第218話 嫌な記憶
バーバリウスの屋敷周辺は、慌ただしく駆け回る衛兵で一杯になっていた。
皆が一様に身に着けている鉄の鎧が、ガシャガシャと音を立てているせいで、見た目以上に騒がしい。
そんな彼らの間に、様々な情報が飛び交っている。
東の空を、青いドラゴンが飛び去って行ったらしい
今すぐに東門に向かえ。すぐに奴らの隠れているダンジョンに突入することになるぞ。
いや、西の武器庫で騒ぎが起きたらしい。
今は東門よりも西の武器庫に向かった方が良いんじゃないか。
だが、報告を受けた魔法騎士達は、既に東門の方へと向かっているぞ。
指揮権を持った人間がここにいないせいか、衛兵たちは至る所でそれら議論を交わしながら、右往左往している。
そんな彼らの姿を見ていた俺は、心の中で呟いた。
『よし、混乱してるな。今のところは順調だ。今頃ジェラール達も動き出してるだろうし、そろそろ俺達も動くか』
動き回る衛兵達に触れられないように気を付けながら、バーバリウスの屋敷の敷地内に入り込んでいる俺とゲイリー。
今のところはヴァンデンスにかけてもらった透明化の魔法で身を隠すことができているけど、それも時間の問題だろう。
なるべく屋敷を囲む塀に沿って歩いている俺達は、屋敷の玄関に近い庭木の中へと潜り込んだ。
息を潜めて外の様子を伺っていると、頭の中でシエルが告げる。
『それにしてもこいつら、思ったよりも混乱してるわね』
『まぁ、指揮系統がしっかりしてるわけじゃないんだろ? 魔法騎士達とハウンズの間にも、少なからず溝がありそうだし』
『なるほどねぇ……それじゃあ、ここに残ってる衛兵たちは皆、ハウンズの指揮下にあるってこと? 多くない?』
『だからこそ俺達は長年ハウンズに苦しめられてきたんだろ? それより、今は集中しよう。ほら、誰かが出て来たぞ』
音を立てないように身を潜めながら、庭木の隙間から玄関を見つめた俺は、屋敷から出て来る人物を見て取った。
その男には、見覚えがある。
『トルテだ』
『それと、あの5人兄弟は、あの時の奴らかしら? その後ろの剣を持った男も、なんか見たことあるわね』
『そういえばいたな、あんなやつ』
そんなことを独白しながら、俺は色々と思い返していた。
5人兄弟は、トルテと一緒に俺達の家にやって来て税を徴収しようとした男達だ。
その後ろの剣を持った男は、前回の人生でトルテに気に入られてた奴隷だな。
そんな彼らは、確かに俺の知ってる人物なんだが、以前とは少し様子が違う。
この違和感はなんだ?
そう考えた俺は、すぐに答えにたどり着いた。
同時にシエルも同じ答えにたどり着いたようで、俺に語り掛けてくる。
『ねぇ、ニッシュ。あいつら、バディが居ないわよ……』
『あぁ。そうだな……多分、そういうことなんだろ』
堂々とした態度で屋敷から出て来た彼らは、そのまま右往左往している衛兵たちの方へと歩いて行った。
そんな彼らを見た衛兵たちは、慌てた様子で整列を始めると、瞬く間に周辺に静寂が広がる。
直後、閉じられていた屋敷の玄関が勢いよく開かれ、重たい足音と共に、男と女が1人ずつ姿を現した。
毛皮を身に纏っているその女は、見たことがある。
かつてカナルトスにて、マルグリッドを回収しに来た女だ。
そして、男の方は説明するまでもない、バーバリウスだ。
その姿は、俺に嫌な記憶を思い起こさせる。
『ニッシュ。落ち着いて』
頭の中で広がるシエルの声と、俺の右肩にそっと添えられたゲイリー手のおかげで、俺は震える両手を押さえることができた。
2人の制止が無かったら、俺はどうしてただろう。
一瞬浮かんだそんな疑問をすぐに飲み下し、俺は様子を伺うことにした。
「バーバリウス様。現在、西の武器庫に何者かが侵入し、騒ぎを起こしているとのことです。また、先ほどの報告の通り、青いドラゴニュートが姿を消していることは確認できております。いかががなされましょう」
そうやって、かしこまった口調でバーバリウスに語り掛けたのは、トルテだ。
