然としていた。
その手枷を目にした瞬間、強烈な義務感に駆られた俺は、力任せに手枷を破壊する。
生きているだけで捕らえられるような、こんな涙の牢獄は、彼女には必要ない。
心の中で強く決心した俺は、茫然と俺を見つめて来るアルマに向けて、告げたのだった。
「アルマ、遅くなってごめん。そして、今までありがとう」