第171話 取り柄
ところ変わって、ゼネヒット近くのダンジョン内。
緑生い茂るエリアに来ていた私とデセオは、茂みに身を隠して物音を探っていた。
木々の枝葉が風に揺れ、爽やかな音が、私の鼓膜を揺らしてゆく。
そんな穏やかな音を乱すように、荒々しい足音が右の方から響き渡ってくる。
「来た!」
小声でそう呟いた私は、持っていた弓を構えて矢をつがえると、弦を引く。
私の隠れている茂みから見て右側に位置する1本の木。
その木の左側に狙いを定めていた私は、森の右奥から近づいて来る影を見つけ、呼吸を止めた。
直後、狙いを定めていた場所から、大きな猪が飛び出してくる。
その姿を見るや否や、今一度、猪の頭部に狙いを定めた私は、矢を放った。
細い音を立てて空を切る矢は、一瞬の後、猪の左目に突き刺さる。
痛みのあまりに暴れ出す猪は、赤い鮮血をまき散らしながら頭をぶん回し始めた。
そんな猪の様子を観察していた私は、もう1本の矢を弓につがえて、再び矢を放つ。
眉間を狙って放ったその矢は、しかし、暴れる猪の鼻先に触れて、弾き飛ばされてしまった。
「あっ!」
外してしまったことに動揺した私は、思わず声を漏らしてしまう。
それがダメだったみたいで、私の声を聞いた猪は、荒ぶる右目でジーッとこちらを見つめる。
不意に、身の危険を感じた私は、すぐさま逃げ出そうと脚を動かした。
その瞬間。
躊躇うことなく、猪が私目掛けて突進を仕掛けてくる。
鮮血と唾液をまき散らしながら、迫りくる猪を前に、私は腰を抜かしてしまった。
これじゃあ逃げ切れない。
そんな考えが頭の中を過った時、猪の眼前に、黒い影が1つ舞い降りてきた。
太い尻尾を持ったその人物は、空中で一回転したかと思うと、猪の脳天目掛けて踵落としをぶち込む。
あまりに重い踵落としを受けた猪は、流石に意識を失ったらしく、その場で崩れ落ちてしまった。
その光景を目の当たりにして安堵した私は、未だに収まらない心臓の鼓動を右の掌で感じながら、ゆっくりと立ち上がる。
そうして、茂みから出て、猪を倒した人物に語り掛けた。
「ジェラールさん。ありがとうございました」
「あぁ、気にするな。それより、まだまだ弓の練習が必要みたいだな」
「はい。ジェラールさんみたいに、矢を風魔法に乗せることができれば良いんですけど……」
「それができるようになるには、まだ時間が足りないだろうなぁ。まだ練習をはじめて1か月くらいだろ? だったら、今の上達具合だけでも上等だとおもうぞ」
慰めるように言ったジェラールに、軽くお礼を告げた私は、しばらく前のことを思い出す。
カナルトスでサーペントの襲撃を退けた私たちは、その後、無事にダンジョン内の町に帰ってくることができた。
それから仲間集めを目的に、ウィーニッシュが単独でカーブルストンに向かったのが、約1か月前。
単純にカーブルストンがここからかなり離れた場所だってことは理解してるけど、それにしても帰りが遅い。
仲間集めが順調に進んでいないのか、それとも、何か別のトラブルに巻き込まれているのか。
とても心配だけど、たぶん、彼ならなんとか切り抜けているはず。
心配と楽観がごちゃ混ぜになったような心境のまま日々を送る私は、その気持ちを紛らわすように、こうして狩りに出るようになっていた。
初めは、何か私にできることを少しでもいいから増やしたい。
そんな気持ちで始めた弓矢の練習だったけど、一人じゃ全然上達しないのを見かねたジェラールさんが、実戦での練習を指南してくれた。
「よし、それじゃあ、今日はこのくらいにして帰るぞ」
倒した猪を軽々と肩に担いだジェラールは、舌をチロチロとさせながら私に向けて言う。
リンクした状態の彼にとっては、大きな猪も大した荷物じゃないらしい。
