第153話 乱反射
氷漬けの狼が完全に息絶えたことを確認した私は、その股の下を潜りながら呟いた。
「どうしてこんなところにこいつらが居るのよ……」
さっき見た犬型の獣と、今しがた仕留めた狼。
多分、この2匹は親子なんだと思う。
親の姿から察するに、『ワイルドウルフ』という名称の魔物だったはず。
「ワイルドウルフって、ダンジョンの低い階層でよく見かける奴よね?」
私がそう呟くと、右肩に止まっているクレモンが首を傾げながら告げた。
「そうであるな。しかし、これほど大型の個体はなかなか見かけませんぞ?」
「そうよね。っていうか、あれがワイルドウルフなら、他にもいる可能性があるわね」
氷漬けのワイルドウルフの下を通り抜けた私は、改めて短剣を握り直すと、廊下の先に目を向けた。
しかし、そこにワイルドウルフの子供の姿は見当たらない。
「近くの部屋に隠れたみたいね」
右側にある開きっぱなしの扉を目にした私は、身構えたままその扉へと向かって歩く。
気配を押し殺し、周囲の空気を読む。
そして、扉の前にたどり着いた私は、恐る恐る部屋の中を覗き込んだ。
その部屋は書庫か何かだったらしく、沢山の本が床に散らばっていた。
幾つかある本棚のうち、一つが倒れてしまっていて、ひどいありさまだ。
灯りは部屋の奥にある窓だけ。
パッと見たところワイルドウルフの隠れる場所は無いと判断した私は、警戒は続けながらも部屋の中へと足を踏み入れた。
落ちている本を踏まないように足場を選びながら、部屋の中を探る。
棚の影や机の下など、身を隠せそうな場所を探してみるが、何もいない。
そうして、部屋の安全を確保した私は、ふと、窓の外に目をやった。
この部屋の窓は、屋敷の裏側に面しているらしい。
通りからは見えなかったが、屋敷の裏側には庭があるようだった。
多分、街が荒れ果てる前は手入れがされていたんだろう。
小さな小屋と何も生えていない花壇を見やった私は、屋敷の中に意識を戻す。
「それにしても、本が多いわね。最後の領主は、本好きだったのかな?」
「パッと見た限り、学術書が多い気がしますぞ。なにやら研究でもしていたのか……」
「学術書?」
クレモンの言葉を聞いた私は、適当に近くにあった一冊を拾い上げた。
そうして、窓から入り込む陽の光を頼りに、その本の背表紙に目を通した。
「『カーブルストン周辺の砂漠化と増加する魔物の関係性について』? 砂漠化と魔物に何の関係があるって言うのよ?」
背表紙だけでは理解できなかった私は、おもむろに表紙をめくった。
結論だけ読んだ感じだと、どうやら魔物が増えた原因として、近くにダンジョンが発生している可能性があるらしい。
そして、この著者はダンジョンの発生こそが砂漠化の原因と言いたいようだ。
「ダンジョンなんて、この辺になかったわよね?」
「少なくとも、ここに来るまでには見なかったであるな」
「あんなでっかい大穴を見落とすわけないし。まぁ、関係なかったんでしょ」
呟きながら、私はこの学術書の著者の名前を探し当て、読み上げる。
「バンドルディア……? この名前、どこかで……」
頭の片隅でくすぶる記憶を、必死に手繰り寄せようとした私は、直後、盛大な音を耳にする。
バンッという音と、大勢の足音、そして、荒々しい男の怒号が、屋敷中に鳴り響いたのだ。
「魔法騎士を探せ! まだ近くに居るはずだ!」
野太いその声を耳にした私は、咄嗟に部屋の扉に向かい、音を立てないように閉じた。
声がしたのは、今私がいる一階のフロア。間違いなく、正面の入り口から入って来たのだろう。
幸いなことに、正面入り口とこの書斎の間の廊下には、氷漬けの狼が放置されている。
そのおかげで、今扉を閉じた様子は見られていないはずだ。
逆に言えば、私の手の内が1つバレてしまっていることも意味する。
人数も、実力も、何も分からないうちから突っ込むのは得策じゃない。
一瞬でそう判断した私は、身を屈めたまま窓の傍に移動した。
なるべく外から見られないように気を付けながら、庭の様子を伺う。
今のところ、庭に奴らの姿は無い。
それだけ確認した私は、肩に乗っているクレモンに目配せをして、ゆっくりと窓を開けた。
音を立てないように外に出て、元のように窓を閉める。
なんとか無事に窓を閉めたことで安堵しかけた瞬間、私は右手の方から聞こえてくる声を耳にした。
どうやら、屋敷を回り込んで数人が、庭の方へと歩いてきているようだ。
「クレモン! リンク!」
小声で告げた直後、私は背中に翼が生えたことを確認し、躊躇することなく飛び上がる。
今の私に出せる最速で、屋根の上まで飛び上がり、即座に身を伏せた。
鎧を着ている割には静かに動けたようで、庭に現れた男達には気づかれていない。
ジリジリと照り付ける太陽のせいで、湧き出てくる汗を拭いながら、私はとりあえず男たちの様子を確認することにした。
庭に散らばって様子を見て回った男達は、最後に小屋の中を確認した後、何事もなかったように正面の方へと戻ってゆく。
「なんとか撒いたみたいね……結構危なかった」
安堵のため息とともに、私がそんな言葉を吐き出した直後、背後で嫌な音が聞こえた。
咄嗟に振り向いた私は、屋根の縁を掴む武骨な手を目にする。
その武骨な手の持ち主は、どうやらガントレットを装着しているようで、力いっぱいに屋根の縁を握りこむと、そのまま這い上がって来る。
スキンヘッドのいかつい男。
私の2倍はありそうなガタイの男は、屋根の上で仁王立ちすると、私を見下ろして得意げな笑みを浮かべた。
「見つけたぜ」
燦燦と照り付ける日光を、そのスキンヘッドで乱反射させる男を見て、私は思わず黙り込んだのだった。