第170話 目指すべき世界
ダンジョンから脱出することに成功した俺達は、出来るだけ大穴から離れた場所で焚火を囲んでいた。
とはいえ、適当な場所で体を休めているわけでは無い。
カーブルストンの住民達が、夜になっても比較的安全な岩場を教えてくれたんだ。
大きな二つの岩に挟まれたその場所は、魔物の襲撃を迎撃するのには最適な構造になっている。
岩の上に見張りを立てておけば、早めに襲撃を察知することができるとのことで、昔からカーブルストンの住民達はこの場所を重宝していたらしい。
おかげで、張りつめていた心の糸を緩めることができた俺は、申し訳程度に敷かれた布の上に寝転がり、夜空を見上げている。
漆黒の空に点在する小さな星々。
それらを眺めていた俺の脳裏に、思い出したくない光景が過った。
ダンジョンで現れたケルベロスが、俺を丸呑みにしようとした光景だ。
俺のことを足先から飲み込もうとするケルベロスの口の中は、今俺が眺めている夜空と同じように、漆黒だったんだ。
それは、地獄で俺を飲み込んだ閻魔大王も同じ。
閻魔大王に飲み込まれた俺は、漆黒の中を漂って、この世界に生を受けた。
「考えすぎ……だよな」
「何を呟いてるの?」
小さく呟いた俺の声を聞いたのだろう、俺の腹の上で大の字になっているシエルが問いかけてくる。
そんな彼女を見た俺は、もう1つ、嫌なことを思い出した。
捕食。
人がバディを捕食することで、一生リンク状態を保つことができる。というもの。
アンナによると、とある条件を満たした時しかできないらしいが、確かに存在する事象らしい。
当然ながら、それを知った俺とシエルには、思い当たる節がありすぎる。
それはモノポリーの面々だ。
今でこそ、メアリーやアーゼンにはバディが居るが、前回の人生で会った時、2人には既にバディが居ないようだった。
そして、今回の人生でも、俺はクリュエルやゲイリーのバディを目にしたことが無い。
一応、バーバリウスと同じように、バディの姿を隠しているだけの可能性もあるけど……。
真実を知るためには、直接聞くしかない。
そう心の中で決心した俺は、ふと思い至った。
似ていないだろうか。
閻魔大王に丸呑みされて、俺がこの世界に来た事。
ケルベロスが俺を丸呑みにしようとしたこと。
人がバディを丸呑みにすること。
これらの事柄に、明確な因果関係は無い。
だけど、妙な繋がりを感じた俺は、いてもたってもいられず、上半身を起こした。
「ちょ!」
当然、俺の腹の上で寝転がっていたシエルが、ころころと転がって地面に落下する。
「あ、すまん」
俺は咄嗟に謝罪するが、顔から地面に落ちたシエルの怒りが収まる訳はない。
「ちょっと! 何するのよ! ぶぇ! 口の中に砂が入ったじゃない!」
「ホントにすまん。ちょっと、考え事してたから、シエルが居ることを忘れてた」
「ったく、しょうがないわね。で? 何を考えてたのよ。お詫びと思って、隠さずに話しなさいよ」
怒りの形相で問い詰めて来るシエルに、俺は言葉を詰まらせた。
なんて言えば良いんだろう。
全てをありのままに話すためには、地獄のことを話すしかない。
でも、こんな話を聞かされて、シエルが信じてくれるのか。
そんな躊躇いに、俺が口を開けずにいたその時。
焚火を挟んで反対側にいたアーゼンが、突然声を張り上げる。
「てめぇ! 何言ってやがんだ!? ふざけてんのか!?」
「はぁ……ふざけてるように思うわけ? って言うか、いちいち大声張り上げないでくれる?」
どうやら、またアンナとのいざこざが始まったらしい。
周囲にいるカーブルストンの住民達が、なぜかこちらに視線を向けて来るのに気づき、俺はため息を吐いた。
まぁ、確かに。2人の仲介ができるのは、この場で俺だけだ。
仕方なしとばかりにシエルと目配せをした俺は、同じく溜息をついて頷くシエルの許可を得て、ゆっくりと立ち上がる。
そうして、言い争いをしている2人の元に歩み寄った。
「おい、2人とも落ち着けって。今度は何で口喧嘩してるんだ?」
「別に、私はこいつと喧嘩してるつもりは無いんだけど」
「この……てめぇがふざけたことを言ったんじゃねぇか!」
岩にもたれかかり、腕組みをしたままそっぽを向くアンナに、今にも殴りかかりそうなアーゼン。
取り敢えず、2人の間に割って入った俺は、ジップラインを使って、アーゼンの動きを封じた。
有無を言わさずに地面に座らせられたアーゼンは、状況を理解できないというように、周囲を見渡している。
「で、何を言ったんだ? アンナ」
「ここにいる全員、一旦王都まで来てもらうって言ったの。カーブルストンが壊滅して、ダンジョンが発生したことを報告しなくちゃだし、それに、皆家を無くしてるでしょ?」
