第195話 渦巻く不安と後悔
「半分? じゃあ、残りの半分は何なんですか?」
エイミィの答えを聞いた俺は、すぐにそう聞き返した。
しかし、彼女は話をはぐらかすように首を横に振って見せる。
「まぁ、その話は朝食を摂りながらにしようよ。どのみち、君は今日も同じ修行をこなすんだからね。栄養補給は大事だよ?」
そう言われた途端、俺は無性に腹が減っていることに気が付いた。
よく考えれば、昨日の朝食以来、何も食べていない。
今日も昨日と同じ修行をするのなら、確かに栄養補給は大事だ。
釈然としないが、そうやって自分を納得させた俺は、布団から出てダイニングへと向かった。
食卓には昨日と同じように、肉だらけの料理が並んでいる。
今になって思えば、朝から肉だらけというのも頷ける修行内容だったかもしれない。
おもむろに席に着いた俺は、隣に座ったマーニャと目配せをすると、互いに頷き合って食事を始める。
それにしても、これだけの料理はどこから仕入れているんだろうか。
小さく抱いた疑問を、焼きたての肉と一緒に飲み干した俺は、早速、対面に座っているエイミィに問いかける。
「で、半分正解って言うのは、どういう意味なんですか?」
「文字通り、半分。つまり、君が使いこなせていないものは、全部で2つあるんだよ。1つは君の言う通り、魔法だね」
「使いこなせていないものが2つ……?」
エイミィの言葉を聞いた俺は、今一度考えてみた。
今までの俺が、こと戦闘において使ってきたのは、主に魔法だ。
ジップラインとかポイントジップといった力魔法とか、その応用の雷魔法とか。
熱魔法も多少は使えるけど、戦闘ではあまり使わない。
あと、もう1つ言えるとしたら、紋章によって強化されている身体能力か。
だけど、紋章の力にはあまり頼る訳にはいけない事情がある訳で……。
「なにか心当たりはあるかな?」
考え込む俺の顔を覗き込みながら、エイミィが尋ねて来る。
そんな彼女に対して、俺は半信半疑で応えた。
「身体、とかですか? でも、あまり身体能力だけに頼る訳にもいかなくて……」
深く語りだすと色々とややこしいと考えた俺は、少し言葉を濁した。
もしかしたら、エイミィはミノーラから色々聞いて知っているのかもしれない。
だとしたら、あまり情報を出さなくても、何かしら察してくれるだろう。
そんな俺の淡い期待は、彼女の直球ドストレートによって、散らされてしまう。
「知ってるよ。乗っ取られるんでしょ?」
「……ニッシュ、それって何の話?」
隣でベーコンを頬張っていたマーニャが、驚きに目を見開きながら問いかけてくる。
そんな彼女の事もお構いなしに、エイミィは言葉を続けた。
「身体能力に頼るって言い方をしている時点で、君はまだ、君自身の身体を使いこなせていない証拠だよね。いいかな? 自分の身体を使いこなせるようになれば、乗っ取られそうになった時に、抗うことができる。使いこなすってのは、そういうことよ」
「でも、地面に足を着いちゃいけない状況で、どうやって身体を使うって言うんですか?」
「君は私の動きを見ていたと思うんだけど、忘れちゃったのかな?」
「エイミィさんの動き……?」
言われて初めて、俺はエイミィの驚異的な移動速度のことを思い出した。
まるで、光速で動いたかのように、瞬間的に移動する速度。
てっきり、ドラゴニュートと言う種族だから可能なのだと思い込んでいた。
「あれは、身体と魔法をどちらも使いこなすことで初めて、可能な技だよ? まぁ、人間が習得するのは、至難の業だと思うけど。少なくとも、私が知ってる中であれを習得した人間は、1人だけかな」
「それってまさか、ヴァンデンスですか?」
「あはははは!! ヴァン坊が? できるわけないじゃない。あの子はまだまだよ。あの子の前に1人、私の師匠が最後に弟子に取った人間がいるの。今は確か、魔法騎士団の団長になってるんじゃなかったかな?」
「魔法騎士団の団長!?」
と言うことはつまり、今後敵対する可能性が十分にあり得る人物だ。
