第199話 追憶:違和感
「ニッシュ? どうかしたの?」
唐突に耳に入って来たその声は、聞き覚えのある女性の声だった。
そんな女性の声に反応するように、俺は声の主の方を振り返る。
暗い洞窟の中で、俺の方を見て不思議そうな表情をしているのは、アンナ・デュ・コレット。
例に漏れず、鎧に身を包んでいる彼女は、俺と目が合ったことに気が付くと、なぜか少しだけ恥ずかしそうにしながら視線を逸らした。
そんな彼女を見た『オレ』は、これが記憶の欠片なのだということを認識しながら、思う。
『ここはどこだ? それに、なんかいつもと様子が違うような……』
薄暗い周囲の様子と、アンナの姿、そして、説明のつかない違和感を覚えた『オレ』は、次の瞬間、その違和感の原因を理解する。
「いいや、何でもない。ちょっといい物を見つけただけだよ」
目の前のアンナに向かってそう言った俺の声が、いつもよりも低いんだ。
それはまるで、大人になった俺の声のような、そんな感じだ。
言われてみれば、視線の位置もかなり高くなっている気がする。
『これはつまり、俺がもう少し大人になった時の光景ということか』
状況からそう考えた『オレ』は、一人で納得する。
まぁ、今までの6回の中で、ある程度成功し続けた過去があってもおかしくないだろう。
とはいえ、その成功方法については、流石の『オレ』でも予想できなかった。
「このダンジョンは出来たばっかりなだけあって、結構良い掘り出し物があるよな」
そう言った俺が、アンナに見せびらかすように、手にしていた赤い宝石を掲げる。
そんな俺の手は、アンナと同じような鎧の小手を装着していた。
『え? 鎧……? ってことは、この時の俺は、魔法騎士だったってことか!?』
驚く『オレ』を置いてきぼりにしたまま、アンナと俺の会話は続く。
「わぁ、綺麗。それ、どこにあったの?」
「ん? さっき倒したワイルドウルフの腹の中だけど?」
「げ、汚いわね……ちょっと! 近づけないでくれる?」
「ははは、これくらいなんてことないだろ? アンナはいつも、魔物の返り血を浴びてるじゃん」
「それとこれとは話が別よ! それに、返り血だって、できれば浴びたくないわよ」
「そうだよなぁ……鎧の手入れとか大変だし」
「あぁ~。それ本当に分かるわ」
「だよな。いっそのこと、俺も奴隷を一人雇って世話をしてもらおうかなぁ」
「まぁ、気持ちは分かるけど、あんまりおすすめはしないわよ? 楽を覚えたら、人間一気に堕落していくわ」
「前から思ってたけど、貴族出身の令嬢がそんな考えに至るって、かなり珍しいよな。まぁ、そのせいで、若干浮いてるところはあるんだろうけど」
「うるさいわね! そう言うなら、ニッシュの方が浮いてるじゃない」
「はっはっは、そりゃそうだ」
まるで長年の友のように会話をしながら、洞窟を進んでいく俺とアンナは、ついにダンジョンの出口にたどり着くと、一旦足を止めた。
巨大な縦穴の壁に空いた横穴の縁に立つ俺の視界には、深くて暗いダンジョンの底が映っている。
そんな光景を見た『オレ』は、カーブルストンでのことを思い出して少しだけ委縮しつつも、2人の様子を伺う。
「えっと、今日の依頼は全部達成済みで良かったよな?」
「そうね。とりあえずは、クレモン達と合流しましょう」
「おう」
短く交わした俺とアンナは、直後、縦穴の縁を目指して飛び上がった。
縦穴の中腹辺りから、あっという間に縁までたどり着いた俺達は、ゆっくりと地面に着陸する。
周囲の様子から鑑みるに、このダンジョンはゼネヒット近郊のものじゃない。
そして、カーブルストンのダンジョンでもない。
周囲を深い密林に包まれているこのダンジョンがどこにあるものなのか、今の『オレ』には分からなかった。
そんなダンジョンのすぐ隣には、今まさに働いている人々の姿があった。
木を切り倒し、仮設の建物を設営している彼らの殆どは、たぶん奴隷だろう。
中には鎧を身に纏っている兵士もいるが、作業をするというよりは、現場の監督をしているようだ。
そんな中を直線的に突っ切った俺とアンナは、小さな小屋の中に入った。
中には大きなテーブルが1つだけあり、その上には、様々な資料が散らばっている。
それらの資料を食い入るように見ていたクレモンとシエルが、俺達に気が付くと同時に、口を開いた。
「遅かったですな。もしかして、サボっているのではと、心配していましたぞ」
「ニッシュ、今日はちゃんと仕事をしてきたんでしょうね? また変なことに首を突っ込んでたら、承知しないわよ?」
完全に俺に向けて放たれた2人の言葉に、俺はげんなりとしながら反論を始める。
「おいおい、流石の俺も団長の命令を無視したりしないぞ? それに、今日はアンナも居たんだし、サボるわけないだろ?」
