第212話 ハチの巣
氷の壁を背に立っているアーゼンは、壁の向こうにいるであろうメアリーに向けて叫んだ後、両手の拳を握りしめた。
そうして、こちらを睨みつけてきている1人の子供を、睨み返す。
「さぁて、小僧、覚悟しろよ?」
「えーっと、僕らの方が圧倒的に有利だと思うんですけど……」
俺の言葉を聞いた少年は、どこか不思議そうな表情をしながら告げた。
その、いたって普通の反応をする少年を見て、俺は最大限の警戒を払う。
何しろ、今俺が対峙している少年は……少年達は普通の子供じゃないからだ。
黄色い髪の毛と、まだあどけなさが残っている顔つきの少年の背中には、薄く透明な羽が生えている。
その羽で、ぶんぶんと音を立てながら飛んでいる彼は、ゆっくりと地面に降り立った。
彼が降り立った場所のすぐ傍には、もう一人の少年が立っていた。
こちらの少年は、空を飛んだりはしていないものの、かなり奇怪な格好をしている。
まるで、顔を隠そうとしているように、布を頭部に巻き付けているのだ。
そんな状態では前を見ることもできないだろう。
だからこそもう一人の少年は、少しふらつきながら立ち尽くしているだけだった。
いや、正確には、背中にある羽を激しく羽ばたかせながら、立ち尽くしている。
「何なんだよてめぇら。まさか、魔法騎士か?」
「違いますよ。どうして僕らが魔法騎士だと思ったんですか? まぁ、良いです。ほら、サラマンダー。早く氷の壁を壊してください」
俺の話を軽く流した黄色い頭の少年は、まだ倉庫の入り口付近にいるサラマンダーに向けて命令を出す。
まるで、その命令を聞き入れたかのように、サラマンダーはゆっくりと歩き始めた。
その様子を見て、俺はつい先ほどのことを思い返す。
メアリーが氷の壁を造っている間、陽動のために入口付近で暴れていた俺は、すぐに気が付いた。
入口の脇に、大きな檻に入れられたサラマンダーが居る。
今回の俺達の目的は、焔幻獣ラージュの封印
これを達成するためには、サラマンダーの存在が大きな障害となる可能性がある。
瞬時にそう考えた俺が、囚われているサラマンダーを無害化するために駆け寄ろうとしたその時。
武器庫の外から、ブーンという羽音と共に、黄色い頭の少年が布の少年を抱えた上体で飛んできた。
何事かと様子を伺った俺のことを、一瞬チラ見した少年は、布の少年を床に降ろし、真っ先にサラマンダーの檻に向かって飛んだ。
その後は簡単だ。
少年はあっという間にサラマンダーを檻から出し、何やらボソボソと呟きかけた。
次の瞬間、サラマンダーが火球を放ったのだ。
狙いは当然、メアリーが作った氷の壁。
それを見た俺が、氷の壁を守ろうと壁の前に立ちはだかった時、次の火球が放たれたんだ。
この2発目は、さっき火球が着弾した場所とは全然違う場所に当たったとはいえ、壁を貫通してしまった。
そうして、今に至る。
そう何度も壁に穴を空けられてはたまったもんじゃない。
サラマンダーを睨みつけて身構えた俺は、改めて気を引き締める。
が、視界の端に入ったものを目にして、せっかく引き締めた気合が一瞬緩んでしまう。
サラマンダーに指示を出した少年は、その後、なにやら布の少年の頭をごそごそとあさっていたんだが……。
不意に手を止めた少年が脇に退いたことで、何をしていたのかがはっきりする。
顔に巻き付けられていた布を、全て取り払っていたらしい。
大量の布を床に放り捨てた黄色い頭の少年は、満足げな表情で告げた。
「さて、これで自由だよ兄さん。それと、早速だけどお仕事だ。一緒に敵を始末しよう!!」
なぜか嬉しそうに、羽音をブンブンと鳴らしながら告げる少年。
しかし、俺はそんな少年の言葉を聞いている余裕が無かった。
なぜなら、布で顔を隠していた少年の顔を見て、絶句していたからだ。
大きな複眼と黄色い頭。
その顔は、とても人の顔とは言えなかった。髪の毛もなく、目も鼻も口も人のそれとは違う形をしている。
まさに、蜂の顔。
身体だけは普通の子供の姿をしているだけあって、その歪な状態は、俺の背筋を凍らせる。
その時、黄色い頭の少年が口を開いた。
「おい。お前、兄さんの顔に何か文句でもあるのか?」
怒りを滲ませた少年はそう告げると、右手を大きく上に振り上げる。
その動きに合わせるように、サラマンダーが口を開いて、今にも火球を放つ動きを見せた。
「ちっ!!」
咄嗟に両手の前に構えて防御の体勢を整えた俺は、次の瞬間、重たく響く羽の音を耳にする。
一瞬。
文字通り、瞬く間。
そんな間に俺の視界から姿を消したのは、蜂の頭部を持った少年。
直後、放たれたサラマンダー火球に気を取られた俺は、右腕に激痛が走ったことでようやく、何が起きたのか理解する。
いつの間にか俺の頭上にまで飛んできていた蜂の頭部を持った少年が、拳から伸び出た鋭い針で、俺の右腕を貫いたのだ。
「ぐっ!!」
二の腕に突き刺されたその針は、一瞬にして抜き取られたかと思うと、蜂の頭部を持った少年と共に、再び姿を消した。
多分、飛んで距離を取ったんだろう。
そんなことを考える余裕もなく、俺は迫り来る火球を避けるために左に飛び退いた。
ゴロゴロと転がりつつ、何とか体勢を整えた俺は、壁に新たな穴が空いてしまっていることを確認する。
「くそっ。ナメやがって」
歯を食いしばりながら立ち上がった俺は、改めて敵に目をやった。
ブンブンと激しい羽音を響かせながら飛び回る蜂の頭部を持った少年。
既に次の火球を放つ準備をしているサラマンダー。
腕を振り上げたまま静止している黄色い頭の少年。
そして、いつの間にか俺を取り囲むように陣形を整えつつある衛兵達。
ゆっくりと辺りの様子を確認した俺は、二の腕の傷口に視線を落とす。
そんな俺の様子を見た黄色い頭の少年は、ざまぁみろとでも言いたげな表情を浮かべながら語り掛けてきた。
「痛いですか? まぁ、当然痛いですよね。ですが、そんなもんじゃ済みませんよ。あなたも壁も、すぐにハチの巣になりますからね。もちろん、楽に死ねるとは思わないでください」
「はっ! 痛い? この程度で?」
得意げに告げる少年にそう返した俺は、二の腕の傷口に口を当てがった。
そうして、出血している血を口に含むと、そのまま床に吐き捨て、高らかに宣言する。
「この程度の傷、ツバつけときゃ治るんだよ!! それより、はやくかかって来いよ。俺らが相手してやるぜ!!」
俺が宣言し終えたとほぼ同時に、サラマンダーの背後、つまり武器庫の入り口付近から衛兵たちの悲鳴が上がる。
「なっ!? 増援ですか!?」
一瞬慌てた様子の黄色い頭の少年は、入り口の方を振り返った。
そんな少年の視線と交差するように、サラマンダーを飛び越えて武器庫に入って来たロウは、騒ぎの渦中に着地する。
そして、高らかに笑いながら告げたのだった。
「熱くなって来たぜぇ!! 全員まとめてかかってこい!!」