エイミィの口ぶりからして、今のままの俺達じゃ、相手にならないんだろう。
「と言うことで、今日からは少しずつでいいから、身体の制御についても考えてね」
「身体の制御か……」
「あの……」
話の流れがひと段落仕掛けたその時、少し不機嫌そうなマーニャが口を開いた。
彼女の様子を見た俺は、マーニャの疑問を置き去りにして話を進めていたことを思い出す。
「ウィーニッシュ。身体を乗っ取られるって、どういうこと?」
「ごめん。隠すつもりはなくて、内容が複雑だから、話す機会を伺ってたんだ」
「いいから、説明して」
酷く冷たいマーニャの声を聞いた俺は、仕方なく、今までの経緯を洗いざらい話した。
俺がこの世界の人間じゃなかったことも。
この人生が8度目だということも。
閻魔大王に呪われているせいで、紋章に身を委ねると鬼になってしまうことも。
今度鬼になってしまうと、二度と人間として生きることができないことも。
7回目に失敗した時に、ミノーラに助けられたことも。
俺の記憶の欠片が世界のどこかにあって、そのうちの1つがハーシュの見せてくれたペンダントだということも。
それらのことを語っている間、マーニャは何も言うことなく、淡々と話を聞き続けていた。
初めのうちは困惑していた表情も、次第に思い悩むようなものに変わってゆき、最後には、完全に俯いてしまう。
そんなマーニャの様子を見ていた俺は、胸の内に小さな不安が渦巻き始めたことに気づく。
もしかしたら、今の話を聞いた彼女は、俺のことを怖がるんじゃないか。
冷静に考えれば、何かのきっかけで化け物になりかねないような人の傍に、居たいと思うだろうか。
渦巻き始めた不安は、次第に歪みを増しながら、少しずつ後悔へと変貌を遂げ始める。
やっぱり話さない方が良かったんじゃないか。
ふと、そんなことを俺が考えた時。
パッと顔を上げたマーニャがまっすぐに俺を見つめてくる。
そうして、小さく尋ねてきた。
「もしかして、私、カナルトスで……」
詳しくは語らないマーニャの言葉を聞いた俺は、しかし、彼女が何を言わんとしているのか、すぐに理解した。
そして、かつて見た記憶の欠片を思い出す。
その記憶の中で、マーニャは無残な死を遂げていた。
思い出したくない光景を思い出した俺は、そんな惨状を防げなかった前世の自分を情けなく思いつつ、歯を食いしばる。
そんな俺の様子を見たらしいマーニャは、俺の意に反して、なぜかホッと胸を撫で下ろしていた。
「マーニャ?」
小さな微笑みまで浮かべているマーニャ。
そんな彼女に思わず声を掛けた俺は、ただ茫然と彼女の言葉を聞く。
「あ、ごめん。でも、良かったなって思って。だって、今私がここで生きてるってことは、未来が変わったって証拠だよね。最近、いろんな人の悲しい過去の話ばっかり聞いて、思ってたの。過去はどうやっても変えられない。だからこそ、今の私たちは未来をよくするために頑張ってる。でも、未来を変えることも絶対に出来なかったら、どうしようって。だから、なんかすこし安心しちゃった」
マーニャは本当に9歳なんだろうか。
いや、もっと他にするべき反応があるのは分かっているけど、俺は真っ先にそんなことを思った。
彼女の浮かべている純粋な笑みと、潤んだ瞳には、一切の濁りが見えない。
そんな彼女を見ているうちに、俺の胸の内で渦巻いていた不安や後悔は、一瞬にして勢いを失ってゆく。
頑張ろう。
マーニャの言う通りだ。
過去は変えられないけど、未来は変えられる。
当たり前のはずなのに、見えなくなっていたことを再認識した俺は、自然と笑いだしてしまっていた。
新たに胸の内に現れたこの感情は、何と呼べば良いのだろう。
まるで、魔法の羽でも生えて来たかのように、身体も心も軽やかに感じられる。
今なら何でも何でもできそうな高揚感。
そんな感情をありのままに受け入れながら、俺はその感情の名前を考える事を放棄した。
理由は特にない。
ただ、簡単に名前を付けてしまうのは、無粋だと感じたんだ。