第201話 追憶:闇を纏った旋律
ダンジョンの調査について、フィリップ団長に一通りの報告を終えた俺とアンナは、仕事は終えたとばかりに席を外そうとした。
ダンジョンの調査はかなり順調に進んだから、報告にそれほど時間はかかっていない。
内容も大したことが無いものだ。
その内容を聞いた『オレ』は正直、わざわざ2人して、団長に報告に来るほどでもないような気がしていた。
そんな『オレ』の考えを読んでいたかのように、フィリップが俺達を呼び止める。
「ちょっとちょっと、まだ話は終わってないよ。調査報告も大事だけどね。今日はそれ以上に大事な話をするために、2人を呼んだんだ」
呼び止められた俺とアンナは、中腰のまま顔を見合わせると、改めてソファに腰を下ろした。
相変わらず膝の上の猫を撫でつけるフィリップは、しばらくして語り始める。
「あまり喜ばしい話じゃないんだけどね。最近、このエレハイム王国内で、不穏な動きがあるのは知ってるか?」
「不穏な動き?」
俺の呟きを耳にしたフィリップは、ゆっくりと頷いて見せる。
「そうだ。初めは私も噂程度だと思ってたんだが。意外と勢力を伸ばしてるみたいでなぁ、ちょっと厄介なことになりそうなんだよ」
「団長がそこまで言うくらい厄介なのですか?」
フィリップの言葉がよほど意外だったのか、アンナが不思議そうに尋ねた。
対するフィリップは、軽い感じで頷くと、飄々と言ってのける。
「まぁ、私がいる限り、この王都ネリヤは難攻不落だがな」
よほどの自信があるのか、少しだけ胸を張った彼はしかし、その直後苦笑いを浮かべた。
「って、いつもは言うんだけど、正直、場合によっては分からないんだよ。もちろん、相手が人間ならなんてことないんだぞ?」
そこで一度言葉を区切ったフィリップは、俺とアンナの顔を見比べ、話を続ける。
「と言うことで、2人も今まで以上に気を付けておくように。街の様子や外の様子など、目の届く範囲で良いから、異変に敏感になっていてくれ。いいな? それじゃあ、今日は解散だ。帰って来たばかりで疲れてるだろ。ゆっくり休むと良い」
「「はい!」」
そんな会話を交わして話を終えた俺達は、そのままフィリップに敬礼した後、部屋を出た。
彼の言う通り、かなり疲労感を覚えている様子の俺とアンナは、王城を出てから少しだけ会話した後、別れを告げて各々の家に向かい始める。
そうして、大きな一軒家の前にたどり着いた俺は、大きく深呼吸したかと思うと、ゆっくりと玄関扉を開いた。
「ただいま。母さん、帰ったよ!」
そんな言葉を発しながら、家の中に入った俺は、まっすぐに伸びている廊下を歩いて、右側の部屋に入る。
そして、身に着けていた鎧を脱ぐと、壁際に備え付けてある鎧立てに引っ掛けた。
汗だくになってしまっている下着を脱ぎ捨て、新しいタオルで体をふいた俺は、綺麗な下着に着替える。
そうして、薄着になった俺は、家の中を歩き回った。
「母さん? どこに居るんだ?」
そう言った俺の頭の上で、シエルが告げた。
「ニッシュ、キッチンの方から良い匂いがするわよ?」
「お? 本当か? それは十中八九母さんだな」
そう言って小走りを始めた俺を余所に、『オレ』は家の中を観察した。
随分と大きな家だけど、あまり人の気配がない。
『もしかして、この時の俺は魔法騎士になって、母さんと二人で王都に住んでたのか? 今までとかなり違う人生だな……』
多分、俺の身体能力とか魔法の能力に目を付けたフィリップ団長が、ゼネヒットで暮らしてた俺を、母さんごと引き取った。
とかそう言う展開だったんだろう。
正直、この暮らしにありつけていることが、かなり羨ましく感じる。
『オレ』がそんなことを考えているうちに、キッチンにたどり着いたらしい俺は、中にいる母さんに声を掛けていた。
「母さん、ただいま」
「あら!? ニッシュ! もう帰って来てたの!? もう~、もっと早く教えてよ! まだご飯できてないわよ。もう少しでできるから、ちょっと待っててね」
鍋の前に立って料理をしていたセレナは、キッチンに入って来た俺を見るや否や、口元を手で押さえながら駆け寄ってきた。