なんてことない表情のまま、町への帰路に向かって歩き出すジェラールの後姿を見た私は、歩き出しながら小さく呟いた。
「リンク……かぁ」
あまり詳しくは知らないけど、バディとリンクすることができたら、ものすごい力を手に入れることができるらしい。
この街には、そのリンクを使いこなせる人物が複数人存在している。
ウィーニッシュやジェラール、それにヴァンデンス。
最近街にやって来たカーズやクリュエルも、かなり強そうに見えるから、もしかしたら使えるのかもしれない。
けど、私には多分、使えない。
そもそも、誰がリンクを使えるのかなんて、明確な基準を知っているわけじゃないけど。
私に使えるような、そんな簡単な技術じゃないと思ってしまう。
だって、私なんて魔法が得意なわけでも無いし、身体能力が良いわけでも無い。
取り柄があるとすれば、多少料理ができるくらい。
こんな私が、彼らと同じようにリンクを使いこなせるわけがないんだ。
「どうかしたの? マーニャ。なんか、さっきから溜息ばっかりだけど」
「ううん。何でもないよデセオ。ちょっと、落ち込んでるだけだから」
「うん。隠せてないね。って言うか、隠す気が無いのかな? これは、早くウィーニッシュに帰ってきてもらう必要があるね」
「っ!? そういうんじゃないから。もう、からかわないでよ」
私の右隣を歩くデセオは、ケラケラと笑いながら私をからかってくる。
そんな彼に少し腹が立った私は、町に戻るまで彼の言葉を無視した。
「ごめんよマーニャ~。からかいすぎちゃっただけなんだ。許してくれよぉ~」
などと許しを請うデセオにそっぽを向いた私は、黙々と歩いて街を目指す。
そうして街にたどり着いた私は、一旦ジェラールと別れ、その足で食堂に向かった。
食堂の入り口から中に入った私は、辺りを見渡すが、今のところ食堂には誰もいない。
仕方がないので、並んでいるテーブルの間を抜けて厨房に向かおうとした時、厨房の方から1人の女性が顔を出した。
「お、マーニャ。今日の訓練は終わったのかい?」
「はい、でも、あまり上手くはできませんでしたけど」
返事をしながら厨房に向かおうとした私を、その女性はなぜか引き留め、近くのテーブルを指さしながら告げる。
「そうかい。まぁ、そんな日もあるさ! 景気付けに、シチューでも食べてお行き」
「ありがとうございます」
お言葉に甘えることにした私は、近くの椅子に腰を下ろすと、深いため息を吐いた。
「マーニャ……なんか、いっつも元気ないよね」
「……」
「特に、ウィーニッシュが町を出てからは、溜息ばっかりだ。何か楽しいことしようよ! そうだ、シチューを食べたらメアリーのところに行って、お茶でもしたらいいんじゃない?」
「……」
「まだ無視する気なのかぁ……だったら、マーニャの想い人が誰なのか、叫びながら走り回ろうかな」
「それは止めて!」
「ははは、冗談だよ。なんなら、既にみんな知ってるし」
「うぅ……」
デセオの言葉を聞いて、私は猛烈な羞恥心を覚えた。
頭を抱えてテーブルに突っ伏す。
と、その時。
誰かが食堂の扉を開けて中へと入って来た。
その人物はすぐに私を見つけたのか、こちらに歩いて来る足音が聞こえる。
「マーニャさん。大丈夫ですか? 体調が悪いのでしょうか」
声を聞いた私は、驚きのあまり身体を勢いよく起こして、右隣に立っているその人物を見上げた。
相変わらず綺麗なドレスを身に纏い、仮面をつけた女性。見間違えるわけがない。メアリーだ。
彼女の肩には、真っ白いキツネが1匹、鎮座している。
そのキツネは彼女のバディのルミーで、非常に人見知りな性格らしい。
最近ようやく、この町に慣れて来たらしく、姿を見せるようになった。
「こんにちは、メアリー様」
上ずりそうな声でそう告げた私は、クスっと笑みを浮かべたメアリーが、隣の椅子に腰を下ろす姿を見つめていたのだった。