第219話 必死の形相
今しがたバーバリウスの凶行を見せられた衛兵たちは、トルテの指示で街中へと駆け出していった。
あまりに迅速なその行動は、間違いなく恐怖によって引き出されたものだ。
そうして少しずつ減ってゆく衛兵達を見送った俺は、すぐ隣で身を隠しているゲイリーに囁きかけた。
「で、これからどうする? 地下室に行くためには、屋敷の中に入るんだろ? あともう少しで透明化が切れるぞ」
「屋敷に入る必要はない。着いて来い」
俺の声にそう答えたゲイリーは、こちらを誰も見ていないことを確認すると、屋敷の裏手に向かって走り出した。
未だに透明なので、その姿は見えないが、足音が少しずつ遠ざかってゆく。
そんな彼の後を追いかけるように、俺も屋敷の裏の方へと駆け出す。
光魔法を使って一瞬移動したいところだが、生憎なことにあの移動方法は全身から光が漏れるので、目立ってしまうのだ。
おまけに、ヴァンデンスにかけて貰っている透明化も、同じ光属性の魔法だからか上書きされて効果が消えてしまう。
使うとしたら、最終手段だ。
そうして、完全に屋敷の裏手に回り込んだ俺達は、敷地の隅にまで駆けた。
屋敷の裏にはバーバリウスの趣味なのか、小洒落た庭が広がっている。
小さな川や噴水まであるのを見ると、かなりの金をつぎ込んだようだ。
そんな庭を突っ切るように流れている川の、片方の端にたどり着いた俺達は、水が流れ込んでゆく穴を覗き込んだ。
その穴はどうやら、屋敷の地下にまで続いているらしく、中は真っ暗だ。
ご丁寧にも、鉄格子で封鎖されているその穴を指さし、ゲイリーが短く告げた。
「よし、開けろ」
「そこは俺任せなのかよ!! まぁ、良いけど」
声量に気を付けながらゲイリーにツッコんだ俺は、しぶしぶ鉄格子に両手を添えた。
そうして、鉄格子を握った俺は、全力で人が通れるほどの隙間を作り出す。
「よし、行こう」
「待て」
今すぐに飛び込もうとする俺を、ゲイリーが呼び止めた。
その時、俺とゲイリーの透明化がゆっくりと薄まり始め、完全に効果が切れてしまう。
しかし、そんなことはお構いなしと言うように、懐から何かを取り出したゲイリーは、手にしたそれを俺に手渡してくる。
受け取った俺は、それを目にすると同時に頷き、礼を告げた。
「お、水龍の鱗か。流石ゲイリー、準備が良いな。ありがとう」
すぐに受け取った水龍の鱗を身に着ける俺は、そのまま川の水に飛び込んだ。
庭に流れている小さな川なので、当然それほどの深さは無い。
たとえるなら、ウォータースライダーか。
地下へと下る細い穴の中を、水と共に流れ落ちた俺は、そのまま出口に到達する。
とはいえ、出口にも入り口と同じような鉄格子があったので、俺はその鉄格子も破壊しておいた。
そうこうしていると、ゲイリーが穴から飛び出して来る。
水から這い上がって、お互いに怪我がないことを確認した俺達は、とりあえず周囲の様子を伺うことにした。
周囲に灯りは無く、シエルとリンクしていなければ様子を伺うことなんてできなかっただろう。
そんなことを考えながら辺りを見渡した俺の目に、初めに飛び込んできたのは、石造りの壁と天井、そして床だ。
ここはどうやら長い通路の端のようで、通路の真ん中には、先ほど俺達と一緒に降りて来た水が流れている。
その水路に沿って奥へと視線を向けた俺は、通路の先に1つの扉があることを確認した。
人の気配は全く感じられない。
「ゲイリー、この通路の先に扉がある。とりあえずはあの扉まで行こう」
囁くような声で告げた俺に、ゲイリーは頷き返してくる。
そうして、そのまま歩き出すゲイリー。
この暗闇の中、リンクもせずに普通に歩いているゲイリーは、どうやって周囲を見ているんだろう。
そんなことを考えた俺は、しかし、その疑問を一旦頭の片隅に追いやった。
なぜなら、扉に近づくにつれて、先ほどは確認できていなかったものを視認したからだ。
「ゲイリー、扉の少し手前、左右の壁が鉄柵になってる。牢屋かもしれない。一応確認しよう」
そう告げた俺は、足音を立てないようにゆっくりと歩くと、その鉄柵の元に近づいた。
どうやら手作りらしいその牢屋は通路の両側に全部で10個ある。
そう言えば、前回の人生で初めてハウンズに捕まった時、こんな牢屋に入れられたなぁ。
ふと、そんなことを考えた俺は、1つ、2つと牢屋の中を確認してゆく。
しかし、どの牢屋も空っぽだった。
アルマとヴィヴィはここにはいないのか。そんなことを考えながら、最後の牢屋の中を覗き込んだ瞬間。
突然、牢屋の中から線の細い影が飛び掛かって来る。
鉄柵の隙間から腕を伸ばし、全力で俺に掴みかかろうとするその人物は、どうやら猿ぐつわを咥えさせられているようで、声を発することは無かった。
しかし、必死の形相で俺を睨みつけて来るその表情は、普通じゃない。
咄嗟にその人物の腕から逃げるために、後ろに飛び退いた俺は、閉じ込められているその老人を見て、思わず声を漏らす。
「あ……あんたは」
ガリガリに痩せてしまっているこの老人は、先ほど思い返していたばかりの牢屋で、俺の足に噛みついてきた爺さんだ。
名前も素性も知らないこの爺さんは、なぜこんなところに捕まっているんだろうか。
ふと、そんなことを考えた俺は、しかし、今はそれどころじゃないと頭を振る。
「知り合いか?」
俺の様子がおかしいことに気が付いたのか、ゲイリーが俺と爺さんを見比べながら問いかけてきた。
そんな彼に、俺は首を振りながら返答する。
「いいや、知らない。それより、まずはアルマとヴィヴィを助け出すことに専念しよう。彼を助け出すのは、街を奪った後だ。素性も何も知らないしな」
「そうだな」
ゲイリーが短く告げた、その直後。
耳をつんざくような悲鳴が、扉の向こうから響いてきたのだった。
「いやああああぁぁぁぁぁ!! 止めてえぇぇぇぇぇ!!」