第217話 動かない理由
崩れかけの建物の中に飛び込んでいったフレデリックとトカゲ男は、そのまま瓦礫の下敷きになってしまった。
そんな瓦礫に向かって、先ほどまで私と対峙していたクリュエルという女が向かっている。
彼女は、おおよそフレデリック達がいるであろう場所の瓦礫を、風魔法を駆使してどかし始めた。
それらを視界の片隅で確認した私は、大きなため息を吐き、剣を支えにして立ち上がる。
もう少しでサソリの尾を持った男、カーズに攻撃を切りつけることが出来そうだったのに、炎の柱のせいで上手く行かなかった。
咄嗟の判断で後方に飛び退きながらも、全身の鎧に煤が付いてしまっている。
「ったく、厄介ね。クレモン、何かいい考えはある?」
『ふん……ピエール殿を遠くに逃がせば良さそうではあるが、難しそうであるな』
「そうね。って言うか、ピエールはいつまで腰を抜かしてるつもりよ」
クレモンに言われて思い出した私は、肩越しに背後をみやる。
そこには、力なくあおむけに倒れているピエールが居た。
さっきまで悶えながら倒れていた彼は、今は全く身動きしていない。
その様子に違和感を覚えた私は、脳裏に響くクレモンの言葉に戦慄する。
『アンナ……まさかとは思うが、ピエールはもう……』
「そんなことないわよ。だって、さっきまでは……」
悶えてたじゃない。
そう言葉を続けようとした私は、とある可能性に気が付き、咄嗟に視線を建物の方へと移した。
そこには、壁にめり込んだ状態のライがいる。
と言うことはまだ、ピエールは息絶えていないはず。
それなのに彼が動かない理由は何なのか。
そこまで考えた私は、うっすらと薄れてゆく炎の柱の中から姿を現したカーズに目を向けた。
正確には、彼の持っているサソリの尾。その先端に。
「まずいわね……」
『アンナ、ここは一旦退くべきだと思いますぞ』
「そうね、私もそう思ってたわ。時間的にそろそろだし……」
そう呟いた私は、通りの東側をチラッと見た。
元々、私達3人は街の中に族が現れたと聞き、先行してこちらに向かっただけなんだ。
当然、増援の手配はしている。
そんな私の目論見通り、通りをこちらに近づいてきている多くの人影が見て取れた。
それだけ確認できれば、悩むことは無い。
「フレデリック!! ここは一旦退くわ! ピエールを連れて東に行きなさい! ライは私が連れて行くわ」
「了解!!」
視線を交わすことなく、そんなやり取りをした私達が、今にも動き出そうとしたその時。
頭上からあまり聞きたく無い声が聞こえてくる。
「あはははははは!! 逃げるんだ!? ダサいんだぁ!! 仕方がないから、あたしが助けてあげるね、でもでも、あんたたちの為じゃないんだから!! 勘違いしちゃ嫌よ?」
叫びながら急降下してきたその声の主は、甲高い笑い声を上げながらカーズの頭上に飛び込んだかと思うと、両手の鞭で攻撃を仕掛け始めた。
その攻撃に対して、今まで通りサソリの尾が反撃に出るが、逆に、ピンク色の鞭に絡めとられている。
宙を踊るように舞いながら、巧みに鞭を操ったその少女は、見た目からは想像もつかない怪力でカーズを引っ張り上げる。
鞭に絡めとられたサソリの尾に引っ張られたカーズは、右に左にと振り回され始めた。
その様子を唖然と見ていた私は、鞭を操っている少女を見上げて呟く。
「マルグリッド? どうしてここに?」
そんな私の言葉を聞いたのか、マルグリッドは鞭で絡めていたカーズを放り捨てると、私を見下ろしながら言った。
「姉さんに言われたから仕方なくあんた達を助けに来たんだよ? あ、そう言えば、姉さんから無能なあんた達に言伝があるんだった」
そう言った彼女は、懐から何やらメモのようなものを取り出すと、首を傾げながら読み上げる。
「敵の狙いは内にあり。直ちに街全域に警戒網を敷け。だそうよ?」
「それはどういう……」
そう尋ねようとした私は、次の瞬間、吹き荒れるような炎がマルグリッドを包んでしまったのを見て、口を噤んだ。
そして、先ほどマルグリッドに放り捨てられたカーズの方へと目を向ける。
どうやら、激しく振り回された後、地面に叩きつけられたことで全身にダメージを負っているらしい。
完全に満身創痍の彼は、それでも立ち上がってマルグリッドに火魔法を発動していた。
すぐさま剣を構えた私は、そのままカーズに向かって突っ込んでゆく。
「いい加減に諦めなさい!!」
叫びながら放つ横なぎの一閃。
そんな私の一撃が、カーズの腹を切り裂くことは無かった。
突如として横から飛び込んで来たクリュエルが、私の剣を受け、そのままカーズを巻き添えにして吹っ飛んで行ったのだ。
「なっ!?」
攻撃を防がれた私は、思わずそう声を漏らすと、既に体勢を整えつつあるカーズ達を見て、その後マルグリッドの方に視線を上げる。
カーズが吹っ飛んだことで火魔法が収まり、炎に包まれていた彼女も姿を現している。
どうやら、鞭をぶん回して自分の周囲の炎を吹き飛ばしてしまったらしい彼女は、何事もなかったような表情で宙を漂っていた。
そうして、私の背後ではピエールを回収しようとするフレデリックとトカゲ男が攻防を繰り広げ始めている。
東からこちらに向かっている衛兵達の姿が少しずつ鮮明になり始めた。
多分、彼らがここにたどり着くまで、そう時間はかからないはず。
「これは、乱戦になりそうね」
気を引き締めるために剣を構え直した私は、そう呟きながら考えた。
敵の狙いは内にあり。
その言葉の真意が何なのか。
きっと、この騒動の裏に何か隠された目的があるんだと、少し考えれば分かる。
もしかしたら、この言伝を残した人物は、その具体的な目的まで分かっているのかもしれない。
だとしたら、街全体に警戒網を敷くというのは、どういう目的なんだろう。
私がそんな考えに至った時、立て続けに2つの轟音が、街に鳴り響いた。
1つは街の西側の方から。
もう1つは街の北側の方から。
そして私達がいるこの場所は、街の中央より少し南側。
断片的な情報を一つ一つ頭の中で整理した私は、少しずつ嫌な予感が積み重なってゆくのを感じたのだった。