第221話 追憶:初対面
『オレ』が気が付いた時、視界は完全に閉ざされていた。
恐らく、記憶の中の俺は目を閉じているか、視界を奪われているのだろう。
その他に感じられるものが何かないか、意識を集中した『オレ』は、不快な感覚に陥った。
痛い、怠い、寒い、熱い。
全身、特に腹部から強烈な痛みを感じる。
『もしかして、これはオレが重傷を負った時の記憶なのか?』
そんなことを『オレ』が考え始めていた時、ゆっくりと、そして身体の深くまで、何かが浸透し始めた。
目で見ているわけでも無く、触って確かめているわけでも無い。
それなのに、確かに何かが体中に浸透してゆくのを感じる。
それが何なのか、深く考える前に、ようやく視界がぼんやりと戻り始めた。
黒くて分厚い雲に覆われた空と、何者かの人影が、ぼんやりと映る。
その人物が俺に何かを語り掛けているが、内容ははっきりと理解できない。
そうして、再び視界が暗転し始めたかと思うと、そのまま記憶の中の俺は意識を失ってしまった。
次の瞬間、場面が転換する。
今まで延々と、全身に感じていた不快な感覚が全てなくなった。その代わり、後頭部に柔らかな感触がある。
その感触を楽しむように、ゆったりと暗闇に甘んじていた俺は、しばらくした後に、ゆっくりと目を開ける。
途端、視界をまばゆい光が埋め尽くしてゆき、俺の頭は強制的に覚醒させられた。
「ん……まぶしいな」
「ニッシュ? ニッシュッ!? ニッシュが目を覚ましたわ!!」
聞き覚えのある声が、俺の左耳の傍で響いた。
その声の主はまるで飛び掛かって来るかのように俺の視界に姿を現すと、寝転がっている俺の胸元に仁王立ちして顔を覗き込んでくる。
「ニッシュ! やっと目を覚ました!! いつまで寝てるのよ、もうっ!」
「シエルか……相変わらず元気そうで、なによりだ」
「腹を貫かれたあんたが言っても、笑えないのよ。で? もう身体は大丈夫そう?」
「あぁ、なんとか。でも、ちょっと胸元が苦しいかな。なんでだろう、何か重たい物でも乗せてたっけ?」
「寝起きなのに相変わらず口だけは回るようね。分かったわよ、どくわよ」
俺の言葉を聞いたシエルは、しぶしぶと言った感じで俺の胸の上から跳び降りた。
そんな彼女を目で追った俺は、そのまま上半身を起こす。
そして、周囲の様子を見渡した。
俺がいるのは、どうやら野戦病院らしい。
傷を負った兵士たちが地べたに横たわり、休息している。もちろん俺が横たわっていたのも、薄いシーツの敷かれた地面だ。
それらのシーツの至る所に飛び散っている血痕が、今も繰り広げられているであろう戦いの激しさを物語っている。
その割には、痛みに呻く兵士が少ないな。と俺が思った時、狭い通路を通って2人の人物が歩み寄って来た。
やたらと質素な姿の女性と、鳥人のバディだ。
彼女達のことを、『オレ』は良く知っている。
『アルマとヴィヴィ……』
俺が彼女達に気が付いた事を見て取ったのか、シエルが話し始める。
「アルマ達があんたの傷を癒してくれたのよ。ちゃんとお礼をいわないとダメだからね」
「分かってるって。アルマ、ヴィヴィ、本当にありがとう。助かったよ」
「いえ。意識が戻って良かったです」
俺の礼を聞いたアルマは、そう言いながら首を横に振って見せた。
そんな彼女の表情は硬く強張っており、全く喜んでいるようには見えない。
これが、この記憶の俺とアルマ達の初対面だったのだろう。
どこか居心地の悪い空気が流れ始めたことに気が付いた『オレ』は、少しずつ光景が切り替わっていく様子を見て取った。
今度の場面は、森の中だろうか。
規則的なリズムで揺れる視界と、すぐ目の前に見える馬の後頭部を見て、『オレ』はなんとなく状況を理解する。
『馬に乗ってる……ということは、移動中か? どこに向かってんのかな?』
背後からガタガタという音が聞こえてくるので、どうやら一人で移動してるわけじゃないらしい。
と、その時、俺の耳が何やら音を捉えた。
風を切り裂くような、鋭い音。
その音を聞くや否や、突然馬の上に立ち上がった俺は、両手を広げて仁王立ちする。
直後、ドスッという鈍い音が、脳裏に響いた。
『なんだ!?』
何が起きたのか分からない『オレ』を置いてきぼりにするように、頭上に居たシエルが悲鳴を上げる。
「ニッシュ!? あんた馬鹿じゃないの!? 腕に矢が刺さってるわよ!!」
「大丈夫だって、アルマ達が居るんだから、こんな傷すぐに治るさ!!」
慄くシエルにそんな言葉を返した俺は、勢いよく馬から飛び降りると、背後を振り返った。
俺のすぐ後ろには1台の屋根付き荷馬車があったようで、その荷馬車の中にはアルマとヴィヴィが腰を下ろしている。
一見すると座ったまま落ち着き払っているように見えるが、その反面、今しがたの俺の行動を見たせいか、2人とも目を見開いている。
「アルマ、ヴィヴィ、これが終わったらまた治してくれよな!」
大声でそう告げた俺は、そのまま前方に向けて駆け出した。
そんな俺の行く先には、いつの間に現れたのか山賊らしき男達が大量に待ち構えている。
「お前ら! 覚悟しろよぉ!!」
山賊に向けてそんなことを叫んだ俺が、今にも先頭にいるひげ面の男に殴りかかろうとしたその時。
背後から声が聞こえてきた。
「ったく、君はなんで毎回突っ込んでいくんだ。余計な仕事を増やされる僕の身にもなっておくれよ。じゃないと君、いつかハチの巣にされちゃうからね?」
その声の主は、一瞬にして俺の隣を抜き去ったかと思うと、群れている山賊たちを次々に刺し殺していった。
あまりにも速いその動きを、俺は目で追うことができない。
そうして、あっという間に敵を殲滅してしまったその人物は、ブーンと言う羽音を響かせながら、俺の前に歩み寄ってきた。
黄色い髪を持ったその少年は、俺よりも少しだけ年上に見える。
うんざりとしたような表情で俺のことを見下ろすその少年は、びしっと俺の顔を指さして話し始めた。
「いい加減にしてくれるかな? 君に頼らなくても、アレは僕と兄さんだけで送り届けることができるんだから。分かる? むしろ邪魔なんだけど」
「けど、俺は2人を守るように……」
「だから、それが邪魔なんだって言ってんの。分かんない? はぁ……なんでバーバリウス様はこんな子供を気に入ってんのかなぁ。わけわかんないや」
申し訳程度に言い返そうとした俺の言葉を遮った黄色い頭の少年は、大きなため息を吐いた。
そうして、立ち尽くす俺を放置して、荷馬車の方へと戻っていく。
その様子を見送った俺は、猛烈な悔しさを覚える。
同時に、荷馬車の中でこちらを見つめて来るアルマとヴィヴィやシエルを目にした『オレ』は、居た堪れない気持ちになったのだった。