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第160話 俺のバディ

 人を丸呑みしてしまうほど巨大な犬が、唸り声を上げながら駆け寄ってくる。


 その姿に恐怖を覚えない者は居ないだろう。


 当然、俺も例に漏れることなく、全身で恐怖を感じていた。


「ニッシュ! 逃げるわよ!」


「言われなくとも!」


 頭の上で慌てふためくシエルに答えながら、踵を返した俺は、全力で走り出した。


 魔法を使えない現状、俺がケルベロスに勝つ手段は無いと考えた方が良い。


 かといって、このまま走り続けても、逃げ切れる確証は何もない。


 即座にそこまで理解していた俺は、走りながらも周囲の壁に目を向けた。


「シエル! 近くに横穴がないか探してくれ!」


「分かったわ!」


 そう叫んだ彼女は、俺の頭から飛び立とうとしたが、どうやら飛べなくなっているらしい。


 そのまま俺の頭の上で、周囲をキョロキョロと見渡し始めた。


 多分、今までシエルが自由に飛び回ることができていたのは、魔法の一種だったみたいだ。


 確かに、シエルの背中に生えている小さな羽は、クレモンの翼とは違い、飾りみたいなもんだしなぁ。


 頭の片隅でそんなことを理解した俺は、仕方なく周囲の確認をシエルに任せ、走ることに専念する。


 俺達が居を構えているダンジョンと構造が似ているなら、どこかに横穴があるはずだ。


 それらのうち、比較的小さい穴に逃げ込むことができれば、ケルベロスも追っては来れないだろう。


「ニッシュ! 左! 左に走って!」


 砂に足を取られながらも、必死に走る俺は、シエルの言葉に従って進行方向を修正した。


 進路上には、同じように走っているアンナの姿と、その頭上を飛ぶクレモンの姿がある。


「あの2人を追えば、逃げ切れるはずよ!」


「なるほど! 良い考えだ!」


 シエルの提案を聞いて納得した俺は、その直後、嫌な音を耳にする。


 背後から追いかけて来るケルベロスの足音が、明確に大きくなってきたのだ。


 咄嗟に後ろを振り向いた俺は、予想以上に迫って来ている6つの瞳を見て、慄いた。


「嘘だろ!? なんか、俺だけピンポイントに狙ってないか!?」


 ケルベロスの3つの首が、全て俺に視線を注いでいる。


 それを証明するかのように、ケルベロスの背後には、腰を抜かしてしまった様子の男たちが数名見て取れた。


 そんな彼らのことを素通りして、俺の元に駆けているらしい。


 そりゃ、距離を詰められるわけだ。


「ニッシュ! 横穴が見えたわ! 速く走って! もっと速く!」


 頭の上で騒ぎ立てるシエルと、横穴に到達したらしいアンナ達の姿を見ながら、俺はがむしゃらに走った。


 慣れない砂の足場のせいで、足腰に痛みを感じ始めている。


 それでも無理やりに足を動かしているせいか、全身からは大量の汗が噴き出していた。


 心なしか、気温が上昇しているように思う。


 心臓が早鐘を打ち、煮えたぎるほど熱い血液が、全身を駆け巡ってゆく。


 徐々に胸が苦しくなってゆくのを無視するように、歯を食いしばって走っていた俺は、ふと気が付いた。


 視界に入る左手の甲が、煌々と光り輝いている。


「ふざけんなぁ!」


 久しぶりに見た紋章の光に、縋りつきたい。


 胸の内から湧き上がってくるそんな願望をかき消そうと、俺は叫んだ。


 直後、俺は右半身に強烈な衝撃を感じ、気が付いた時には、左前方に大きく吹き飛ばされていた。


 ぐちゃぐちゃに入り乱れる視界と、口の中に入り込んでくる大量の砂。


 何度も砂の上を弾んだ俺は、ゴロゴロと転がることで勢いを殺し、ようやく静寂を取り戻した。


 右半身からジンジンと伝わって来る激痛と、朦朧とする意識の中で、俺は遥か遠くに見える青空を見つめる。


