第163話 双頭のあいつ
アンナが氷魔法で道を確保し、全員でゆっくりと前進する。
先頭には俺とアンナ、最後尾にはアーゼンがいて、17人の住民達を守りながらの前進だ。
特に、戦うことができない数人の子供や女性を最優先に守れるように、列の真ん中に配置している。
そうして、ゆっくりではあるものの確実に歩を進めていた俺達は、残り数メートルで次の横穴というところまでたどり着いていた。
溶岩の熱気でダラダラと溢れ出す汗を何度も拭いながら、俺は周囲を警戒する。
「おい! まだ道は出来ねぇのか!?」
「今やってるところよ! ちょっと待って!」
「早くしやがれ!」
最後尾から急かしてくるアーゼンに、声を荒げて応えるアンナ。
そんな2人の様子に苛立ちを覚えそうになった俺は、気を取り直すために深呼吸をした。
そもそも、この作戦は魔法を使用するアンナに負担が偏ってしまっている。
ただでさえ熱気のせいで体力を奪われる環境下で、何度も魔法を連発し続けるのは、単純に疲れるだろう。
それに加え、アーゼンから急かされてしまっては、彼女のメンタルがダメージを受けてもおかしくはない。
そのためにわざわざ2人を引き離したんだけど……この程度の距離じゃあ、あまり意味はなかったみたいだ。
「よし、出来たわよ! みんな進んで!」
そこでようやく、アンナが横穴まで続く道を完成させた。
彼女の号令に従うように、全員が足を速めて横穴へと向かい始める。
当然ながら、俺も皆と一緒に横穴へと向かったのだが、その途中、不穏な音を耳にして立ち止まった。
そして、音のした背後へと振り返る。
同じように、その音を耳にしたらしいアーゼンも、俺と同じ方向へと目を向けている。
「おいおい、嘘だろ!?」
流石のアーゼンもその光景に驚いたのか、そんな声を上げた。
それもそのはずだ。
さっきまで俺達がいたこのエリアの入り口に、大量のワイルドウルフが姿を現したのだ。
その中に一頭、ひときわ目を引く個体が存在する。
大きさは先ほどのケルベロスより二回りほど小さいそいつは、しかし、普通のワイルドウルフではなかった。
頭が2つあるのだ。
しかも、尻尾と思われるそれは、まるで生きている蛇のように、俺達の方を睨んできている。
その姿を目にした瞬間、俺は直感的に叫んでいた。
「逃げろ! 全員走れ!」
俺の号令が合図になったかのように、横穴に急いでいた全員が走り出す。
同時に、灼熱エリアの入り口で佇んでいたワイルドウルフたちも、一斉に駆け出し始めた。
咄嗟に踵を返して走り出そうとした俺だったが、しかし、視界の端で微動だにしない男の姿を見て、思わず足を止めた。
「おい! アーゼン! 何してるんだ! 走れ!」
「走ってどうなる! 逃げてどうなる! この先の道は一本道だろうが! 奴らをここで食い止めねぇと、どのみち命はねぇぞ!」
「あの数を見ろよ! 勝てるわけないだろ!」
なんとか説得しようと試みる俺だったが、依然としてアーゼンは一歩も動かなかった。
そんな彼の代わりだろうか、アーゼンの隣でシャドーボクシングをしているロウが、俺の方を振り返って告げる。
「戦う気が無いなら先に逃げてな、坊主」
そうして、正面に向き直ったロウは、アーゼンと並び立ち、迫りくるワイルドウルフを迎え撃つ。
「ウィーニッシュ! 何してるの! 早く!」
背後から呼びかけて来るアンナの声を耳にした俺は、一瞬躊躇した。
横穴に逃げ込んだアンナ達の元へと向かうべきか、アーゼンと共にワイルドウルフを迎え撃つべきか。
魔法を使えない俺が、大量にいるワイルドウルフと戦えるのか。
このまま逃げたとして、アーゼンだけでワイルドウルフを食い止めることができるのか。
