第166話 似た者同士
地獄へ落としてくれようぞ。
その文言を聞いた俺は、先ほどまでに感じていた恐怖とは比べ物にならない、恐れを抱いた。
間違いない。
ケルベロスの言う地獄とは、十中八九、“あの地獄”のことだ。
そして、“その地獄”に落とされるということが、何を意味するのか、俺は良く知っている。
俺が、俺として生きていく機会を、未来永劫奪われる。ということだ。
そんなことを意識するだけで、俺の身体は緊張の糸に縛られたように、硬直してしまう。
宣言するということは、ケルベロスは確実に俺を地獄に落とす方法を知っているはず。
その方法が分からない以上、迂闊に近づく事は避けるべきだろう。
とはいえ、前も後ろも敵に囲まれている状況で、簡単に逃げ出すのは難しく思える。
「ニッシュ、大丈夫? なんか、様子が変だけど」
頭の上のシエルが、心配そうに問いかけて来る。
そんな彼女を安心させるべく、愛想笑いを浮かべた俺は、眼前のケルベロスに声を掛けた。
「なぁ、できれば俺は、まだ地獄に落ちたくはないんだけど、そこんところ、考慮してくれない?」
「問答無用」
「融通利かないな。まぁ、なんとなく分かってたけど。ちなみに、どうやって俺の事見つけたんだ?」
「見つけた? それは違う。汝が我らの元を訪れたのだ。訪れた以上、地上に返すわけにはいかない」
そこまで告げたケルベロスは、唸り声を上げ始めた。
咄嗟に身構えた俺は、ケルベロスの動きを伺いながら、考える。
『俺がこいつの元に訪れた? 単純に考えれば、ダンジョンに入ったってことか? いや、というより、ダンジョンの最下層に訪れたって感じか?』
考えながら、俺は早坂明だった頃の記憶を思い出す。
それは、ケルベロスとオルトロスについて。
あまり詳細は知らないが、たしかケルベロスは地獄を訪れる者は素通りさせるけど、出て行こうとする者は全力で阻止しようとするんだったっけ?
それと、何かの楽器で眠らせたことで、逃げ出すことに成功した奴がいたとかいないとか。
さっきアーゼンの吹いた笛でケルベロスが眠ったのと、何か関係あるのかもしれないな。
オルトロスについては、全然知らない。名前くらいは聞いたことある気がするけど……。
多分、ケルベロスの兄弟なんだろう。
余計なことにまで思考を回していた俺は、眼前で動きを見せたケルベロスに、一瞬反応できなかった。
咄嗟に背後に飛び退こうとした俺の左半身に、ケルベロスの右手が迫りくる。
その衝撃に備えようと、俺が歯を食いしばった直後、頭の上のシエルが叫んだ。
「呆けすぎ! 何考えてんのよ!」
彼女の叫び声が響くや否や、シエルは強烈な風魔法でケルベロスの腕を弾き返してしまった。
とはいえ、俺達もその反動を受けてしまうのは当然だ。
放たれた風魔法の反動で、大きく右に体勢を崩した俺は、そのまま地面を転がった。
転がりながら嫌な予感を覚えた俺は、両の掌にポイントジップを作り出すと、がむしゃらに地面に叩きつける。
ドンッというポイントジップの鈍い衝撃によって、宙に飛び上がった俺は、回る視界の中でラインを描く。
描いたラインに向けて両手を伸ばした俺は、何とか左手をラインに重ね、ジップラインを発動した。
強引に発動したせいか、左手をラインに引っ張られた衝撃で、全身が大きく揺れる。
それでも頭の上にしがみ付いているシエルを確認した俺は、右手でケルベロスに狙いを定めた。
ラインに乗って後ろ向きに移動しながら、狙いを定め、今にも雷魔法を放とうとした途端。
頭の上のシエルが叫び声を上げる。
「ニッシュ! 後ろ! 後ろ!」
