第167話 余裕綽々
俺の言葉を聞いて憤慨するアンナとアーゼン。
そんな二人を見て苦笑いをした俺は、気を取り直してケルベロスとオルトロスを睨みつけた。
エリアに轟く暴風の音を聞きながら、このまま硬直状態が延々と続くのかと考えた矢先、オルトロスが動き出す。
すぐに右手を構えてオルトロスに狙いを定めた俺は、目の前で起きた異変に、唖然とする。
オルトロスの身体から、何か液体のようなものが発生したのだ。
その灰色の液体は、少しずつ形を整えたかと思うと、ワイルドウルフの姿へと変貌を遂げてゆく。
「はっ!?」
既に、オルトロスの周囲には7頭のワイルドウルフが控えていたが、今ので8頭目だ。
ワイルドウルフ単体なら、それほど脅威ではないが、数を揃えられてしまうと厄介極まりない。
「あいつが元凶だったのか……」
隣に立つアーゼンも、忌々し気にオルトロスを睨みながら、そう呟いている。
「兄よ、こうなってしまえば我も加勢させていただく。よろしいな」
「呪われし者は我の獲物だ。それ以外なら好きにするが良い」
オルトロスの提案を話し半分で聞いたらしいケルベロスはそのまま俺の方へと一歩を踏み出してきた。
その一歩が、まるで戦闘開始の合図だったかのように、状況が目まぐるしく動き出す。
「アーゼン! あなたはオルトロスの方を捌きなさい! ウィーニッシュと私でケルベロスを何とかするわよ!」
「指図すんじゃねぇ! 最初からそのつもりだ!」
アンナがそう叫んだのを耳にしながら、俺はケルベロス目掛けて走りだす。
対するケルベロスはゆっくりと歩を進めながら、悠然と俺の姿を眺めていた。
「余裕かよ!」
走りながら両手を広げた俺は、急いで描いたジップラインを発動しながら叫んだ。
両手から伸ばされた10本のラインは、まっすぐ地面の岩に沈み込み、ケルベロスの足元から飛び出す。
例の如く、そのラインに引っ張られるように飛び出した岩の槍が、そのままケルベロスの身体を貫くかと思われたが。
岩の槍がその巨体を貫くことはできなかった。
槍の先端がケルベロスの身体に触れる直前。
なぜか、ジップラインの軌道が急激にねじれ、あろうことか俺の方へと伸びて来たのだ。
「おわっ!?」
一斉に伸びて来る槍を、ポイントジップを駆使して避けきった俺は、まっすぐに伸びている槍の上を走ることで、ケルベロスへの接近を図る。
そんな俺を迎え撃とうと、ケルベロスが大勢を低くして構えた時。
その瞬間を待っていたかのように、ケルベロスの真横からアンナが突進をぶちかました。
手にしている剣を右から左に薙いで、ケルベロスの身体を切りつける。
が、攻撃を受けたはずのケルベロスは、全くダメージを受けた素振りを見せない。
「かたっ!」
ダメージを与えられなかったと分かるや否や、すぐさま後ろに飛び退いたアンナが、そんなことを呟く。
そんな彼女と入れ替わるように、俺はケルベロスの懐に入り込むことに成功した。
腹の下に潜り込もうとする俺を、両手で防ごうとするケルベロス。
その剛腕による攻撃を、なんとかギリギリ躱した俺は、ケルベロスの腹の下に滑り込むと同時に、両掌に意識を集中させた。
途端、突き合わせた掌の間に、バチバチという音を立てながら小さな雷が無数に発生する。
「これでも喰らえ!」
足裏に発生させたポイントジップで、勢いよく跳び上がった俺は、ケルベロスの腹めがけて両掌を押し当てる。
直後、バリバリという音が、周囲に響き渡った。
「よしっ!」
会心の一撃を与えることができた。と思った俺が、思わず言葉を漏らした時。
シエルが叫び声を上げる。
「ニッシュ! 尻尾!」
『尻尾? 何のことだ?』
ふと抱いたそんな疑問の正体を、俺はすぐに理解することになる。
突然、腹回りに妙な圧迫感を覚えたのだ。
すぐさま自分の腹回りに目をやった俺は、何やら細長い尻尾のようなものに巻き付かれていることに気づく。
が、気づくのが遅かった。
その尻尾は猛烈な強さで俺の身体を引っ張ったかと思うと、その勢いのまま宙に放り出したのだ。
あまりにすさまじい速度で動く視界に、状況を飲み込めなかった俺は、とてつもない衝撃と共に壁に打ち付けられる。
「がはっ!」
全身を駆け巡る痛みに悶えた俺は、しかし、まだ体を動かすことは出来た。
推測だが、壁に衝突する直前に、シエルが壁に向かって風魔法を放ったらしい。
そのおかげで、かなり衝撃を緩和できたみたいだ。
「ニッシュ、しっかりして! 来るわよ!」
「くそっ!」
シエルの言葉に顔を上げた俺は、猛スピードで迫りくるケルベロスの3つの口を目にして、がむしゃらに体を動かした。
背後にあった壁に右手のポイントジップを打ち付け、その反動で大きく左手の方に跳んだ俺は、飛びながら描いたラインに乗って着地する。
そんな俺を追いかけて来るケルベロスの前に、アンナが立ちはだかる。
手にしている剣を右に突き出した状態の彼女は、俺の方を振り返ることなく、叫んだ。
「ウィーニッシュ! さっきの雷魔法を、私の剣に向かって放って! 速く!」
言われるがままに両手に雷を発生させた俺は、ふらつく足を酷使して彼女に駆け寄ると、その件に雷魔法をぶつけた。
バリバリという音と共に、俺の放った雷は彼女の剣に吸い込まれてゆく。
一瞬、アンナが小さく唸ったように聞こえたが、そんなことを気にしている余裕はない。
すぐ眼前まで迫るケルベロスを、突きの構えで迎えたアンナは、繰り出される剛腕を掻い潜るように跳躍した。
そして、真ん中の頭の眉間に向けて、突きを放つ。
途端、ダンジョン全体に轟くような爆音とともに、猛烈な閃光が炸裂した。
想像以上の威力に驚いた俺は、思わず身を屈めながら腕で顔を覆ってしまう。
これだけの威力の攻撃を食らえば、流石のケルベロスも動けないだろう。
そう考えた俺は、自身の認識の甘さを知ることになる。
それはアンナも同じだったようで、片膝をついた体勢を息を荒げながら呟いていた。
「嘘でしょ……まだ立ってられるの?」
先ほどの雷を纏った突きを受けたケルベロスは、少しだけ後ずさりしてよろけたものの、しっかりと四肢で体を支えている。
おまけに、身体をぶるぶると震わせた後、首元を掻くという余裕まで見せた。
そんなケルベロスは、俺とアンナを見比べると、その低い声を轟かせる。
「中々効いたぞ。人間にしては、やるようだ」
余裕綽々な様子のケルベロスを前に、俺も呟くことしかできないのだった。
「どんな身体してるんだよ」