第196話 新たな可能性
朝食を終えた後、俺は意気揚々と柱の元に向かい、山道を見据えた。
昨日、ここに立った時に感じたものとは別の緊張感が、全身に張り巡らされている。
目指すべきゴールは、さっきのエイミィとの話の中で、なんとなく見えた。
彼女の見せてくれた動き。
あの光速のような動きに、少しでも近づく。
そのために、俺の持っている力の全てを注ぎ込むんだ。
「準備は良い?」
俺の隣に立ったエイミィが、軽い口調で問いかけてくる。
そんな彼女に頷いて見せた俺は、背後に立っているマーニャの方に目を向ける。
「それじゃあ、行ってくる。今日は怪我しないようにするから、安心してくれ」
「うん。頑張って!」
心強いマーニャの返事を聞いた俺は、一度深呼吸をすると、右手を柱に添える。
そして、頭の上にいるシエルとリンクした。
リンクした状態の俺は、全ての感覚が研ぎ澄まされてゆくのを感じる。
それらの感覚を、更に研ぎ澄ませるために、俺は集中を深めると、左手を前に突き出してラインを描いた。
直後、ジップラインで飛び出すと同時に、右手を柱から外す。
そのまま、山道に沿って進み始めた俺は、同時に思考を巡らせていた。
身体を使いこなす。
その言葉だけを聞けば単純にも聞こえるが、抽象的過ぎて具体的にどうすれば良いか分かりにくい。
そもそも、走るという動作を削がれている今、身体を使ってできることは限られているんだ。
おまけに、ラインで経路を描きながら新しい課題について考え続けるのは、非常に難しい。
「勢いで飛び出したけど、どうすれば良いんだろうな……なぁ、シエル。何か良い案は無いか?」
『う~ん……私も色々考えてるけど、良く分からないわね。だいたい、身体を使えって言うなら、なんで飛び続けなきゃいけないわけ?』
「さぁ、それは俺も疑問だなぁ」
脳内のシエルと会話を交わしながらも、俺は少しずつ近づいている森林地帯に警戒態勢を取った。
この修行の一番の肝は、この森林だ。
昨日も、なんだかんだ言って森に入る前と出た後は、すんなりと進むことができている。
『身体を使う……身体……からだ……ねぇニッシュ、身体ってなんだったっけ?』
「ふざけてる場合かよ!」
シエルの問いかけにツッコミで返した俺は、直後、森の中に突入した。
うっそうと生い茂る草木の間を、縫うようにしてラインを伸ばし、それに沿って飛んで行く。
茂みや草などで隠れてしまっている山道を見失わないように、地面にも気を配りながらの飛行は、とてつもない集中力を要した。
そのせいで、昨日は何体もの魔物の接近に気づけなかったんだ。
『そう言えば、1つ思ったんだけど……』
「なんだ!? ちょっと今集中してるから、簡単に頼む!」
『昨日エイミィが着いて来ないって話になった時、私たちの事が見えるって言ってなかった?』
「ん? そんなこと言ってたか? おわっと、あぶねぇ!!」
唐突に告げられたシエルの言葉に反応した俺は、危うく木と衝突しそうになった。
ポイントジップを駆使して、ギリギリ衝突を回避した俺は、なんとか体勢を立て直す。
そうしている間にも、シエルは頭の中で話を続けていた。
『もし、エイミィが私たちのことを本当に見てるんだとしたら、どうやって見てるのかな……? 目ん玉でも飛ばしてるわけ? でも、視界っていうのも、ある意味では身体ってことになる?』
「なるほどなぁ。それは一理あるかも……っとぉ!!」
『ちょっ!! ニッシュ、右後ろから例の蜘蛛が追って来てるわ!!』
「本当か!?」
シエルの気づいた情報と、背後から例の蜘蛛が接近しているという情報を受け、俺は混乱し始める。
とにかく今は、何よりも逃げることを優先しようと考えた俺は、ふと思った。
『シエルはどうやって、背後の様子を見たんだ?』
今まで、今回のように彼女の危機察知に助けられる場面は、幾度もあった。