 あおむけの状態になっているらしい俺は、しかし、上半身を起こすこともできなかった。


 それもそのはずだ、走っていたところを、ケルベロスの剛腕によって吹っ飛ばされたのだから。


「……がぁ。いてぇ。シエル、無事か?」


「私は、なんとか無事よ……でも」


 すぐ左隣に横たわっているシエルが、優しく微笑みながら告げたかと思うと、俺の足元の方へと目を向けた。


 そんな彼女の視線に釣られるように、俺も足元の方へと目を向ける。


 ある程度予想はしていたけど、シエルの視線の先にはケルベロスがいた。


 相変わらず俺を凝視する6つの瞳が、ノソノソとこちらに近づいて来ている。


「嘘だろ? まさか、犬の餌になって死ぬってのか?」


 痛みのおかげで保つことができている意識を振り絞り、俺はそんな軽口を言った。


 シエルと交わす言葉は、これが最後かもしれない。


 そんな嫌な考えが頭の中に充満していたのだ。


 しかし、シエルは俺とは違う考えを持っていたようで、掠れた声でゆっくりと告げる。


「……このままじゃ、そうなるかもね。ねぇニッシュ、さっきの……捕食って、今できないかな」


 彼女の提案を聞いた俺は、思わず目を見開いて問い返してしまう。


「は? 何言って」


「……リンクさえできれば、あんな奴、なんてことないでしょ」


 驚く俺を余所に、優しい笑みを浮かべながら告げたシエルは、その小さな手足を必死に動かして、俺の方へと這いずり始める。


 そうして、俺の口元に近寄った彼女は、俺の口の中に頭を突っ込もうとしてきた。


「やめ、ろ! シエル! 何してんだ」


「ニッシュ、口を開けて……」


 無理やりにでも俺の口に入ろうとするシエル。


 そんな彼女から顔を背けることで抵抗しようとした俺だったが、首筋に走る痛みのせいで、満足に顔を動かせなかった。


「ニッシュ、皆によろしくね……楽しかったわ」


「やめろ! シ、エル!」


 あともう少しでケルベロスが俺達の元に到達してしまう。


 そんな状況に焦りを覚えたのか、シエルは強引に俺の口を広げて、頭を突っ込もうとした。


 満足に体を動かせない俺は、無理やり広げられる顎に痛みを覚えながらも、涙を流す。


 シエルの言うように、リンクさえできればケルベロスに勝つことができるかもしれない。


 だけど、ケルベロスを倒したその後、永遠にシエルと会えなくなった時、俺は胸を張って生きて行けるのか?


 ゼネヒットで貧乏な暮らしをしていた時も、前回の人生で奴隷から解放された後も、森で生活していた時も、ダンジョンで生活を始めた時も。


 記憶の欠片の中でさえ。


 シエルは俺と共に生きて、悩んで、苦しんで、それでも傍にいてくれた。


 俺がウィーニッシュとして生を受け、今まで生きてこれたのは、間違いなく彼女の支えがあったからだ。


 欠けてはならない、俺のバディ。


 そんなシエルを失うくらいなら、一緒に犬の餌になった方がマシだ。


 ぐいぐいと口の中に頭をねじ込んでくるシエルの尻尾を見ながら、そんなことを考えた俺は、痛みなど無視して、彼女の尻尾を掴んだ。


 未だに光り輝いている左手に力を籠め、口の中に入り込もうとするシエルを引っこ抜く。


 その瞬間、俺の身体の両脇に、ケルベロスの前足が打ち付けられた。


 衝撃で舞い上がる砂ぼこりを、ケルベロスの鼻息が吹き飛ばしてゆく。


 まるで餌を覗き込むように、俺とシエルを見下ろした3つの首が、大量の涎を零し始める。


 喰われる。


 直感的にそう悟った俺が、恐怖から逃れるために目を閉じた時。


 どこからともなく、笛の音が響いてきたのだった。

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