整列して頭を下げている衛兵たちの代表にでもなったかのように、先頭に立ってバーバリウスを見上げている。
対するバーバリウスは、さも面倒くさそうに大きなため息を吐くと、隣に立っている女に話しかけた。
「おい、マルグリッドはどこにいる? まさか、逃げ出したなどとは言うまいな」
「いえ、彼女は既に、私の判断で街の見回りに向かわせております。おそらく、近い内に街の中の曲者を見つけ出すことでしょう」
「ほう? 街の中の?」
「はい。それと、これは偶然ですが、キールライトとカートライトにもサラマンダーの準備をするように指示を出していました。ですので、西の武器庫については、そちらに任せておきましょう。最悪の場合、彼らなら最終手段に出るはずです」
「よくやった、カトリーヌ。流石はヘルハウンズの参謀だ。して、お前はここからどうするべきだと考える?」
「はい。まずは直ちに、街中の掃除を行うべきかと。おそらく、敵はまだ街の中に潜伏しております。その狙いが何なのか、確証はありませんが、この街で狙われるものと言えば、そう多くは無いかと」
淡々と告げるカトリーヌの言葉を聞き、バーバリウスは何を思ったのか彼女の左肩に自身の右肩を乗せた。
そうして、先ほどよりも威圧感の籠った声で、ゆっくりと告げる。
「何が言いたい?」
そんな光景を、ただ見せられている衛兵達の中に、明確な動揺が広がる。
しかし、彼らの動揺を意にも介さないのか、カトリーヌは口調を変えることなく告げた。
「狙いはこの屋敷の中にあるもの。地下のアレか、もしくは、あなたの命ということですよ」
躊躇うことなく言ってのけたカトリーヌは、臆することなくバーバリウスの目を見つめ返している。
そんなはっきりと物を言ってしまえば、流石のカトリーヌも怒鳴りつけられるんじゃないだろうか。
と、思った俺だが、しかし、その思惑は外れていた。
全身から威圧感を放っていたバーバリウスが、フンッと鼻を鳴らして小さく笑ったかと思うと、カトリーヌの肩から手を退けたのだ。
そうして、彼は再びトルテの方に向き直ると、声高らかに告げた。
「面白い! まだこの世の中にも、俺に盾突く奴がいるのか! おい! 貴様ら! 全力でネズミを見つけ出せ。さもなくば、先に地獄を見るのは、貴様らになるぞ! 死に物狂いで見つけ出し、ここに連れてこい!!」
腹に響くような重たい声が、辺りに響き渡る。
そんな彼の言葉を聞いた衛兵たちは、瞳に恐怖と不安を浮かべたまま、黙り込んだ。
「……」
それがいけなかったのだろう。
一瞬広がった沈黙を、バーバリウスが自ら打ち砕いた。
突然大きく前に跳び出したバーバリウスは、武器を手にして突っ立っていた衛兵の顔を鷲掴みにして、身体ごと持ち上げたのだ。
そうして、皆に聞こえるような声量で告げる。
「返事はどうした!! 返事はぁ!!」
「は、はいぃぃぃ!!」
突然顔を鷲掴みにされた衛兵が、恐怖のあまり悲鳴をあげながら返事をする。
そんな彼に釣られるように、それを見ていた衛兵が大きな声で口々に返事をし始めた。
返事を聞いてようやく満足できたらしいバーバリウスは、そのまま鷲掴みにしていた衛兵を降ろす……かと思ったのだが。
次の瞬間。
その衛兵は、一瞬にして氷漬けになってしまった。
「良いか。次は無いぞ」
短くそう言ったバーバリウスは、静かにそう告げると、周囲の衛兵たちを見渡す。
そして唐突に、氷漬けになってしまった衛兵を地面に叩きつけた。
当然ながら、粉々に砕けてしまう衛兵。
まず間違いなく、命はないだろう。
緊迫の空気が流れる中、屋敷から出てきた時と同じように玄関に向かって歩くバーバリウスとカトリーヌ。
そんな2人を見送った俺は、玄関扉が閉まる間際に、確かに聞いたのだった。
「お前はアレを見張れ。良いか、何があろうと奪われるな。俺は部屋にいる。良い結果を期待しているぞ」
「はい。分かりました。バーバリウス様」