が、こんな疑問を抱いたのは初めてだ。
『俺とシエルはリンクしているのに、どうしてシエルだけが蜘蛛の存在を察知できたんだろう』
沸いて出て来た疑問を喉元に引っ掛けたまま、全力で加速する。
ジップラインとポイントジップで全身の軌道を細かく調整しながら飛ぶ俺は、背後から迫り来る蜘蛛の足音を耳にした。
『シエルが蜘蛛の存在に気づいたのは、聴覚が鋭いからだろうか』
そこまで考えが至った俺は、おぼろげに、身体を使いこなすという言葉の意味合いを理解し始めた。
身体を使うとは、なにも手足を動かすだけじゃない。
シエルの言う通り、5感も身体の機能の一部だ。
そして、もう1つ付け加えるならば、シエルという存在もまた、俺の身体の一部だと言えるだろう。
『……人とバディは、一心同体』
そして、そんなバディは、ミノーラによって作り出されたもの。
『……どうやって? ミノーラはどうやってバディを作り出した?』
新たに浮かび上がってきた疑問に一瞬悩みかけた俺は、しかし、次の瞬間には答えを導き出していた。
『そんなの決まってる。魔法だ』
導き出した答えは、俺の中のもう1つの知識と結びつき、新たな可能性を導き出す。
『たしか……魔法は生命エネルギーを変質させて使用するとか、前にアンナが言ってたな』
カーブルストン地下のダンジョンで、彼女が氷魔法を使えた理由を説明するときに、難しいことを言っていたのを、俺は思い出す。
生命エネルギーが何なのか、詳細は未だに良く分からないけど、簡単に言えば、魔法は俺達の命から作り出されてるってことだ。
そんな考えに至った俺は、直後、脳裏に響き渡るシエルの声を聞いた。
『ニッシュ! 危ない!!』
反射的に、右に向かってポイントジップで軌道修正した俺は、背中を掠める風を感じた。
冷汗が背中にブワッと湧き上がって来る。
『もう一撃、来るわよ!!』
無理な軌道修正をしたせいで、体勢を崩しながら頭から落下していた俺は、視界の左端から迫って来る巨大な爪に気づいた。
深く考えるまでもなくポイントジップを足の裏に発動した俺は、落下速度を劇的に加速させる。
そのおかげで、蜘蛛の放った横薙ぎの爪攻撃は、俺の足先の数センチ上をかすめてゆく。
しかし、地面に向かって加速した俺はそのまま着地して、地面を転がってしまう。
つまり、修行の条件は破ってしまったが、もはや修行などと言っている場合じゃない。
眼前に迫る蜘蛛を何とかしなければ殺されてしまう。
そうなってしまっては元も子もない。
即座に臨戦態勢に入った俺は身構えつつ、爪を振り上げた巨大蜘蛛の腹に狙いを定める。
そうして、蜘蛛と俺がほぼ同時に攻撃を繰り出そうとしたその瞬間。
瞬く間に俺の眼前に姿を現したエイミィが、躊躇うことなく、腹に目掛けて掌底を撃ち込んでくる。
突然で、かつ、想像以上に重たい一撃を受けた俺は、気が付くと、数十メートルは後方に飛ばされていた。
ついさっきまで目の前にいた巨大蜘蛛が、見る見るうちに遠ざかってゆく。
森林の中を吹っ飛ばされているにも関わらず、一度も樹木と衝突しないことに、俺が疑問を抱き始めた頃。
視界が一気に開けた。先ほど入ったはずの森林が、徐々に遠ざかってゆく。
その光景を見た俺は、状況を理解した。
エイミィによって、リスタートを掛けられた。と言うことだろう。
成すすべなくスタート地点に戻された俺は、既に戻って来ているエイミィの足元に背中から着地する。
空を仰ぎ見るように寝転がったままの俺に、マーニャが茫然とした様子で視線を注ぎ込んでくる。
「地面に降りちゃったから、やり直しだよ。ささ、はやく準備して」
「……本当に見えてたんですか?」
当たり前ように準備を促してくるエイミィに、俺はそんなことを聞くしかなかった。
対するエイミィはというと、それもまた当然とでも言うように、言ってのけたのだった。
「当たり前でしょ? 私を誰だと思ってるの?」