俺の選択によっては、事態が大きく変わるかもしれない。
だからこそ、俺の中に迷いが生じる。
そんな俺の迷いを知ってか知らずか、真っ先に動いたのはアーゼンだった。
「舐めてんじゃねぇぞ!」
そう叫んだ彼は、両の拳を頭上に勢い良く振り上げたかと思うと、全力で振り下ろし、足元へと打ち付けた。
直後、アンナが作った岩の道に、無数のヒビが入る。
その道の上を駆けていた複数のワイルドウルフは、足元の道が崩れ始めたことによって、バランスを崩して溶岩の中へと落下した。
しかし、当然ながら俺やアーゼンが立っているのも同じ道の上である。
バキバキと音を立てながら俺の方へと近づいて来る無数のヒビを見て、俺は踵を返して走り出す。
アーゼンとロウがどうなってしまったのか、確認している余裕はなかった。
道が崩れる音がすぐ背後まで迫り、崩れた岩によって飛び跳ねた溶岩の雫が、俺の服を焦がしてゆく。
少しずつ足場が弱くなってきていることを感じた俺は、これ以上踏み込めなくなる前に、思い切り前に跳躍した。
直後、ドポンッという音と共に、さっきまであった岩の道が、完全に溶岩の中に沈んで行ってしまう。
「届けぇ!」
みるみる近づいて来る横穴の入り口と、そのすぐ下にある溶岩。
落下地点を予測した俺は、ギリギリ横穴に届かなそうだと悟り、一瞬諦めを抱きかけた。
このまま溶岩に落ちて死ぬのか。
そんな思考が頭の中を駆け出そうとした時、何かが俺の右肩を掴む。
そのおかげだろうか、若干ではあるが、全身が少しだけ浮くような感覚を覚えた俺は、そのまま横穴へと転がり込むことに成功した。
ゴロゴロと岩肌の上を転がり、勢いを殺した俺は、すぐに傍にいたクレモンに目を向ける。
「ギリギリでしたな」
広げていた翼を折りたたみ、短く呟いたクレモンに、俺は礼を言う。
「クレモン。本当にありがとう。……本気で死ぬかと思った」
「いえいえ、ウィーニッシュがまだ子供だったから助けられたようなものですぞ」
得意げにしながらも、軽い口調で言ってのけるクレモン。
そんな彼の言葉を聞いたシエルが、俺の頭の上で安堵のため息を吐きながら言う。
「ニッシュは小柄だからね。それより、アーゼン達はどうなったの!?」
彼女の言葉を受けて、すぐに灼熱エリアに目を向けた俺だったが、既にアーゼンとロウの姿は見えなかった。
「まさか……」
最悪の想像をする俺だったが、すぐにアンナに否定される。
「安心していいわよ。彼なら別の横穴に向かって跳んで行ったわ」
「跳んで?」
アンナの言葉の意味を理解できなかった俺は、率直に疑問をぶつける。
すると、彼女はヤレヤレと肩を竦めながら教えてくれた。
「ロウがアーゼンを蹴り飛ばしたのよ。ほら、あっちに見える横穴まで。その後、ロウ自身もその穴に向かって跳んでたわ。ったく、どんな脚力してるのよアイツのバディは。無茶しすぎなのよ。心配して損したわ」
アンナの話を聞いた俺は、改めて灼熱エリアの中を見渡した。
追いかけてきていたはずのワイルドウルフの姿は見えない。
もちろん、双頭のあいつもだ。
アーゼンとはぐれてしまったものの、取り敢えずの危機は脱することができたと言っても良いだろう。
そう考えた俺は、ふと抱いた感想をアンナに告げる。
「って言うか、なんだかんだ言ってアーゼンの事心配したんだな」
俺の言葉を聞いたアンナは、目を見開いたかと思うと、声を荒げる。
「なぁっ!? そ、そんなことないわよ! あー、もう! 雑談はおしまい! 早く進むわよ!」
言いながら俺から顔を背けるように横穴の奥に向き直った彼女は、ズンズンと歩き始めたのだった。