「ふざけんじゃねぇ! 誰が国の世話になるってんだ!」
淡々と告げるアンナの言葉を聞いたアーゼンが、大声を上げる。
正直な話をすれば、俺はアンナの提案は至極まっとうだと思う。
魔法騎士として国に仕えている彼女が出す提案としては、おかしな話じゃない。
けど、今の俺が王都に行くわけにはいかないのも、また事実だ。
「なるほどな。でも、俺も王都に行くつもりは無いぞ。王都で見つかれば、その場ですぐに捕まりそうだし」
「それは私が保証するわ。それに、私も今の状況には納得してないもの。だからこそ、王都に行くのよ。そして、あなた自身の口から、カナルトスで起きた事を説明しなさい」
「は?」
真面目な顔で告げるアンナに、俺は思わず声を漏らしてしまった。
彼女は本気でそれが上手くいくと思っているのだろうか。
ハウンズがゼネヒットをはじめとした多くの街で、多大なる影響力を持っている影に、国が関与していることを知らないのか。
まぁ、俺も証拠なんて持ち合わせていないし、状況から考えた推測でしか無いわけだが。
少なくとも、一部の貴族が関わっていることは、メアリーの一件から考えても間違いないはずだ。
「こそこそと逃げ回ったりしてたら、いつまでたっても誤解は解けないわよ? それよりも、国民のために魔法騎士として国を守った方が良いわ。少なくとも私は、ウィーニッシュにはその素質があると思う」
茫然とする俺に、アンナはそんな言葉を投げかけてきた。
彼女のその提案は、きっと正しいんだろう。
国の魔法騎士に所属して、法の下に人々を守る。
それが上手く機能すれば、文句のつけようもないほどに、正しい。
けど、機能してるのか?
そんな疑問が、沸々と煮えるような怒りと共に、腹の底から沸き上がってくる。
噴き出しそうな怒りを必死に抑えながら、俺は眼前のアンナに告げた。
「魔法騎士ね……で、アンナは魔法騎士になって、全ての国民を救えたのか?」
「っ!?」
俺の言葉を聞いた瞬間、アンナは目を見開いて絶句した。
その目には、怒りとも悲しみともとれるような、不思議な光が宿っている。
そんな彼女の顔を見つめながら、俺は後悔していた。
どの口が、そんな偉そうに物を語っているのだろうか。
今の俺は、全ての人を救うことができているのだろうか。
アルマもヴィヴィも、前回の人生で生活を共にした仲間たちも。
誰一人救い出すことができていない。
挙句の果てには、自分の欲を満たすように、母さんやマーニャだけは助け出している。
俺は、都合の良い人間だ。
自らの言葉で、見たくない現実に気が付いた俺は、頭をぶんぶんと振って、嫌な考えを振り払った。
落ち込んでいる場合じゃない。
俺は別に、アルマもヴィヴィも、他の仲間たちも、奴隷になってしまっている人々のことも。
諦めたわけじゃないんだ。
準備は着々と進めている。
時が来れば、必ず全員を助け出す。
そう決めたからこそ、こうして俺は、こんな辺境まで来て仲間を集めているんだ。
失敗は許されない。そして、そもそも俺達がやりたいのは、ゼネヒットにいる人々を救い出すことじゃない。
改めて頭の中を整理した俺は、絶句したままのアンナとアーゼンを見比べると、ゆっくりと口を開いた。
「俺には、救いたい人が沢山いるんだ。それはもちろん、ゼネヒットにいる仲間だったり、不遇な扱いを受けている人だったり。色々いる。でも、多分、俺が救える人には限界があって、救えない人も沢山いる。だから……」
そこで言葉を区切った俺は、改めて2人に視線を合わせると、力を込めて告げる。
「俺達が目指すべきなのは、作るべきなのは、誰かが誰かを救う世界じゃない。それが上手くいくのは、あくまでもおとぎ話の世界だけだ。虐げられて苦しめられている人が声を上げることができて、皆が皆を助けることができる世界。それが、目指すべき世界なんだと、俺は思う」
一息に告げた俺は、大きく息を吸い込むと、再び口を開く。
「そのためには、今の世界をぶち壊す必要がある。作り直す必要がある。掃き溜めのようなこの世界に、埋もれてしまってるものを拾い上げるために」
俺の言葉を聞いたアンナとアーゼンは、それっきり口を開かなかった。
周囲で様子を伺っていたカーブルストンの住民達も、黙り込んだまま床に就く。
そんな沈黙に包まれたまま、俺達は全員眠りについた。
夜が明け、岩の間から差し込む朝日に照らされて目を覚まし、支度を済ませた俺達は、砂漠を歩いて近くの街を目指す。
ジリジリと照り付ける太陽の陽射しと、背中を押す乾いた風だけが、歩く俺達の心を騒がせる。
そうして、街にたどり着いた俺達はアンナと別れ、残ったメンバーでゼネヒットに向けて出発したのだった。