「ニッシュ、その言い訳じゃあ、私が居なかったらサボる宣言に聞こえるんだけど……」
背後から語り掛けて来るアンナの言葉を、意識的に無視したらしい俺は、大きなため息を吐きながら懐に手を入れた。
そうして、何やら紙切れを取り出すと、テーブルの上に置く。
「まぁまぁ、とりあえずはこのリストにある魔物たちは、俺達で倒したぞ。それで、本格的な突入はいつにするんだ? クレモン?」
強引に話を進めようとする俺に愛想をつかしたらしいクレモンは、1つ咳払いして話し始めた。
「今のところ、調査隊の駐屯地は順調に設営が進んでいる状況であるからして、予定通り、来週の頭には突入開始と言ったところですかな」
クレモンの説明を受けたアンナは、小さく頷きながらテーブルに両手を付いた。
多分、散りばめられている資料に目を通しているんだろう。
しばらく沈黙が続いたのちに、彼女が口を開く。
「補給班の方はどう?」
その質問を受けたシエルは、テーブルの上の書類を一枚手にしたかと思うと、ふわりと浮かび上がった。
そうして、アンナの目の前に降り立ちながら、資料を彼女に見せ始める。
「1つを除いて全ての物資が、明日には届く予定よ。最後の1つも、明後日には届くように手配してるから、3日後の突入には充分間に合うはず」
「そうね。うん。問題なさそう」
シエルの提示した資料を見たアンナが、そんなことを言う。
その後も、幾つかの報告を受けた俺とアンナは、全て問題ないことを確認した。
そうして、この小規模な会議が終わろうとしたその時、少し申し訳なさそうに俺が口を開く。
「何も問題が無かったということで、俺はこの後カナルトスに行ってくるよ」
「ちょ、ニッシュ。まさか、また酔っぱらって帰って来るんじゃないでしょうね!?」
俺の言葉を聞いたアンナが、そんなことを言い始める。
すぐに首を振って否定した俺は、言い訳を始めた。
「いや、だからあの時は色々とあって、飲み比べの勝負を仕掛けられたんだって。そんなの断れないだろ!? それに、今回はちょっと買いたいものがあるだけだから、そもそも酒は飲まない! 絶対に飲まない!」
俺の言い訳を聞いたアンナは、全く納得していない様子だったが、シエルが一緒に着いて行くということで、外出を許可してくれた。
そのまま小屋を出た俺とシエルは、慣れた仕草でリンクすると空に飛び上がる。
ここで初めて、空から周辺の景色を見た『オレ』は、このダンジョンがどこにできているのか知ることができた。
位置的には、セルパン川の南側になるらしい。
東に見える霊峰アイオーンを見ながら北上した俺達は、あっという間にセルパン川の中心まで飛ぶと、カナルトスの上空にたどり着く。
眼下に見えるカナルトスは、町の東側が一部破壊されているようだった。
『あれは……サーペントの被害か?』
そんなことを推測した俺は、少し心が痛んだが、しかし、街の様子を見て気を取り直した。
街が破壊されてしまったとは思えないほどに、カナルトスは大勢の人で賑わっている。
そんな人ごみの中に降り立った俺は、すぐに目当ての店を見つけたらしく、そのまま店の中に入っていく。
酷く古臭いその店に入り、まっすぐにカウンターへと向かった俺は、店の奥に向かって声を掛けた。
「お~い。俺だ、ウィーニッシュだ。店主は居ないのか~?」
外の賑わいと打って変わって静かな店内に、俺の声が響く。
しばらくすると、杖を突いた老人が奥から歩いてきた。
白髪の混じった黒髪を後頭部でひとまとめにしているその老人は、非常に細い目が特徴的だ。
「おぉ~、ウィーニッシュか。何か用か?」
「ゼハスさん、俺がこの店に用があるって言えば、あれしかないでしょ? ほら、これ、今日手に入れたばかりの宝石だ。いくらで買ってくれます?」
「ふん……」
ゼハスという名の老人に、先ほど手に入れたばかりの赤い宝石を手渡した俺は、老人の様子を伺う。
対するゼハスは、受け取った宝石を細い目で凝視し始める。
「これは中々……そうだな、これなら、30万くらいは出せるかの」
「本当ですか!? それじゃあ、例のあれと交換ということで、お願いします!」
「分かった分かった。今この場で現物交換。と言うことで良いんじゃな?」
「はい!」
ゼハスは俺の返事を聞くと、ヤレヤレと口に出しそうな表情で首を横に振ると、カウンターの下に身を落とした。
そうして、何やら取り出した彼は、細長い箱をカウンターの上に置く。
「ほれ、持っていきな」
「おぉ、ついに……ありがとう、ゼハスさん!」
そう言った俺は、その箱を手に取ると、おもむろに蓋を開ける。
その中身を目にした『おれ』は、すぐさまそれが何かを理解した。
銀色のペンダント。
思ったよりも早く登場したキーアイテムを前にして、俺は思うのだった。
今回はこのペンダントに、どんなものが込められているんだろうか。と。