第184話 良い報せ
ウィーニッシュ達がゼネヒットに帰り着く数日前。
ようやく王都に帰り着いたアンナは、帰還早々、上官に呼び出されてしまっていた。
とはいえ、呼び出されるであろうことはなんとなく予想できていた私は、込み上げてくるため息を飲み込んで、会議室に向かう。
カーブルストンで起きた事と、ダンジョンのこと、ケルベロスの事、そしてウィーニッシュのこと。
報告事項を頭の中でこねくり回していた私は、目的の扉の前にたどり着き、一旦足を止めた。
そして、大きく深呼吸すると、肩に止まっているクレモンと視線を交わした後、扉をノックする。
「入っていいぞ~」
部屋の中から少しくぐもった声が返って来る。
その声に若干の違和感を覚えつつも、私は扉を開けて部屋の中へと足を踏み入れる。
「ジャック様。ご報告がありま……」
部屋に入るなり、すぐに報告を始めようとした私は、言葉を失ってしまった。
いつもなら、私の上官であるジャック・ド・カッセルが部屋の中にいて、険しい表情を浮かべているはず。
だが、今日はいつもとは違ったらしい。
というのも、部屋で私を待っていたのは、ジャックではなかったのだ。
「ん、そこの椅子に掛けててくれないか? もう少しで終わるから」
ハキハキと喋るその黒髪の男は、赤い髪を持ったジャックとは似ても似つかない。
屈強な体つきは似てはいるけど、雰囲気がかなり柔らかい。
というか、爽やかな笑顔まで浮かべている。
年齢は私よりもかなり上のはずなのに、若々しく見えるのは気のせいだろうか。
そんなことを考えながらも、いつもより強烈な緊張に身を固めた私は、改めて姿勢を正しながら告げた。
「いえ、私はここで構いません、フィリップ団長!」
「そんなわけにはいかないさ。ほら、早く座って座って。じゃないと、私は可愛いお嬢さんに立ったまま報告をさせるような、不躾な男だと思われてしまうだろう?」
「そ、そんなこと……」
誰も思いませんよ。と言いかけた私は、言葉をグッと飲み込んだ。
そうして、指示通りに椅子へと歩み寄り、「失礼します!」と告げて腰を下ろす。
私の肩に止まっていたクレモンは、椅子の背もたれにひらりと飛び移った。
何をすることもできない私とクレモンは、とりあえずフィリップ団長に視線を投げる。
こうして、報告に来た私を待たせたまま、彼が何をしているのか。
もし、一般の人々がそれを知ったら、驚きを隠せないだろう。
「よぉ~しよし、このくらいでいいかな? お、機嫌よくなってるじゃないか。良かったなぁ、お前。私に拾われて幸せ者だぞ? 安心しろ? 一生面倒見てやるからな」
そんなことを呟きながら小さな箱の傍にしゃがみ込んでいるフィリップは、箱の中にいる子猫のブラッシングをしている。
私は思わずため息を吐きそうになったが、それをグッと堪え、猫を抱えたまま私の対面に向かって歩いて来るフィリップを目で追った。
「悪いね、待たせてしまったようだ。この子がどうしてもと言うもんで」
「いえ、かわいらしい子猫ですね。また拾ってこられたんですか?」
「え、あ、いや、まぁ……ははは、そういうことになるかな」
苦笑いを浮かべるフィリップに、笑みを返した私は、ふぅと息を吐いて話し始めた。
「先ほどは申し訳ありません。てっきり、ジャック・ド・カッセル様に呼ばれたのかと思っておりました」
「いやいや、突然呼んだのは私だ。気にする必要はない。それより、さっそく本題に入ろうじゃないか」
そう言ったフィリップは、唐突に真面目な表情を浮かべた。
真面目な顔になるのは良いけど、その顔のまま子猫の頭を撫で続けるのはやめて欲しい。
心の中でそう独白した私は、しかし、面と向かってそれを口に出すわけにもいかず、報告を始めることにした。
「私は国王陛下の命令で、カーブルストンに赴き、治安回復の任に着きました。しかし、街に着いた直後その街の住民に襲われ、その時、例の少年が現れたのです」