「どうした……!?」
咄嗟に背後に目をやった俺は、ラインの進行方向にある巨大な竜巻に気が付く。
がむしゃらに描いたとはいえ、流石に竜巻は避けたはずなんだが。
微妙な違和感を覚えた俺は、すぐにジップラインを解除して新たにラインを描いた。
そして、新しいラインに沿って移動しようとした時。
描いたはずのラインが竜巻の元へと吸い込まれてゆくのを目の当たりにする。
「そういうことか!」
状況を理解した俺が、急いでジップラインを解除しようとしたその時。
いつの間にか迫っていたケルベロスが、俺目掛けて大口を開けて飛び掛かってきていた。
真下から迫りくる3つの大きな口。
そんな光景を足の下に見た俺は、ふと、嫌な記憶を思い出す。
それは、地獄での記憶。
俺が地獄からこの世界に移されるとき、いつも閻魔大王は、俺のことを丸呑みにしていた。
似ている。
そのことに気が付いた俺が、強烈な焦りを覚えた瞬間。
とてつもない衝撃音と共に、何か大きな黒い物体が、視界の端から飛んできた。
その大きな黒い物体は、偶然にもケルベロスの横っ腹に衝突し、そのまま横へと吹き飛ばしてしまう。
おかげで、そのまま真下に着地出来た俺は、吹き飛ばされたケルベロスを見た後、黒い物体が飛んできた方へと目を向けた。
視界に入ったのは、1つの大きな穴。
その穴は、確かに先ほどまでは存在していなかったはずで、恐らく、何らかの力によって壁が吹き飛ばされたんだろう。
それを証明するように、穴の縁は荒く崩れている。
多分、ケルベロスを吹き飛ばしたのは、その穴を埋めていたはずの壁だ。
そこまで理解した俺は、壁に空いた穴から姿を現した人物を見て、思わず声を上げた。
「アーゼン!」
「ん? なんだ? ここは」
状況を理解できていないらしいアーゼンは、穴からこちらを見下ろしたかと思うと、ニヤリと笑みを浮かべた。
「はっ! これで貸しが増えたな。ちゃんと返してもらうぞ、小僧」
「本当に助かった! 無事でよかったよ、アーゼン」
「当たり前だろ? 俺を誰だと思ってるんだ!? 馬鹿にしてんのか!?」
そう言ったアーゼンは右手のガントレットで壁を削りながら、暴風エリアへと降りて来る。
ロウも彼の後を追うように、暴風エリアへと飛び降りて来た。
アーゼン達が俺の元へと歩み寄って来るのを確認した俺は、改めてケルベロスの方へと向き直る。
岩に横腹を受けたケルベロスは、しかし、それほどダメージを受けた様子を見せることなく、立ち上がっていた。
「兄よ、無事か?」
「無論。大事無い。虫が1匹増えただけだ」
身体をぶるぶると震わせたケルベロスが、俺とアーゼンを睨みつける。
ケルベロスとオルトロス。
俺とアーゼン。
両者がにらみ合い、エリア内の暴風がより一層荒れ始めたかに思えた時。
ケルベロスの左の頭が、不意に左の方へと顔を向けた。
思わずそちらに目を向けた俺は、不機嫌そうな表情のアンナを見つける。
「まさかと思うけど、あなた達、私のことを忘れてないわよね?」
そう言ったアンナは、腰の剣を抜き取ると、身体の前に掲げ、手をかざしだした。
途端、彼女を包むような風のベールが発生した。
「なっ!? 風魔法?」
使えるとは思っていなかった俺がそんな声を上げると、アンナは得意げに言った。
「私の事なんだと思ってるの? 魔法騎士なんだから、使えて当然でしょ? 馬鹿にしてるの?」
彼女の言葉を聞いた俺は、なんとなくアーゼンの言った言葉と似ている気がして、思わず呟いたのだった。
「なんだかんだ言って、2人とも結構似た者同士だよな」
「似てねぇよ!」
「似てないわよ!」