そうして、本当に嬉しそうな表情を浮かべた彼女は、どこか割れ物を触るような手つきで、俺の右腕を摩る。
多分、怪我とかしていないか確認しているんだろう。
なぜかそう思った『オレ』と、同じ感想を抱いたらしい俺が、口を開く。
「大丈夫だって。それより母さん、お腹減った。何を作ってんの?」
「ん? 今日はニッシュが帰って来る日だから、お祝いのシチューを作ってたのよ」
ニコニコと笑顔を絶やさないセレナの言葉に、真っ先に反応を示したのはシエルだった。
「シチュー! 私、セレナの作るシチュー大好き! あ、セレナ、そういえば、おとといの夜ニッシュが、寝言でセレナの名前を呼んでたわよ!」
唐突に告げられる俺の恥ずかしい話を聞いて、セレナは少し嬉しそうに笑みを深めた。
対して、慌てている様子の俺は、頭の上のシエルを睨んで告げる。
「んなぁ!? そんなワケねぇだろ!?」
しかし、当然ながらシエルが発言を撤回するわけもなく、彼女はニヤッと笑みを浮かべると、得意げに言葉を並べた。
「呼んでたもんは呼んでたし! 寝言を言った張本人が、真実を知ってるわけがないでしょ!」
「ふふふ、相変わらず仲がいいのね。あ、テツ。そろそろシチューが出来上がると思うから、お玉で混ぜてくれる?」
今にも喧嘩になりそうな俺とシエルを見て、笑ったセレナは、思い出したようにテツに指示を出した。
鍋の近くに座っていたテツは、セレナの指示通りにシチューを混ぜ始める。
「お、そろそろ出来上がりか。それじゃあ俺は、皿の準備をしておくよ」
そう言った俺は、食器の並んでいる棚に向かうと、シチュー用と思われる皿を手に取った。
それらの皿にテツがシチューを取り分け、俺が食卓に並べてゆく。
母さんやシエルも飲み物やパンなどを食卓に並べ、あっという間に食事の準備が整った。
そして始まる、家族団らんの時間。
温かくておいしい食事と、にぎやかな食卓を囲んでいる俺達の姿を見ていた『オレ』は、なぜか胸が締め付けられるような思いを抱く。
なぜか?
いや、そんなことは分かりきっている。
今、こうして『オレ』の目の前に流れている幸せな時間が、長くは続かないことを、『オレ』は知っているからだ。
もちろん、この時の俺は、みじんもそんなことを考えていなかっただろう。
そして、食卓の中で繰り広げられたとある一コマが、『オレ』に辛く厳しい現実を突きつけてきた。
「母さん。実は渡す物があるんだ」
食事を終えた俺達が、そろそろ食卓を片づけようとし始めた頃。
唐突にそう言った俺が、懐からとあるモノを取り出したんだ。
部屋を照らす灯りの光を、キラキラと反射する銀色のペンダント。
そのペンダントを目にした母さんは、しばらくの間呆けていた。
そんな彼女の元に俺は歩み寄り、セレナの首に両手を回してペンダントを着けてあげる。
「え? ニッシュ? これ、どうしたの?」
「買ったんだよ。俺ももう、立派な魔法騎士だから、しっかり稼げてるわけだし。たまには、恩返ししないとなって思って」
「恩返しって……ちょっと……待って、母さんは……」
俺の言葉を聞いた母さんは、目に涙を浮かべたかと思うと、ボロボロと大粒の涙を零しながら俯いてしまった。
そっと彼女の背中を撫でる俺とシエル。
いつの間にかセレナの肩に上ってきていたテツも、まるで愛でるように、セレナの頭を撫でている。
こんな幸せが、いつか訪れてくれればいい。そして、ずっと続いてくれればいい。
そう願いつつも、『オレ』は既に諦めてしまっていた。
銀色のペンダントが記憶の欠片になっている理由と原因となった出来事。
それが決して、優しい出来事じゃないことを、今までの経験から『オレ』は既に知っている。
だからこそ、この先を見なくてはならない。
楽しむために見ているんじゃない。
苦しみを乗り越えるために、知るために、見ているんだ。
『オレ』がひっそりと決意したことなど、誰も知る由もないままに、その日の夜が更けてゆく。
そして、それは唐突に響いてきた。
まるで、深々《しんしん》と夜の闇を纏った旋律が、王都ネリヤに染み渡る。