第168話 細長い足跡
ウィーニッシュとアンナがケルベロスと戦闘を開始した頃。
俺―――アーゼンは増え続けるワイルドウルフと、その元凶であるオルトロスとの攻防を繰り広げていた。
群れで飛び掛かって来るワイルドウルフを、ガントレットで次々と殴り飛ばしながら、例の笛を取り出す。
そんな俺の死角から襲い来るワイルドウルフは、ロウの強烈な蹴りによって、壁まで吹き飛ばされた。
互いに互いを守るように戦いを続けながら、笛を吹く機会を伺う。
しかし、オルトロスは笛を吹かせる余裕は与えてくれない。
次から次に新たなワイルドウルフを生み出しては、俺達にけしかけている。
ウィーニッシュやアンナの方には手を出さないところを見ると、よっぽどこの笛を警戒しているのか、ケルベロスへの加勢が必要ないと考えているのか。
どちらにしろ、どちらにしても、あまり芳しい状況じゃない。
時が経つにつれて増えてゆく敵の姿を見渡した俺は、愚痴を吐き捨てた。
「この駄犬製造機が! キリがねぇぞ! くそ、小僧たちはどうなってる!」
「戦えるならいいじゃないか! ほら! もっとかかって来いよ!」
相変わらず血気盛んなロウは、俺の言葉など耳に入っていないかのように、襲い来るワイルドウルフを蹴り飛ばし続けている。
その様子を視界の端で確認した俺は、握りしめている笛に視線を落としながら、考えた。
『このままじゃ本当にキリがねぇ。かといって、笛を吹く余裕もねぇ。面倒くせぇな』
襲い掛かろうとしてくるワイルドウルフに注意を向け続けるのも、迎撃するのも、体力の限界が来てしまえばおしまいだ。
俺の体力が尽きるのが先か、小僧と魔法騎士の女がケルベロスにやられるのが先か。
どちらにしても、時間の問題であることに間違いはない。
『何か、決定的な打開策が必要だな……』
そう考えた俺は、改めてオルトロスを睨みつけると、ロウに聞こえるように告げた。
「なぁロウ。面倒な状況をぶっ壊したいとき、おめぇならどうするよ!」
俺の言葉を聞いたロウは、その強靭な尾と足で周辺のワイルドウルフを弾き飛ばしたかと思うと、楽しそうな声で返答した。
「そりゃ、元凶をぶっ潰すに決まってるだろ!」
「だよなぁ!」
ロウの返事を聞いた俺は、手にしていた笛を一旦懐にしまい込むと、拳を握りこんで身構えた。
そうして、全速力でオルトロスへと突進する。
当然、そんな俺を放っておくわけもなく、ほぼ全てのワイルドウルフが襲い掛かって来た。
鋭い牙や爪が、腕や脚を切り裂き、赤い鮮血が飛び散る。
全身に染み渡る痛みを、完全に無視した俺は、まとわりつくワイルドウルフもろともオルトロスに突っ込んだ。
まさか捨て身で攻撃に転じるとは思っていなかったのか、オルトロスは若干驚きながらも、難なく俺のタックルを躱して見せた。
身軽な奴だ。
攻撃をかわされたことで足を止めた俺は、体中に纏わりついているワイルドウルフを壁や地面に打ち付けて払いのけると、もう一度身構えた。
そうして、躊躇することなくオルトロスへと突っ込んでゆく。
「気でも狂ったか!?」
再度突進を試みる俺を見たオルトロスが、そんなことを叫ぶ。
突っ込む俺の様子を伺い、今にも身を翻して逃げ出そうとしているオルトロスは、直後、俺の背後を見て目を見開いた。
そんなオルトロスの様子を無視した俺は、そのまま躊躇することなくかける。
刹那。
俺の左右を、大きな黒い影が飛んで行き、オルトロスの逃げ場を奪うように着弾する。
黒い影の正体は、直径2メートルはありそうな岩だ。
多分、竜巻によって削られた天井から落ちて来た岩の内の2つだろう。
それらの岩の表面には、それぞれ1つずつ、見覚えのある足跡が刻まれている。
細長い、カンガルーの足跡。
それだけ分かれば充分だ。
ニヤリと笑みを浮かべた俺は、逃げ場を失ってしまったオルトロスに目掛けてタックルをぶちかました。
咄嗟に牙や爪で応戦しようとしたらしいオルトロスの双頭を、左肩で受けた俺は、全体重と助走の勢いに任せて押しのける。
その勢いのまま、壁まで追いつめた俺は、容赦などすることなくオルトロスを壁に打ち付けた。
ドンッという鈍い音が響く。
その直後、ものすごい轟音と共に暴風エリア全体に猛烈な閃光が充満した。
突然のことで理解できなかった俺は、白んだ視界の中に伸びたまま動かないオルトロスを見つけ、笑みを浮かべる。
ようやく視界が元に戻り、周囲を見渡した俺は、ケルベロスと対峙したまま硬直しているウィーニッシュとアンナを見つける。
「ったく、何してやがるんだ」
そう呟いた俺は、未だにワイルドウルフと戦闘を続けるロウを見やりながら、懐にしまった笛を取り出す。
そして、間髪入れずに笛を吹いた。
相変わらず心地の良い音色を響かせる笛の音は、当然エリア全体に響き渡り、例の如くケルベロスを眠りへと誘う。
ロウに襲い掛かっていたワイルドウルフ達も大人しくなり、俺達に敵対する気配は全て消え去った。
これで終わりだ。
安堵したように俺の方に目を向けて来るウィーニッシュとアンナを見て、思わず胸を張って見せた俺は、2人の元に歩み寄る。
「てめぇら、やっぱり俺がいねぇとなにも出来ねぇのか?」
「うるさいわね。そんなに言うなら、今度はあんたがこの化け物の相手をしなさいよ」
「2人ともやめろって。それより、今は急いで逃げるぞ。今の内なら、さっきアーゼンが降りて来た穴に全員運べる。あの辺なら、雷も発生しないみたいだし。安全だ」
例の如く、俺とアンナの喧嘩を止めたウィーニッシュが、壁に空いた穴を指さして提案した。
そんな彼の指示に乗った俺達が、エリアの片隅で事の成り行きを見守っていた人々を連れて穴へ登ろうとしていた時。
腹に響くような遠吠えが、鳴り響いた。
咄嗟に声の方に目をやった俺は、気を失っていたはずのオルトロスが立ち上がっていることに気が付く。
「あの野郎、まだ起きてやがったか」
ウィーニッシュの作った即席の階段を上りながら、俺がそう呟いた直後、先に階段を上っていたアンナが呟く。
「うそでしょ、今ので起きたわよ!」
彼女の指摘通り、遠吠えを聞いたケルベロスが目を覚まし、身体をブルブルと震わせている。
大人しくなっていたはずのワイルドウルフも、まるで正気を取り戻したかのように唸り声をあげて、俺達の方を見上げだす。
轟々と鳴り響く風の音が、その場にいた全員の沈黙を一瞬だけ彩った。
直後、階段を上る列の最後尾にいたウィーニッシュが、大声で叫ぶ。
「走れ! 急いで穴に入るんだ!」
言われるがまま、俺達は全員、壁に空いた穴へと駆け込んだのだった。