第215話 幻じゃない
槍を構えているフレデリックに対峙したジェラールは、既に戦闘を始めているカーズとクリュエルの姿を視界の端で確認した。
突進してくるサイとピエールに向けて炎を放つカーズ。
複数のナイフを風魔法で操りながら飛行し、アンナの攻撃を凌いでいるクリュエル。
そんな2人に意識を取られていた俺は、フレデリックが踏み込む足音を聞き、咄嗟に上半身を逸らした。
目と鼻の先を、槍の切っ先が薙いでゆく。
強烈な焦りと同時に、危機感を覚えた俺は、すぐさま後ろへと大きく飛び退いた。
「余裕かましすぎでしょ。なによそ見してるの?」
「悪い、どうしても気になってな」
後ろに退いたことで、俺が体勢を立て直したのを見て取ったらしいフレデリックは、そんなことを言いながら改めて槍を構え直している。
そんな彼に対して、焦りを気取られないように強がった俺は、両手の拳を握りしめて身構えた。
直後、全力で一歩を踏み込んだ俺は、勢いよくフレデリックに駆け出す。
斜面になっている屋根の上を、滑らないように尻尾でバランスを取りながらも、全力で走った俺は、すぐにフレデリックの懐に接近した。
しかし、フレデリックがそう易々と俺の接近を許すわけがない。
まるで俺が接近することを知っていたかのように、隙の無い動きで槍を構え直した彼は、躊躇することなく俺の鼻先に向けて槍を突き付けてくる。
鋭く尖った切っ先が音もなく迫り、今にも俺の鼻に突き刺さろうかという瞬間。
俺は咄嗟に尻尾を大きく左に振った。
その反動で、ギリギリ槍の切っ先を右に躱した俺は、左の頬にヒリヒリとした痛みを覚える。
それでも、フレデリックの放った突きを躱すことに成功したのだ。
そのままの勢いを利用して、握りしめた左の拳を目の前に見える敵の鳩尾に打ち込んでやろうとした、その時。
俺は、視界が勢いよく上へと跳ね上げられたことに気が付く。
直後、顎から脳天に向けて、鈍い衝撃が突き上げてきた。
何が起きたのか。
咄嗟に状況を把握しようとする俺は、しかし、次々と身体に撃ち込まれる衝撃を前に、思考を放棄せざるを得ない。
右肩に左のわき腹、続けて胸元に、強い衝撃を感じる。
「ぐっ」
痛みのあまりに息を漏らしてしまいそうになった俺は、全力で歯を食いしばると、後方に跳びながら尻尾を大きく振った。
バク転の勢いに乗せて、下から上に打ち上げられる俺の尻尾。
苦し紛れのその反撃は案外上手く行ったようで、着地した俺がフレデリックを見た時、彼は屋根の上に大の字に倒れていた。
咄嗟だったので明確じゃないけど、尻尾を振り上げた直後、フレデリックの短い声が聞こえた気がする。
天を仰ぎ見るようにして倒れている彼に、追撃を喰らわせてやろうかと思った俺は、しかし、すぐに思いとどまった。
倒れていたフレデリックが、顎を摩りながら上半身を起こすと、ゆっくりと立ち上がったのだ。
そして、俺を睨みながら告げる。
「くっそ~。痛いなぁ。尻尾はズルいだろ。俺には手と脚しかないんだぞ?」
「うるせぇよ! お前は武器を持参してるじゃねぇか!!」
どうやら、さっきの俺の尻尾攻撃は、見事にフレデリックの顎を捉えたらしい。
まぁ、俺の方は奴の攻撃を4発も受けてしまった訳だから、互角と言うわけにはいかないが。
気を取り直した俺は、再び身構えると、今度はフレデリックの出方を伺う。
奴の傍には、前に防衛線の時に見たアライグマのバディは居ない。
そう言えば、前回戦った時も、こいつはあまり魔法を使わなかった。
ただ、馬鹿みたいに身体能力が高いんだ。
それで魔法騎士を名乗るのはどうなんだと思いつつ、俺はそこに勝機を見出す。
そして、思いついたことを行動に移そうとした俺は、突然足元に響いた振動のせいで、バランスを崩してしまった。
「な、なんだ!?」
咄嗟に、激しい音のした方へ目を向けた俺は、猛烈な熱気を全身で感じた。
さっきまで大通りで戦っていたカーズが放ったのか、巨大な炎の柱が立ち上がっている。
そんな炎の柱の中に、2人の人影が見えた。
1つは、恐らくピエールという魔法騎士だろう。
大剣を大きく振り上げながら、もう1つの人影に向かって駆け出している。
そんなピエールの向かっている先にある人影は、動くことなく立ち尽くしている。
普通に考えれば、その人影がカーズなんだと考えるべきなのだが、しかし、俺はその考えに疑問を抱かざるを得なかった。
なぜなら、揺らめく炎の中に見えたそれには、俺が見たことのないモノが付いていたからだ。
それを携えた人影は、迫り来るピエールに対して、身動き一つしない。
当然、逃げることもしないわけで、一瞬にしてピエールが距離を詰めてしまった。
そのまま大剣が振り下ろされてしまえば、カーズは切られてしまうだろう。
そんな考えに至った俺が、すぐ傍にいるフレデリックのことを忘れて通りに飛び降りようとした時。
ピエールが勢いよく炎の柱の外に弾き飛ばされてしまった。
どうして、身動きしていないはずのカーズに、ピエールが弾き飛ばされたのか。
それを理解するためには、カーズの背中から生えてきているソレが、幻じゃないのだと気づく必要がある。
弾き飛ばされたピエールが、腹を押さえながら悶えている。
そうしているうちに、炎の柱は徐々に小さくなってゆき、ついにカーズの姿が露わになった。
ボーっと突っ立っている彼の背中からは、まがまがしい尻尾のようなモノが生えてきている。
それはまるで、サソリの尾のような見た目をしていた。
おまけに、よく見ればカーズの左手が巨大な鋏のように変化している。
あまりにも異常なその光景に、俺もフレデリックも言葉を失なう。
そんな中で唯一、迅速な行動をとったのは、先ほどまでクリュエルと戦闘していたアンナだった。
彼女は俺やクリュエルのことを完全に無視すると、まっすぐにカーズの元へと飛んでゆく。
その姿を見た俺は、ハッと我に返り、急いで通りに飛び降りた。
頭上からフレデリックの声が聞こえてくるが、気にしている余裕はない。
状況が分からないけど、カーズがもし本調子じゃないのなら、アンナの相手をさせるのは危険だ。
そんなことを考えた俺は、しかし、すぐにそれが間違いであることを理解する。
通りに飛び降りた際に、チラッと視界の端に映ったのだ。
ピエールのバディであるライが、白目をむいた状態で建物の壁にめり込んでいる姿を。
まるで、猛烈な威力で壁に叩きつけられたようなその姿に、俺は若干の恐怖を覚える。
そうして、俺が一人で小さな恐怖を抱いていた最中、カーズがぼそりと呟いた。
「……殺す」
「させないわよ!!」
未だに悶えたままのピエールに向けて、静かに一歩を踏み出したカーズ。
そんな彼に向けて叫んだアンナは、直後、手にしていた剣を鋭く振り抜いた。
しかし、彼女のその攻撃は、カーズの背中から生えているサソリの尾によって防がれる。
「邪魔をするな。お前も殺すぞ」
「馬鹿にされちゃ困るのよね、これでも私は、魔法騎士なんだから!!」
剣と尾でギリギリとせめぎ合う2人。
そんな光景を見た俺は、一瞬、どうするべきなのか思い悩んだのだった。