第206話 私にしかできない
時を遡り、ウィーニッシュがチュテレールで修行を開始してから5日が経った頃。
王都ネリヤには、騒々しい空気が漂っていた。
堅牢な街に住む貴族達も、そんな貴族達を守っている衛兵達も、街の上空を守るワイバーンでさえ。
ピリピリとした空気感に当てられたように、緊張しているように見えた。
街がそうなってしまった原因は言うまでもない。
ドラゴニュートが姿を現したのだ。
王都ネリヤから遥か離れた街、ゼネヒット付近のダンジョン上空に、一体の青いドラゴニュートが居ついている。
そんな報告が、様々なルートを通って、王都ネリヤに集まった。
初めにその情報を持ってきたのは、ゼネヒットに居た魔法騎士からの伝令だ。
なんでも、彼らはダンジョンに棲み付いている元奴隷達を捕縛に向かったが、失敗。
やむなく野営からゼネヒットに退却しようとしたところに、ドラゴニュートが現れたらしい。
敗北後であったこともあり、ドラゴニュートとの戦闘は避け、退却に専念したおかげで、被害は無かったそうだ。
もし戦っていれば、まず生存者はいないだろう。
事情を知らない者が聞けば、それがどうしたと思うかもしれない。
確かにドラゴニュートが姿を現すのは珍しいけど、王都からはかなりの距離があるのだから、今すぐに怖がる必要はないだろう。と。
エレハイム王国において、こんなことを言ってのけることができるのは、よほどの強者か、はたまた、愚か者だけだろう。
そこまで考えた私は、深々と頭を下げたまま、隣に立っている男を盗み見た。
隣にいるのは、フィリップ団長。
そんな彼は、私と同じように深々と頭を下げていたかと思うと、勢いよく頭を上げ、堂々と話し始める。
「まぁ、問題ありません。ここからは遠いし。王都ネリヤを狙ってるとは思えないですよ。大丈夫、私に任せておいてください!」
「貴様!! その態度は何事か!! ただでさえ奴隷共の捕縛に失敗しているのだぞ!! これ以上王国の威厳を損ねるつもりじゃあるまいな!!」
飄々と言ってのけたフィリップに対して、雷のような怒号が飛ぶ。
あまりにも大きなその叫び声に、思わず身を縮めた私は、しかし、心の中で独白した。
『怒られて当たり前でしょ!! 国王陛下の前なのに!! 何考えてるのよ、団長は!!』
おまけに、私達のいるこの謁見の間には、国の重鎮たちが勢ぞろいしている。
そんな状態で一緒に怒鳴られている私とクレモンの事なんて、全く考えていない様子のフィリップは、怒鳴り声を上げた男、ジュトー宰相に向かって口を開いた。
「それでしたら、ジュトー宰相。私めが直々にゼネヒットに赴きましょう。そうすれば、ドラゴニュートも、奴隷達も。どちらもあっという間に解決して差し上げますよ」
自信満々に告げるフィリップを盗み見た私は、しかし、彼が本心からそう言っていないことをすぐに理解した。
私と同じように、フィリップ団長の考えを読んだらしいジュトー宰相が、怒りに顔を赤らめ始める。
そうして、宰相の口から再び怒号が飛び出そうとしたその時。
深いため息とともに、とある人物が声を発した。
「それは世が許さん。フィリップよ、お主はこの街から離れてはならぬ」
そう告げたのは、私たちの正面で玉座に腰を下ろしているお方。
紛れもない、このエレハイム王国の国王、ニコラ・ド・エレハイム国王だ。
豊満な髭といかつい顔つき、それに、鍛え上げられた体躯でどっしりと玉座に腰を下ろすその様は、まさに王と呼ぶにふさわしい威厳だ。
先ほどまでのフィリップ団長の無礼な物言いは、全てこの国王の後ろ盾があるからこその発言である。
そもそもフィリップ団長は、国王陛下の後ろ盾が無かったら魔法騎士団の団長を引き受けていなかっただろうと、私は予想している。
「ははぁっ!! 仰せのままに、国王陛下!」
大きな声で仰々しく言ったフィリップは、先ほどよりも深々と頭を下げた。
