第189話 とあるモノ
「は!?」
ハーシュの言葉を聞いた俺は、思わず声を上げてしまった。
当然、その場の視線が全て、俺に集まってくる。
そんな視線を完全に無視した俺は、力なく横たわっている狼―――ミノーラを凝視した。
清らかな泉の傍に横たわっているミノーラは、命を落としてしまっているわけでは無いようだ。
その証拠に、まるで深い眠りについているように、ゆっくりとした呼吸を繰り返している。
そもそも、神を名乗る存在の生死が俺達と同じ基準で語られるのかは疑問だけど、少なくとも俺には、彼女が生きているように見えた。
「落ち着いた?」
そう問いかけて来たエイミィに対して、俺はゆっくりと頷いて見せると、頭の中を駆け巡っている疑問を彼女にぶつける。
「あぁ。でも、本当にあの狼がミノーラなのか? 本当だとするなら、どうしてこんなところに?」
しかし、俺の質問に答えたのはエイミィじゃなく、ハーシュだった。
「それを説明するためにはまず、我らドラゴニュートの始祖クリス様と、ミノーラ様の関係について、話をせねばなるまい」
そこで言葉を区切ったハーシュは、ゆっくりとその場に腰を下ろし始めた。
それに合わせるように、エイミィも腰を下ろし始める。
俺とマーニャは2人が腰を下ろしたのを見ると、互いに視線を交わし、同じように腰を下ろした。
真っ直ぐ、ミノーラの方を見ながら座っているハーシュは、決して俺達の方へ視線を投げることなく、話を始める。
「かつて、この世界に神が生まれた。その神こそが、ミノーラ様じゃ。ミノーラ様は神になったと同時に、世界中を見て回ったという」
『世界中を?』
そう思った俺は、しかし、ハーシュの話を遮る訳にもいかないので言葉を飲み込む。
「各地を見て回ったミノーラ様は、多くの物事を目にしたそうだ。それは、とても美しい光景から、凄惨な光景まで。それだけでなく、世界中の人々が抱く、祈りや願いについても、彼女は見て、聞いて、感じて、嗅いで、知った」
ミノーラが知った物事に思いを馳せた俺は、少しだけ気持ちが落ち込んでしまう。
実際に見て回ったミノーラと、今俺が感じているものが、完全に一致するとは思わないけれど、似通った点はあるんじゃないだろうか。
そんな思いと同時に、『どんな世界でも似たようなものだろう』という考えを抱いてしまった俺は、小さくため息を零す。
「同じ頃、我々の始祖クリス様は、世界各地を見て回るミノーラ様を探して、同じように世界を旅していたそうじゃ。なんでも、クリス様はミノーラ様が神になる前、共に旅をしていたらしい」
『神になる前? え? 元々普通の狼だったのか?』
今すぐにでも疑問を投げつけたい衝動をグッと抑えた俺は、改めてハーシュの話に耳を傾ける。
「そうして、世界を旅していたミノーラ様とクリス様は、偶然にもこの地で出会うことになる。しかし、その時この地では過去に類を見ない凄惨な戦争が繰り広げられていた」
『戦争……この話がいつの話か分からないけど、やっぱりこの世界でもあったんだな』
「なんとか戦争を止めようと奮闘するクリス様とミノーラ様は、だが、何もできなかった。力ずくで戦争を止めたとしても、矛先が別に向くか、わだかまりだけを残してしまう。それを憂いたんじゃな」
そこで一旦言葉を区切ったハーシュは、大きく息を吐き出した。
そんな彼の横顔を見た俺は、黙ったまま、彼が再び話し始めるのを待つ。
2、3度深呼吸を繰り返したハーシュは、再びミノーラを凝視し始めると、口を開く。
「その結果、ミノーラ様はとあるモノを作ることを決断したのじゃ。しかし、それを作るためには、その意識の大半を眠りにつかせる必要があった」
『そして、今もミノーラは眠ってる……ということか。とあるモノってのが気になるな』
「そこで、我らの始祖クリス様が、ミノーラ様に進言したのじゃ。眠っている間のミノーラ様の身体を自分達が守り続けると」
ここで初めて、俺の方に目を向けたハーシュは、ゆっくりと告げる。
「それから数千年。我らドラゴニュートは、ミノーラ様と交わした契りを守り、彼女の身体を守り続けておる」
「数千っ!?」
ゆっくりと告げたハーシュの言葉に、驚きの声を漏らしたのはマーニャだ。
自分が声を漏らしたことに気が付いた彼女は、慌てた様子で口を噤むと、申し訳なさそうにしている。
しかし、ハーシュもエイミィも彼女を咎めるようなことはせず、ただ黙ったまま俺を見つめている。
表向きは平然を装っていた俺は、混乱しかけている頭を整理するために、ハーシュに質問することにした。
「話はなんとなく分かりました。でも、幾つか分からないことがあります。そもそも、この話を、どうして俺達にするんですか? 本来、この話はあまり広めない方が良いと思うのですが」
何しろ、神様の身体がここにあると知れ渡ってしまえば、良からぬことを企む輩が狙ってくるかもしれない。
知る人は少なければ少ない方が良いはずだ。
そんな俺の疑問など、あらかじめ把握していたかのように、ハーシュが告げる。
「ミノーラ様が仰ったのじゃ。お主達になら伝えても良いとな」
彼の言葉に真っ先に反応を示したのは、俺じゃなく、マーニャだった。
「それは、私も含まれているのですか?」
この場にいることが場違いだと感じている様子のマーニャが、そう尋ねる。
対するハーシュは、彼女の意見を否定するように、頷いて見せた。
「お主は大丈夫じゃ」
妙に説得力のあるハーシュの言葉に、反論できなかったらしいマーニャは、パチクリと瞬きしながら黙り込む。
直後、沈黙が漂い始めたのを見計らって、俺はもう1つの質問をした。
「ところで、ミノーラ様が作ったモノって言うのは、なんなんですか? 戦争を止めることができるモノって、かなりすごいモノだと思うのですが」
俺の問いかけを聞いたハーシュは、優しい温もりの籠った視線を投げかけてくる。
そうして、ゆっくりと首を振りながら、彼は告げた。
「それは戦争を止めることができるような物じゃない。場合によっては、戦争を引き起こす種になりかねないモノじゃよ」
一旦言葉を区切り、俺を凝視した彼は、ふと俺の頭の上にいるシエルに視線を上げた。
そうして、はっきりと言う。
「ミノーラ様が作ったモノ。それは、バディじゃよ」
その言葉を聞いた俺は、一瞬驚きを抱きかけたものの、次の瞬間には納得してしまっていた。
今までに起きた様々な物事や、バディと言う存在、そして、地獄で出会ったミノーラの容姿から考えて、つじつまが合う。
どうして、ミノーラはバディを作ろうと思ったんだろう。
新たに沸いて出て来た疑問に気づいた俺は、今度直接聞いてみようと思ったのだった。