「ほう……ということはやはり……よし、続けて」
「はい。少年があそこにいた理由は、恐らく仲間を集めるためだと思われます。と言うのも、私を襲撃した者達を率いていた男と、既に接触を図っていたのです」
「なるほどねぇ。で、無事に鎮圧できたのかな?」
「いえ、それが……少年が私とリーダーの男を仲裁し始めたのです。そうして、話し合いをしている間に、魔物が現れ、気が付けば、カーブルストンの街がダンジョンの大穴に飲み込まれてしまいました」
「ん? えっと、それはつまり、街の下にダンジョンがあって、何かのきっかけで穴が出現したと?」
「そういうことになります。また、きっかけはおそらく、魔物を倒すために放ったリーダーの男の一撃だと思います」
「で、全員で協力してダンジョンから逃げ出してきた。そして、例の少年とその男には、騒動のさなかに逃げられた。こんなところかな」
ニカッと笑みを浮かべながら問いかけて来るフィリップ団長を見て、私は少し迷いを覚えた。
彼の言葉を肯定してしまえば、私の失態を無かったことにできるかもしれない。
一瞬そう考えた私は、しかし、あまりにも純粋なフィリップの笑顔を前に、耐え切れなくなってしまった。
「いいえ。私は彼らを捕らえることが出来たにも関わらず、放置してしまいました」
「放置? それは、どうして?」
またしても純粋な瞳で私を見つめて来るフィリップ。
その視線を前に、私は葛藤する。
ダンジョンから脱出した後、アーゼンとウィーニッシュの話を聞いた私が何を考えたのか。
どう思ったのか。
それを目の前の彼に話してしまってもいいのだろうか。
フィリップ団長は、このエレハイム王国の騎士団長を務めている人物。
当然、権力も力も持っている実力者であって、それはつまり、この国に、ある程度の影響力を持っていることになる。
逆に言えば、現状の国の在り方は、少なからず彼の影響を受けた状態であることを意味している。
ウィーニッシュやアーゼンの言葉は、ある意味、率直な意見だ。
それを彼に伝えてしまうのは、侮辱に値するんじゃないか。
そこまで考えた私は、少し表現を和らげて伝えることにした。
「少年が言っていました。目指すべき世界がある。それは、皆が皆を助けることができる世界だと」
そう告げた私は、目の前に腰を下ろしているフィリップ団長が、目を見開いていることに気が付いた。
何か気になる言葉でも言っただろうか。
先ほど告げた内容に、驚くべきことでもあったのかと、少し不安を抱いた私に、フィリップが問いかけてくる。
「彼はこんなことも言っていなかったか? 『世界をぶち壊す必要がある。掃き溜めのようなこの世界に、埋もれてしまってるものを拾い上げるために』と」
「え……!? どうしてそれを……」
「やっぱりか……」
そう呟いたフィリップは、なぜか嬉しそうに口元を緩ませると、さらに小さな声で告げた。
「懐かしいな。……まるで、彼女みたいだ」
「フィリップ団長?」
「いや、すまない。こちらの話だ。報告ありがとう。とりあえず、国王陛下には私の方から報告しておこう。もちろん、ちょっと脚色はするよ。アンナ嬢はこのまま休暇をとってくれ」
「え、あの、でも」
「あ、それと、君の上官なんだが、近い内に私の直属になってもらうよ。今、ジャックは遠征に出ているからね」
「え? 遠征に? それってまさか……」
「想像の通り、ゼネヒットだよ。まぁ、とりあえずは良い報せを待つことにしよう」
そう言ったフィリップは手にしていた子猫を持って立ち上がると、いそいそと箱の中へと戻し始めた。
そんな彼の様子を、座ったまま見ていた私は、ふと思う。
彼の言う『良い報せ』とは、どっちなんだろう。
ジャック達がゼネヒット付近のダンジョンに籠っている元奴隷達を捕縛する報せ?
それとも、ジャック達が敗北する報せ?
いつもの私なら、こんな疑問を抱くことすらないはず。
だけど、愛おしそうに猫を撫でる彼の姿は、執拗に私の心をかき乱したのだった。