その様子は、ジュトー宰相から見れば、煽っているようにも見えるんじゃないかな。
なんて考えた私は、視界の端でさらに顔を赤らめてゆく宰相の様子を見なかったことにした。
対する国王陛下は、フィリップ団長が王都に留まることに安堵したらしく、今度はジュトー宰相の方に目を向けた。
「ジュトーよ。お主も少し落ち着かんか。このフィリップがこの街にいる以上、流石のドラゴンもどき共も、手出しは出来まい」
「しかし、国王陛下。こやつの事なんぞ、本当に信じてよいものか」
「ええい、しつこいぞ!! 現にフィリップの光魔法がこの街を守り続けておるじゃろうが!! お主はその実績すら否定するつもりか!!」
「そ、それは……失礼いたしました」
釈然としていない様子のジュトー宰相は、しかし、国王の剣幕に圧される形で主張を退けた。
そんな様子を、ただただ見せられている私は、この場を立ち去りたい衝動に駆られる。
だけど、国王陛下の見ている前から、無許可で立ち去る訳にもいかない。
そもそも、どうしてここに呼ばれたのか良く分かっていない私は、ずっと頭を深々と下げたまま、話が終わるのをひたすら待った。
そうして、ようやく沈黙が訪れた瞬間。
唐突に紡がれた国王陛下の言葉を聞いて、私は茫然とする。
「して、そこでずっと頭を下げておるのが、例の……?」
「はい。その通りでございます。ほら、挨拶するんだ」
突然フィリップに促されたことで、我に返った私は、一度顔を上げて国王を見た後、もう一度頭を下げながら告げる。
「私はアンナ・デュ・コレットと申します。フィリップ魔法騎士団団長直属の騎士です」
私の自己紹介が、むなしく謁見の間に響き渡る。
人は大勢いるはずなのに、なぜか重たい沈黙が漂っているのは、私の気のせいじゃない。
そんな沈黙を破ったのは、もちろん国王だ。
まるで物珍しいものを見るように、私を凝視した国王は、口元にうっすらと笑みを浮かべたまま問いかけてきた。
「ほう? そなた、カナルトスとカーブルストンに居合わせたと聞くが、本当か?」
「真実でございます」
私が返事をした途端、再び沈黙が舞い戻ってくる。
まぁ、そうなることはある程度予想していた私は、あふれ出しそうなため息をグッと堪えた。
その間も、国王が興味深そうに私をジロジロと見つめてきている。
正直、これ以上その視線にさらされたくはないんだけど、拒否はできない。
と、そんな私の心を読んだかのように、フィリップが口を開いた。
「国王陛下。私から1つご提案があります。発言してもよろしいでしょうか?」
「……許可する」
「ありがとうございます。先ほど、ジュトー宰相が挙げられておりました奴隷達の件とドラゴニュートの件。私の代わりに、このアンナを向かわせます」
『えっ!?』
そんなこと聞いてない!!
と思わず叫びそうになった私は、何とか声は抑えたものの、目を見開いてしまった。
そんな私の様子を見てなのか、怪訝そうな表情でジュトー宰相が告げる。
「なぜその女を選んだ? 貴様の手先として、使い勝手が良いからか?」
「もちろんそれもありますが。それ以上に、彼女が優秀だからです」
相変わらず飄々と言ってのけるフィリップは、その後もジュトー宰相の小言を全て受け流してしまった。
そうして、あれよあれよと話が進み。結果として、私はゼネヒットに向かうことになる。
本心を言えば、行きたくなんかない。
でも、謁見の間を出た後にフィリップ団長から本当の目的を聞かされた時、私は思ってしまった。
それは確かに、私にしかできないかも。と。
そしてゼネヒットまでの備蓄と30名の兵士を引き渡された私は、王都ネリヤを発つ。
この時の私は、まさかあんな事件に自分が巻き込まれてしまうことになるなんて、想像もしていなかった。
ただただ、面倒な役回りを押し付けられたなぁと、クレモンと愚痴を言い合っていたのだった。